[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第46回 『ファイト』休刊で書けなかった『無我ワールドプロレスリング』空中分解の真相

Top画像:1979年の藤波辰爾 in NY

[週刊ファイト9月6日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第46回
 『ファイト』休刊で書けなかった『無我ワールドプロレスリング』空中分解の真相
・たった1回しか取材できなかった団体がある
・藤波の慎重すぎる性格を知る者には信じ難い決断
・超満員の観衆を集め順調な滑り出しとなった
・西村ら後輩から三行半を突き付けられた藤波が気の毒


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藤波辰爾

 06年9月の『週刊ファイト』休刊によって、たった1回しか取材できなかった団体がある。同年8月に旗揚げした藤波辰爾の『無我ワールドプロレスリング』だ。スキャンダルの宝庫と言われた新日プロから派生した団体らしく、内紛が原因で翌年に空中分解した。『ファイト』が報道できなかったその真相をいま明かす。

 藤波辰爾にとって2006年は彼のプロレス・キャリアの中で最も大きな転換期となった。藤波自身が“安住の地”と考えていた新日本プロレスリングを退団し、新団体『無我ワールドプロレスリング』を旗揚げしたのだ。

 何事にも石橋を叩いてから渡るという藤波の慎重すぎる性格を知る者には信じ難い決断。ある意味、武藤敬司、橋本真也、長州らの離脱よりも衝撃的だった。

 新日プロ退団後の理由として、藤波が『ユークス』に申し出た「別働隊『無我ワールド』を丸抱えすること」を拒否されたためとウワサされた。
 
 しかし私は、この程度のことで辞める人間ではなく、やはり06年1月の契約更新で他の選手同様に大幅な減俸を強いられた上、徐々に発言力もなくなっていったことが本当の理由と考えた。


西村修

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