[週刊ファイト5月2日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼「プロレス記者は稼げるのか?」という質問にお答えします
by 井上譲二
・櫻井康雄氏の自宅を訪れた編集者は、家の立派さに驚きを隠せなかった
・東スポ社員の給与、ボーナスがかなり高かったのは有名な話
・プロレス記者の稼ぎ№2は週プロ編集長時代のターザン山本氏
・著名ライターでも収入面は厳しい
団体の数は増える一方なのにプロレス記者の数は減るばかりという珍現象。その最大の要因は『ファイト』、『ゴング』など専門紙(誌)が休刊に追い込まれたことだが、前記2誌の残党らは、現在もこの業界で活躍している。果たしてプロレス記者はそこそこ儲かる職業なのか?
I編集長こと井上義啓氏
ゴールデンタイム放送時代の『ワールドプロレスリング』の解説者としてもファンに知られていた櫻井康雄氏(故人)。彼こそプロレスをウリにした東京スポーツの最大の功労者であり、最終的に編集局長まで上り詰めた。
3年ほど前にプロレスムック本の取材で神奈川県厚木市にある櫻井氏の自宅を訪れた編集者は、家の立派さに驚きを隠せなかったという。
「一流企業の社長とかプロ野球選手、売れっ子タレントが住むような豪邸。普通のサラリーマンが大出世したところで無理です」(前出・編集者)
櫻井康雄氏の追悼式
実売数をグングン伸ばしていた頃の東スポ社員の給与、ボーナスがかなり高かったのは有名な話。当時(70~80年代)の櫻井氏は運動部長だったが、同紙のプロレス担当記者は私に「年収で1000万円は軽く超えているでしょう」と言っていた。従って編集局長時代の年収はこの額を大きく上回って1500~2000万くらいか?
さらに、彼の副収入も凄かった。月4回のテレビ解説に加え、プロレス専門誌への寄稿および写真資料の横流し。この3つの“アルバイト”だけで東スポ平社員の収入を上回ると見られていた。30代半ばあたりからこれくらい稼げれば豪邸が建っても不思議ではない。
他紙(誌)への写真の横流しは背任にあたるが、『週刊ファイト』や『週刊プロレス』の記者もおおっぴらにやっていた。
『週刊ファイト』若き日の井上譲二氏とI編集長