[ファイトクラブ]天龍、長州、棚橋がフジテレビ『ボクらの時代』に出演!

[週刊ファイト9月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼天龍、長州、棚橋がフジテレビ『ボクらの時代』に出演!
 by 安威川敏樹
・フジテレビ日曜朝のトーク番組『ボクらの時代』
・『長州力』ってリングネームを貰ったとき、プロレスの辞め時と思った
・プロレス黄金時代はファンを邪険に扱った?
・長州にとって酒はキャベジンみたいなもの(よく判らない例え)
・棚橋が映画『パパはわるものチャンピオン』に主演
・長州「俺、滑舌悪いか?」 天龍「何を言っているのかわからない」
・棚橋が受賞したベスト・ファーザー賞は、棚橋の自己推薦だった!?
・天龍と長州のライバル関係は孫の代へ!


 9月16日(日)の朝7時から放送されたフジテレビ『ボクらの時代』に天龍源一郎、長州力、棚橋弘至の3人が出演した。年齢から言って棚橋がインタビュアーのような形になったが、なにしろ棚橋以外(要するに天龍と長州)の声は聞き取りづらいので、どこまで筆者が理解できるのかわからないが、できるだけ忠実に再現してみよう。
 番組の収録が行われたのは、東京・飯田橋にある、長州がプロデュースしている『お肉酒場GINZA-TEI with長州力』という洋食居酒屋。店の看板メニューをつつきながらザックバランな3人のトークが繰り広げられた。

長州「(棚橋に)ホント、お疲れさんだな」
天龍「G1に優勝して」
棚橋「ハイ、優勝しました。ありがとうございます」

 まずは、先輩2人から祝福されて、照れる棚橋。トークはプロレスラーになったキッカケに及んだ。

天龍「棚橋は誰に憧れてプロレスラーになったの?」
長州「その時代はアントニオ猪木か藤波辰爾……」
棚橋「藤波さんも、もちろんそうなんですけど、僕は武藤(敬司)さんですね」
長州「ああ、やっぱりな。敬司はね、ホントにその接点にいるんだよな」
棚橋「武藤さんの運動能力が高くて、凄いなあと思って」
長州「俺はねえ、佐山(聡)のときに見てるからね。(初代)タイガーマスクだよ。佐山は驚いた。ホントに凄かった」
棚橋「天龍さんはプロレスラーになって、どうだったんですか?」
天龍「俺はプロレスラーになって良かったと思ってるよ。テレビに出て、若い姉ちゃんから『あ、天龍だ!』と言われて。金銭的な面も含めて、プロレスラーになって良かったな、と。長州選手はどう思う?」
長州「俺は食うためだよ。ジャンボ(鶴田)さんがいたじゃん。あの人は『(全日本プロレスに)就職します』って言ったもん。俺も食うためですよね。それ以外、何もない」

 3人3様のプロレスラー像があったわけだ。

『長州力』ってリングネームを貰ったとき、プロレスの辞め時と思った

 現在、棚橋が取り巻く環境と、天龍や長州が第一線で活躍していた頃とは、プロレス界も全く違っていた。天龍はジャイアント馬場の全日本プロレス、長州はアントニオ猪木の新日本プロレスで、まさしく敵対関係にあったのだ。

棚橋「新日本と全日本の違いがあったじゃないですか。当時の長州さんと天龍さんの関係性っていうか、やっぱりライバル視してたんですか?」
長州「やっぱり、どっかで意識してるよね」
天龍「俺は長州選手が、(本名の)吉田光雄から『長州力』ってなったときに、クラシックな名前だなあ、って思って」
長州「俺はあのとき、(プロレスラーの)辞め時だなあって思ったよ」
天龍「その頃はジャンボ鶴田とかアントニオ猪木とか……」
棚橋「カタカナと日本名っていう」
長州「そういう名前も欲しかったし、なぜそのまま(本名で)やれないのかなあって」
天龍「俺は他所から見てても『長州力』って古めかしい名前だな、と」
長州「相撲だよね」
棚橋「僕はファンだったときに『長州力』って名前、メチャメチャかっこいいなあって思いましたよね」
長州「お前に何がわかるんだよ(苦笑)。あのときに苦しんだ俺の何がわかるんだよ」
天龍「でも、自分の力で自分の名前にスポットライトを浴びせたよね。そこが凄いよ」
棚橋「自己プロデュースの世界ですよね」
長州「そこなんだよ。そういうところに入って行かないと」

 自分のリングネームにコンプレックスを抱いていた長州だったが、それを逆手に取って自己プロデュースをしたわけだ。それが、あの『噛ませ犬発言』に繋がったのである。

天龍「長州選手が(藤波に対し)『噛ませ犬発言』をしたときに、それまでのプロレスは序列がしっかりしてたから『え、そんな勝手なことを言っていいの?』っていう衝撃があったよね。それを浜さん(アニマル浜口)と一緒にやり始めて、新しいプロレスが動いてるなっていう感覚しかなかったな。俺は馬場さんの下で、力道山時代からの枠にはまったプロレスしかしてなかったから、新日本さんが凄く羨ましかったね」

▼長州力はリングネームのコンプレックスが逆に『革命戦士』と呼ばれる原動力となった

プロレス黄金時代はファンを邪険に扱った?

 1980年代、プロレスは黄金時代を迎え、ゴールデン・タイムでのテレビ中継は視聴率20%超え、その真っ只中に長州と天龍はいた。その頃の2人の生活はどうだったのだろうか。

棚橋「金曜夜8時に放送していた頃の現役レスラーって、めちゃくちゃモテたんじゃないかと思うんですけど」
天龍「お前だってモテたじゃねえか」
棚橋「僕は、ハイ、モテました(笑)」
長州「やっぱり注目されたし、テレビの力って凄いじゃん」
棚橋「道を歩いてたら、やっぱり(指を指されるとか)何か言われます?」
天龍「やっぱり『天龍だ!』と言われたとき、初めて俺もレスラーとしてランクが上がって、有名になったなと思ったよ。呑みに行ってもチンケなことはできないな、と」
棚橋「僕も有名になって、道を歩けなくなるぐらいになりたいなと思ってるんですけど」
長州「お前、もういいじゃん」
棚橋「いやいや、まだまだです(苦笑)」
長州「(昔は)小さい会場に行って、バスから降りたら小さな子供たちが息吐きながら追っかけて来るのを見ると、また来たいなあって思うもんなあ」
天龍「ええ? ホント!? 俺の知ってる長州選手は(そういうファンが寄って来たら)『うるさい!』って。俺はそういうイメージしかない(笑)。それを見て、俺もそうしていいんだなって思って、俺も『やかましい!』って言ったことがあったよ」

▼長州力のマネをして(?)、ファンを邪険に扱ったことがあるという天龍源一郎

長州にとって酒はキャベジンみたいなもの(よく判らない例え)

 プロレス黄金時代は、年間200試合ぐらいあった。その頃の天龍や長州は家族とコミュニケーションが取れていたのか、棚橋が尋ねた。

長州「毎日1回は(家族に)電話してたな」
天龍「俺らの時代は旅に出たら、独身みたいな顔をしてフラフラしてたから、気楽なもんだったよ」
長州「それは源ちゃんだろう」
棚橋「プロレスラーって呑み方も豪快で、ていうイメージがあるんですけど」
天龍「俺はレスラーだからというので、豪快に無理して呑んでたというところがあったよ」
長州「タナ、お前は呑む方なの?」
棚橋「僕はあまり(酒が)強くないので……。巡業中に一度、天龍さんに呑みに連れて行ってもらったことがあって、(天龍さんは)アイスペールに氷を入れて、そこに……(酒を入れて)。あれを生で見て、実在するんだと思って。あれは昔からですか?」
長州「俺は(天龍の)誕生日にプレゼントしたことあるもん。アイスペールを」
スタッフ「(爆笑)」
天龍「長州選手も強いよ」
棚橋「長州さんも強いですよね」
長州「俺は基本的に、早く迎えに来る(酔っぱらう)お酒がいいね」
棚橋「迎えに来るのは眠気でいいんですよね?」
長州「いや、違う違う。テンションがグワァーっと上がって、だから俺にとってはキャベジンみたいなもんだよ。調子いいなあと思ったら呑み始める。迎えに来なかったら、今日はやめとこう、と」
天龍「久しぶりに長州選手と呑んだときに、コーヒーに泡盛入れて、それを教えられてさあ。結構、やっぱり強いよ」
長州「ロナンっていう泡盛があんだよ。それを呑んだときには、さすがにキツイなあと思って、1杯呑んじゃったんだよ。それが、迎えに来るのがスッゴイ早いの。でも、朝が迎えに来ないんだよ」
棚橋「どういうことですか?」
長州「ずーっとそのまま、朝が来ねえんだよ」
棚橋「なんかドリカムの詞みたいですね」

 長州ですら前後不覚に陥ったという、ロナンなる泡盛。ちなみに筆者がネットで検索してみたところ、『ロナン』という泡盛はヒットしなかった。ひょっとして、筆者の聞き間違いか?

▼天龍と同様、酒に関してはエピソードに事欠かない長州

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