[ファイトクラブ]追悼・輪島大士さん~全日プロと日テレが輪島さんに求めたのは客寄せパンダ的な役割

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[週刊ファイト10月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼追悼・輪島大士さん~全日プロと日テレが輪島さんに求めたのは客寄せパンダ的な役割
 インタビュー:週刊ファイト元編集長 井上譲二氏
・全日プロ時代の輪島さんで何か印象に残っていること
・外国人選手の輪島さんに対する評価
・輪島さんに対し天龍さんが顔面キックを見舞うなどエゲつない攻撃を仕掛けて
・結局、輪島さんは全日プロのテレビ視聴率と興行に貢献したのか



バン・バン・ビガロ戦を煽る当時のTシャツ図案


(C)日本テレビ

 大相撲で通算620勝を挙げた昭和の大横綱、輪島大士さんが10月8日、都内の自宅で死去。70歳だった。晩年はタレントとして活躍したが、1981年の力士引退後に最も注目されたのは86年4月の全日本プロレス入り。訃報を伝える各局のスポーツ番組やワイドショーではレスラー・輪島の映像も流された。本誌は当時、『週刊ファイト』の第一線級記者だった井上譲二氏にプロレス時代の輪島さんについて語って頂いた。

―― 全日プロ時代の輪島さんで何か印象に残っていることはありますか?

井上 新日プロと米マットを担当していた関係で彼の試合を取材したのは7、8回程度で密着取材もやっていません。で、印象に残っているのは札幌大会の時の囲み取材で輪島さんに「お前、どこの(マスコミの)者だ?」と言われたことぐらい。かなり高圧的な言い方でした(笑)。でも、相手は元・大横綱なのでしょうがないな、と。

―― 全日プロ内部での人間関係はどうだったんですか?

井上 そこは輪島さんに限らず馬場さんがしっかり教育するので特に問題はなかったと思います。馬場さんは大物新人が入団すると「自分よりも年上、キャリアの長い選手には“さん付け”で呼ぶように」とクギを刺しましたからね。だから、輪島さんは「鶴田さん」「天龍さん」、ジャンボ、天龍は「横綱」と呼んでいた。輪島さんが呼び捨てにしたのは日大相撲部の後輩にあたる石川(敬士)さんと若手だけじゃないかな。

―― じゃあ、日本組控室の雰囲気も良かったわけですね?


ジャイアント馬場

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