[ファイトクラブ]井上譲二記者に聞くペドロ・モラレスの魅力 あのニューヨーク・タイムズも報じた人間発電所との超名勝負

Photo by George Napolitano

[週刊ファイト2月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二記者に聞くペドロ・モラレスの魅力 
 あのニューヨーク・タイムズも報じた人間発電所との超名勝負
・スターダムにのし上がったモラレスとはどんなレスラーだったのか?
・日本でももっと人気が上がってもおかしくなかった
・モラレスのスタミナは半端でなかった
・モラレス戦を申し出たサンマルチノが明かした裏話



ドン・ムラコとのインターコンチ王座を巡る抗争は語り草。1981年6月20日にムラコに取られ、11月23日に奪い返し、82年は年間で守り抜いたが83年1月22日にまたムラコに明け渡した。

 日本のリングでは全盛期のジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二らと死闘を繰り広げた元WWWF&WWA世界ヘビー級王者ペドロ・モラレスさんが2月12日に死去。76歳(実際は78歳)だった。米・西海岸と東海岸でスターダムにのし上がったモラレスとはどんなレスラーだったのか? 日本、米国でモラレスを取材している井上譲二氏に聞いてみた。

Q ペドロ・モラレスの試合を会場なりテレビで見たファンはめっきり減りましたが、井上さんがファン、記者時代を通じて見たモラレスはどんなタイプのレスラーでしたか?

A ロス・マットで大ブレークした60年代半ば頃はテクニシャンタイプだったが、70年代初めにWWWFに入った頃にはパワーファイターに変ボウしてましたね。マクマホンSRから「ポスト・サンマルチノとして売り出すから体を大きくしろ」と言われて15㌔近くウエートアップさせたらしい。でも、スピーディかつダイナミックな動きは変わらなかった。パワーファイターと言ってもサンマルチノのようなぎこちなさはなかったですよ。だから、日本でももっと人気が上がってもおかしくなかった。

Q それはモラレスを招へいした日プロ、全日プロ、新日プロが徹底的に売り出さなかったから?

A いや、3団体ともトップ級の扱いをしていましたよ。(大ブレークしなかった要因は)甘過ぎるマスクと体のサイズじゃないでしょうか。あと、ずっとベビーフェイスでやっていたこと。

Q 確かに馬場さんや坂口さんと闘っている写真を見るとヘビー級転向後のダイナマイト・キッドくらいの大きさ。

A 背丈は175㌢なかったと思います。ただ、サンマルチノにしても176㌢くらいですからね。


左フックが武器だったペドロ・モラレス

Q 逆にロスやニューヨークで大成功を収めた要因は?

A ラテン系ファンのハートを掴んだことですが、それはカッコ良さと試合内容が伴っていたためでしょう。

Q じゃあ、モラレスの人柄は?

A 最高のナイスガイでした。例えば、あるとき、MSG定期戦が終わった後に私が彼の宿舎の前を歩いていたらモラレスがロビーのラウンジにいてガラス越しに「オイ、こっちに来て一緒に飲もう」というジェスチャーをしたんです。そんな気さくさ、気配りが大好きだった。

Q 新日プロに来たとき、地方都市のビジネスホテルでほかの外国人選手とツインルームをシェアすることになって、これにブチ切れたモラレスが毛布を持って廊下で寝始めたという話もありますが・・・。

A 高橋レフェリーがムック本のインタビューで明かした話でしょ? 予約の際にシングルの部屋が満室だったようですが、欧米人なら誰でも嫌がりますよ。なんで他のホテルに問い合わせなかったのかな? モラレスはニューヨークの大スター。ゴネたモラレスより配慮が足りない新日プロに問題があるのでは。

Q もともと血の気が多かったようですが。


サンマルチノとモラレス

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