[ファイトクラブ]NHKと日テレのコラボ企画、スポーツ名場面で小橋の復活劇が11位!

[週刊ファイト10月4日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼NHKと日テレのコラボ企画、スポーツ名場面で小橋の復活劇が11位!
 by 安威川敏樹
・NHKと日本テレビが同時生放送という前代未聞のコラボ企画
・力道山の日本初試合を同時生中継したNHKと日テレ
・NHK、日テレ、TBSが3局同時でプロレス生中継したこともあった
・「小橋が勝ちました! 腎臓癌に勝ちました!」
・冷静なアナウンサーまで涙する試合
・くりぃむしちゅーと博多華丸・大吉のマニアックすぎるプロレス談義


 9月22日、NHKと日本テレビで『NHK×日テレ同時生放送! テレビ65年「スポーツのチカラ」』が放送された。1953年2月1日に日本初のテレビ本放送を開始したNHKと、同年8月28日に日本初の民間放送テレビ局としてテレビ番組を放送した日本テレビとのコラボ企画である。
 公共放送のNHKと、民放の日テレという垣根を越えて、共にテレビ放送開始65年を記念し、同じスタジオで午前10時30分から11時25分まで生放送を同時に行ったのだ。
 スタジオは同じだが、NHKと日テレがガラス1枚で分けられて、時にはバラバラに、時には一緒になり、時には乱入して放送するという前代未聞のスタイルとなった。

 今回のテーマは、タイトルにもあるようにスポーツに焦点を当てている。来年(2019年)、日本で開催されるラグビー・ワールドカップをNHKと日テレが放送するということで、普段は視聴率競争をしている両局がスクラムを組んで協力しようというわけだ。
 たとえばNHKでは大相撲の名場面を流している間に、日テレでは巨人戦の名シーンを紹介するといった具合に、それぞれの得意分野を放送して、視聴者には好きなチャンネルを選んでもらうというコンセプトである。

力道山の日本初試合を同時中継したNHKと日テレ

 NHKが日本初のテレビ局、日テレが日本初の民放テレビ局ということは、当然のことながら最初の頃はテレビ局がこの2局しかなかったわけだ。テレビ放送が開始されたといっても、当時はテレビを持っている家庭などほとんどない。そこで日テレが設置したのが街頭テレビだ。
 日テレの街頭テレビは4チャンネルに固定され、NHKにはチャンネルを回せないようになっていた(チャンネルを回す、という表現も、リモコンが当たり前になった現在では死語となった)。この頃からNHKと日テレはライバルとして火花を散らしていたのである。

 大相撲からプロレスに転身した力道山がアメリカ修行から帰国、柔道史上最強の男と謳われた木村政彦とタッグを組んで、シャープ兄弟を迎え撃ったのが1954年2月19日のことである。それ以前の2月6日にNHK大阪放送局がローカルで、大阪を本拠地とする全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは無関係)の試合を試験放送していたが、日本での本格的なプロレス時代の幕開けは、日本プロレス協会の力道山&木村政彦vs.シャープ兄弟のタッグ・マッチと言っていい。

 2月19日から3日間、東京・蔵前国技館での3連戦が予定されており、日テレが独占中継するはずだった。ところが、NHKが吉本興業を通して割り込み、テレビの普及のためという理由を付けてプロレス放送を行うことになったのである。したがって、初日の力道山のタッグ・マッチはNHKと日テレが同時生中継したのだ。
 しかし、2日目以降はNHKが撤退、日テレの独占中継となったのである。その原因として、NHK内にはプロレスに対する否定的な意見が大きかったことと、2日続けてのゴリ押しは無理だったことが推測される。
 プロレス中継の日テレに対する貢献度は凄まじく、プロレス中継を開始した1954年の上期で黒字となり、テレビ界の常識を覆した。当時はテレビ王国のアメリカでさえ、テレビ局が黒字に転じるのは開局から4年以上もかかった。放送開始から1年足らずで黒字となった日テレの快挙に、世界中のテレビ局が驚愕したのである。日テレとは対照的に、NHKはずっと赤字続きだった。

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