[ファイトクラブ]短期連載『ジャイアント馬場 表と裏の顔』 第2回 野心家でなく社交性もない馬場は社長に向いてなかった

[週刊ファイト1月24日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼短期連載『ジャイアント馬場 表と裏の顔』 第2回 
 野心家でなく社交性もない馬場は社長に向いてなかった
 by 井上 譲二
・練習以上にやらなかったのは全日プロ社長としての営業活動
・モハメド・アリ戦を強行した新日プロに対し、全日プロは赤字興行の蓄積だった
・当時、全日プロが興行で儲けられなかった2番目の原因
・馬場が待遇に不満を漏らしたことは1度もなかったという



インタータッグ王者時代の馬場と猪木

 番記者たちとの雑談の中で「俺は怠け者」と言っていたジャイアント馬場は日本プロレス時代から練習嫌いで通っていたが、練習以上にやらなかったのは全日プロ社長としての営業活動。タニマチなど支援者にチケットを売るのではなく、大物外国人を絡ませた超豪華カードで観客動員を図るという発想だった。だが、現実は・・・。

 70~80年代、馬場・全日本プロレス、猪木・新日本プロレスともに、それぞれ専属契約を交わしている日本テレビ、テレビ朝日から億単位の借金をしていた時期があった。

 だが、多額の借金を作った原因は異なった。


猪木アリ戦

 モハメド・アリ戦を強行した新日プロに対し、全日プロは赤字興行の蓄積だった。

 ほとんど興行収入とテレビ放映権料で経営を賄っていた時代に興行で儲けられなかったら社長である馬場はシンドイ。「プロレスの興行なんか儲からないんだよ!」というのが彼の口癖だった。

 新日プロの興行は黒字で全日プロのそれは赤字。両団体ともゴールデンタイムに放送されていたので「主力選手の集客力の違い」と思われがちだが、実は「営業力の差」が最大の原因である。

 さらに、その点を分析すると、新団体旗揚げ時から自ら精力的にチケットを売り歩くとともにタニマチ作りに努めた猪木と、こうしたことを一切しなかった馬場の差が後にハッキリ表れたと見て取れる。

 73年4月に念願のテレビが付きスターダムにのし上がってからの猪木はほとんど営業活動をしなくなったが、新日プロの営業部員たちは、日本全国に点在する猪木のタニマチの所へ頼みに行くと、それなりの成果を上げることができた。だから、「天才営業マン」と言われた大塚直樹氏にしても、もし全日プロに入社していたらチケットセールスマンとしての才能の半分も発揮していなかっただろう。

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン