[週刊ファイト5月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼小野寺力プロデューサー退任後のKNOCK OUT展望
Photo & Text by こもとめいこ♂
・4・29高田馬場激闘!!
・小野寺力プロデューサ電撃退任は何故
・「かつて日本に真の立ち技格闘技ありき」となるか…
・これで見納め!?あおみん・青山ひかるさん&天木じゅんさん画像
「I.Y編集長ならどう考えたか」
プロレスであれ格闘技であれ、ぼんくら底辺ライターの筆者がいつも考えている事である。
亡くなられてから13年になるが、折にふれ、その玉稿を読み返すすと、I.Y予言というべき金言が現在の様々な事象をズバッと言い当てているなと思わされる事は少なくない。
無論例外はある訳で、その1つが、「新日本プロレスの40周年はない」。中邑真輔に対する先見の明はあったが、団体としての新日本プロレスが、「あたかも真剣勝負」のプロレスのままで大々的に40周年を迎えられた事は2006年からは見通せなかった現象ではある。
その要因はやはりブシロード傘下になった事だろうが、亡くなられた翌年に創業の同社に関しての記述はI.Y予言にはない。2016年旗揚げの『KNOCK OUT』も同様。そのリング上の“殺し” を感じさせる闘いを見れば、どう評価していたか想像がつくだけだ。

だが、4・29 高田馬場での小野寺力プロデューサーの電撃退任劇を見通した様な記述は、1985年、34年前の『猪木を信じよ』の第1 次UWFと猪木に関する項目に見る事が出来る。
「人間は悲しい。
自由であるとの通行手形、それなのに、自分の行きたい所へは行けぬ。
〜中略〜
UWFの方向。その純粋さが経営の継続をなしとげたなら、どの団体も同じ方向へ走るだろう。
〜中略〜
黒字経営。
くやしいが、この一点につきるのである。それが不可能なら、どんな方向も死ぬ。
〜中略〜
努力はそれが報いられてこそ、努力の二字が冠せられる。跡形もなく消滅したとすれば、努力は空しだけの川へ流れる。
川は今日も流れる。流れているからこそ川なのである。
〜中略〜
三千年の歴史を刻むクフ王の墓。
それはかつての栄光のしるし。
『格闘技にUWFシューティングあり』。何十年年百年後に、人は辞書にこの一行を見出す。」
「プロレスとは何か。
格闘技を行うことではないのである。
一つの人間集団が、利益を上げていくとの約束がそこにある。
利益が上がらねば、職業としては成り立たない。真の格闘技であっても、赤字つづきで団体が倒産してしまえば、『かつてここに真の格闘技ありき』で終わる」
正しい方向性が即ち経営の最適解とはならないところが商売の難しさ。「悪貨が良貨を駆逐する」の例えもあるが、本来であれば、会社も選手も観客も、WinWinで在るはずの格闘技興行『KNOCK OUT』がこうした事態に陥らざるを得なかったのが、それを端的に表している。
無論、
「興行で簡単に黒字になんかならない」
との木谷オーナーが、単純に数字だけで判断したとは思わない。
確かに観客が満員札止めとなるに超した事はないが、それを補ってあまりある放映権料が得られれば、興行としては失敗でも経営としては成功と言える(客席はガラガラだが配信で何億円も稼ぐというのもそれはそれで難しいが)。本誌で繰り返し指摘している通り、会場が満員で盛況でも有料放送の視聴率がジリジリ下がっていればそれは既に黄色信号なのだ。
では何故小野寺力プロデューサーは KNOCK OUT を去らねばならなかったのか。