[週刊ファイト9月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼記者座談会
高田延彦、高山善廣支援興行に来場しなかった真意を探る
・高田は単にスケジュールの都合がつかなかったことだけが、“欠席理由”なのか?
・第2次UWF、UWFインターで高田がやっていたのはプロレスだった
・日本のプロレスファンは内容のない試合にカネを払いません
・今回の件で高田は男を下げ、前田は男を上げました
高山善廣
周知の通り、高田延彦は90年代に高山善廣さんが所属したUWFインターナショナルの社長でもあった。そのような関係にも関わらず高田が先のチャリティー・イベント(8・31後楽園『TAKAYAMANIA』)に姿を見せなかったのは、単にスケジュールの都合がつかなかったことだけが、“欠席理由”なのか? 少なくとも本誌の評論家たちは否定的な見方をしている。
(*編注 A=『マット界舞台裏』特約記者、B=スポーツ紙記者 C=フリーのべテラン記者)
A 最初に改めて高田vs.ヒクソン戦を振り返って下さい。
B 20年も前の試合ですがハッキリ憶えています。高田は2戦ともヒクソンに対し何もできなかった。ヘビに睨まれたカエル-その言葉がピッタリ当てはまる内容でしたね。まだ山本宜久(リングス→フリー→高田道場)や船木誠勝(パンクラス)の方が見せ場を作りました。
C だからと言って山本や船木よりも弱いということにはならないけれど、1年後の再戦でバーリ・トゥードに対する研究の跡や進化がまったく見られなかったのはいただけない。練習方法やコーチにも問題があったんじゃないですか。あと、ヒクソン戦までの環境ですね。
A 第2次UWF、UWFインターで高田がやっていたのはプロレスだった。
C 道場の練習で仲間相手にガチっぽいことをやっていても総合の世界ではなかなか通用しません。宮戸優光氏が言ってたように、確かに高田はあの(Uインター勢)中では圧倒的に強かった。
A で、高田はヒクソン戦の後、プロレス村から完全に離れてPRIDE(KRS→ドリーム・ステージ・エンターテイメント)側の人間になっていたでしょ? プロレス週刊誌(紙)のインタビューも受けなくなって、「俺はもうプロレス村には関わりたくない」というオーラを発していました。
総合格闘技の練習をしていた高田延彦