26日、藤波辰爾が率いるドラディションの後楽園ホール大会『NEVER ENDING DREAM TOUR IN TOKYO』にアントニオ猪木が来場した。トークショーながら藤波との“金曜夜8時台対決”がメインエベントとしてゴングが鳴った。リングサイドには懐かしい『世界一強いアントニオ猪木頑張れ』の赤いノボリも。
2月19日のジャイアント馬場没後20年追善興行ではリングサイドでの挨拶にとどまり、リングに上がらなかった猪木。コンディションが心配されたが、この日はリングへの本格的な階段が設置され、ロープがすべて外される万全体制となった。『炎のファイター』に乗って登場した猪木は、階段を上る際には付き人の手を借りたものの、リングインするや自力で歩行する。対峙した藤波に闘魂ビンタを見舞うと藤波は派手に吹っ飛んだ。
ファンが新日本プロレス黄金時代を振り返るトークに耳を傾ける。「宿舎で大会後に、必ず猪木さんの話を聞くのがいちばん“いい時間”でしたね」と藤波が師匠への傾倒ぶりを口にすれば、猪木は「昔は部屋でバクチ打ったりとかね」とおどける。1988年8月8日の藤波vs.猪木60分フルタイム戦から30年余りとなるが、クーラーがなかった横浜文化体育館での闘いを藤波は「(試合後は)1日半くらいオシッコが出なかった」と証言した。猪木は「あまり汗、かかなかったからね」とケロリ。それでいて「昔は夜によく走ってたから」と猪木・藤波が口を揃え、努力を欠かすことがなかったプライドを垣間見せる場面も。
日本プロレスから追放された際の話に差しかかかると、猪木は「こんな悪いヤツ(猪木)を追い出した、みんなバンザイという感じの写真が東スポに出た。写真を見ると藤波と木戸(修)が下向いてしょぼくれてたんです。声をかけないわけにはいかないでしょう」と秘話を明かす。
終盤には新日本プロレスの早期からの顔ぶれである坂口征二、北沢幹之も登場した。こうして平成最後の金曜夜8時に実現した夢の時間は、猪木によるダーッ!!の掛け声でシメとなる。足を運んだオールドファンたちは、昭和・平成で形成された往年の新日本プロレスは永遠であることを実感して帰路に着いたのだった。
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▼昭和の雄・猪木が平成最後にリングイン 令和に向けてダーッ!! ドラディション4・26後楽園
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’19年05月09日号令和元年WWE ドラディション アクトレスガールズ KnockOut 浅草橋