ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』58[ファイトクラブ]2018 私的なんでもベスト5

[週刊ファイト1月3-10日合併号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』58
 2018 私的なんでもベスト5
・《第5位》18年ぶり! キングダムエルガイツ参戦!!
・《第4位》熾烈!早稲田スポーツ
・その1:野球『奇跡の大逆転! 慶應の優勝止めた!』
・その2:アメフト『2年ぶりの甲子園ボウル出場!』
・その3:ラグビー『創部100周年の年に優勝なるか!?』
・《第3位》今年も行けた! メジャーリーグ観戦!!
・《第2位》まさにアメリカンドリーム!
・コロラドスプリング大学講師への道
・もしオイラが政界に進出することになったら詐欺にならない
・《第1位》悲しいお別れ~天国に行ったレスラーたち~
・亜利弥’さん、TPGの師匠マサ・斉藤さん


 年末恒例! 2018年を振り返る『鷹の爪大賞 2018』の「私的なんでもベスト5」。
 デビュー戦のリングに里帰り 早稲田スポーツに興奮! 二人の日本人メジャーリーガー生観戦! えっ! オイラが大学講師に??
 神様、これ以上レスラーを取らないで!

もぉ~い~くつ寝~る~と~…。

2018年も残りわずかとなりました。
そこで、今年も一年間を振り返ってみたいと思います。

今年は、プロレス界にとって悲しい一年になりました。
それを含め、公私に渡るなんでもベスト5です!

《第5位》18年ぶり! キングダムエルガイツ参戦!!

今のスタイルからは想像もつかないかも知れませんが、実はオイラのデビューはいわゆる“U系”だったんです!

UWF最後の遺伝子と言われた、入江秀忠代表率いる『キングダムエルガイツ』がその舞台でした。
その後は、時折総合格闘技の試合に出ることはあっても、キングダムエルガイツさんとは全く縁がありませんでした。

しかし、何が起こるか分からないプロレス界です。今年になって、なんと18年ぶりに入江代表から連絡があったのです。

それは、キングダムエルガイツ6月16日新宿FACE大会へのオファーでした。
間もなく迎える『キングダムエルガイツ旗揚げ20周年』を前に、団体設立当時の参加選手を再びリングに上げようというもの。もちろん、オイラに断る理由などありません。

対戦相手は、メキシコ総合格闘技界からの刺客、エル・カンペオン選手です。
身長・体重・経歴など、試合当日まで何も情報が入ってきませんでした。平成版“未知の強豪”です。

不安の中おこなった試合でしたが、なんと、0分32秒逆片エビ固めで秒殺勝利!
デビュー戦のリングに再び上がることのできた、とても感慨深い一日でした。

《第4位》熾烈!早稲田スポーツ

今年も、早稲田スポーツは盛り上がりました!
特にエキサイトした試合をピックアップしてお伝えします!

その1:野球『奇跡の大逆転! 慶應の優勝止めた!』

東京六大学野球 秋季リーグ戦。早稲田大学は優勝を逃し、最後の早慶戦では初戦を落とし、慶應にあと一勝でも許せば、その場でおよそ50年ぶりとなる慶應の三連覇が決まるという状況でした。
勢いは、完全に慶應にあります。しかし、そこで早稲田は怒涛の粘りを見せたのです!

2回戦では、序盤にリードを許しながらも、6回に一挙5点を挙げて大逆転勝利! 1勝1敗で迎えた3回戦は、9回ツーアウトから奇跡の大逆転劇で、見事慶應義塾大学の優勝を阻止したのでした!

その2:アメフト『2年ぶりの甲子園ボウル出場!』

続いてはアメリカンフットボールです。
法政大学や明治大学など、強豪校が集まるリーグ戦で、早稲田大学BIG BEARSは見事全勝優勝を果たしました!

大学選手権の甲子園ボウル進出を賭けた東日本代表校決定戦でも、東北大学を下し、2年ぶりの甲子園ボウル出場を決めました。

73回の歴史を誇る伝統の甲子園ボウルにおいて、早稲田大学の出場はわずか5回。
しかし、その内3回がオイラが入学してからのこと。つまり、オイラが現役の間に3回も甲子園球場で早稲田大学BIG BEARSの勇姿を観ることができたのです!

残念ながら、甲子園ボウルでは関西の強豪関西学院大学に敗れてしまいましたが、今年も甲子園に行けたことは何ものにも替えられない喜びでした!

その3:ラグビー『創部100周年の年に優勝なるか!?』

伝統ある早稲田大学ラグビー部は、今年創部100周年を迎えました。

ここ数年、精彩を欠いていたラグビー部ですが、今秋の大学対抗戦では、8年ぶりの優勝を果たし、大学選手権に臨んでいます。
現在、準決勝まで勝ち上がり、実に5年ぶりの“年越し”を決めています。

優勝まであと2勝! 創部100周年という記念すべき年を、果たして優勝で飾ることができるのか?
お正月はラグビーに注目です!

《第3位》今年も行けた! メジャーリーグ観戦!!

今年のアメリカ・メジャーリーグ観戦は、ロサンゼルスです。
ロサンゼルスでは、アナハイム・エンゼルスとロサンゼルス・ドジャースの2チームがホームグランドを構えています。

最初に訪れたのは、エンゼルスの本拠地
アナハイムスタジアム。
エンゼルスには、大谷翔平選手が在籍しています。大谷選手は、一年目メジャーの今年から、ピッチャーとバッターの二刀流“として大活躍しています。
オイラが観戦した日も、ホームランをかっ飛ばす活躍ぶり! アメリカでの人気も相当なものです。
日本の友達から、大谷選手のユニフォームを買ってくるよう頼まれていたのですが、どこの売店も大谷選手の背番号である『17』番だけSOLD OUTでした。

続いて、ドジャースの本拠地、ドジャースタジアムに行きました。
ドジャースには、前田健太投手が在籍しています。
しかし、観戦の二日前、前田投手は登板したばかりでした。
大谷選手のような二刀流と違い、ピッチャーは出場機会が限られます。前田投手は投げたばかりだったので、ローテーションからいくと、オイラの滞在中の登板は無さそうです。

しかし、奇跡は起きました!
ドジャースリードの大事な場面で、なんと前田投手がマウンドに上がったのです!
さらに前田投手は、8回表の1イニングを、三者三振に切って取ったのです!

短い滞在でしたが、奇跡的に大谷選手と前田投手の二人の日本人メジャーリーガーの活躍を生で観ることができました!

《第2位》まさにアメリカンドリーム!

大学講師への道

2月。大学の春休みを利用して、友達が留学しているアメリカのコロラド州に遊びに行きました。

アメリカの大学では、この時期も普通に授業がおこなわれているので、友達が講義に出ている間、オイラは大学の図書館やカフェテリアで時間を潰していました。

滞在二日目、日本語クラスのMina先生にご挨拶する機会がありました。
Mina先生は、韓国人でありながら日本語は堪能で、今年からコロラドスプリングス大学の日本語クラスを担当しているということでした。

オイラは自己紹介で、早稲田大学の学生であること、以前教職に就いていたことなどを話しました。
するとMina先生は「いつまでコロラドにいるのか?」「滞在中何をしているのか?」と聞いてきました。
オイラが「滞在は約二週間」「その間、特にすることはない」というと、信じられない答えが返ってきました。

「コロラドにいる間、私のクラスを手伝ってくれない?」

日本語がとってもお上手なMina先生ですが、ネイティブスピーカーではないため、日本人のオイラに正しい日本語で授業をして欲しいというのです!

さぁ、大変なことになりました!
オイラが返事をする間もなく、Mina先生は行動に移しました。
オイラを教務課(?)のようなところへ連れていき、臨時講師の書類を作成。そこへオイラにサインをさせたのです!

翌日からオイラは、24人の学生が待つ日本語クラスの臨時講師として、コロラドスプリングス大学に“赴任”しました。
学生、つまり教え子たちは「Ken Sensei! Ken Sensei!」と歓迎してくれました!
結局、計4コマ教壇に立ち、無事に臨時講師の任務を終えました。

オイラがコロラドを離れる日、Mina先生の計らいでFarewell Partyを開いてくれました。
その席でMina先生は「今回のことは、あなたのキャリアに入れていいわよ。」と言ってくれたのです。

後から聞いた話ですが、アメリカの病院で勤務経験のあるドクターが言うには、アメリカではそんなのはよくあることだそうです。
タイミングさえ合えば、いつでもチャンスは訪れる。まさにアメリカンドリームですね!

将来、もしオイラが政界に進出することになったら、プロフィールに『元コロラドスプリングス大学講師』と書いても詐称にはならないのです!

《第1位》悲しいお別れ~天国に行ったレスラーたち~

プロレス界にとって、オイラにとって、これほど悲しい年があったでしょうか?
今年は、本当に多くの(元)プロレスラーが旅立ちました。

ダイナマイト・キッド、ニコリ・ボルコフ、ディック・スレーター、ドン・レオ・ジョナサン、ビジャーノⅢ、ブルーノ・サンマルチノ、そして輪島大士…。(敬称略)

オイラがリアルタイムで見たことのあるレスラーだけでもこれほどの数がいます。

そして、何より耐え難かったのは、オイラの身近なレスラーも逝ってしまったことです。

間接的ではありますが、師匠であるマサ・斉藤さん、そしてビッグ・バン・ベイダーさん。
TPGの立ち上げに大きく関わったお二人です。
マサさんとビートたけしさんの間に、どの程度のお話があったのか? 今となっては知るよしもありませんが、本当に謎多き“団体”でしたね。

TPGが無ければ、間違いなくオイラはプロレスラーにはなっていません。そういった意味では、お二人がオイラをプロレス界に導いてくれたと言っても過言では無いでしょう。

あの伝説の両国大会から今年で31年です。

そして、オイラにとって忘れることのできない人、亜利弥’さんもとうとう逝ってしまいました。

2016年の春、自身のデビュー20周年大会で癌に侵されていることをカミングアウト。その後、2017年にはけじめをつける意味で引退試合をおこないました。本来なら、立っているだけでも辛かったであろう状態で、立派に自身の引退試合を努め上げました。

亜利弥’さんとの思い出は数えきれません。
亜利弥’さんはとにかく練習の虫でした。オイラがデビューした頃は、東京都内または近郊でリング練習できる場所は非常に限られていました。それでも亜利弥’さんはどこからか練習場所を探し出し、適当な場所が見つかると、必ずオイラにも声を掛けてくれました。

CMAの興行にも積極的に力を貸してくれました。
一番の思い出は、東日本大震災の被災地、宮城県名取市の仮設住宅で試合をした時です。
完全なるボランティアでの大会でしたので、資金も人手もない手作り興行でしたが、文句ひとつ言わず全面的に協力してくれました。

45年の短い命でしたが、生涯プロレスに賭けた人生と言ってもいいでしょう。
亜利弥’さん、本当にお疲れ様でした。

去年、ポーゴさんを失ったばかりなのに、また今年こんなにたくさんの大切な人たちが天国に行ってしまいました。
天国にプロレス団体があるのなら、連日超豪華なオールスター戦が行われていることでしょう。
いつまでも、下界のプロレスを見守っていてくださいね。

というわけで、今年もお世話になりました。2019年もケン・片谷をよろしくお願いします!