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好景気に沸くWWF視察にアメリカへ、真の渡米目的は?+選手機内遭遇

『レッスルマニア』直前アメプロ強化月間:寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#11

 腐れ縁のウォ−リー山口との待ち合わせ場所はカリフォルニア州フレズノのシェラトンホテル・ロビ−。再会に喜ぶも海援隊の動向に異変を感じ、あれれ、おかしいぞ?・・・そして、遂にWWF(現・WWE)の総帥ビンス・マクマホンとの奇跡の対面。どうなる・・・どうする?・・・さぁさぁご期待あれ!!

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1993年2月『格チャン』収録時のゲスト・宍倉次長、僕、佐山聡さんとキューティ鈴木(左から)、ウォーリーの長女(手前)

 時は、1998年7月25日。日暮里からAM11時57分発成田空港行きの京成スカイライナーに乗車し、王子駅隣のマックで大好きな「べーコンレタスバーガーセット」をテイクアウト。ホームのキオスク、公衆電話から母に旅立ちの報告をして車内でバーガーをむさぼり食った。ふと安堵して「まぁ、乗り遅れなくて良かったな」なんて独り言(笑)。
 成田空港に着き、ドル紙幣へと両替。まぁ大量にしたのだが・・・いくら両替したかは皆さんのご想像にお任せということで。日課と同じく東スポを買い、タバコを1本吸ったら、保険の加入手続きをして、いざ搭乗口へ・・・。これが大まかな渡航へのルーティンというべき手順です(笑)。フレズノの大会のPPVとアナハイムのRAWとサンディエゴのSunday-Night-Heatの3大会にお邪魔して、MCの職をゲットできるか否か・・・さぁさぁ運命の別れ道!!!

 遂に1人でロス経由フレズノのシェラトンホテルまで追いはぎに遭わずに、忘れ物もなく、多少不安なKAL航空便で渡米。今までの安易な(!)旅と違い、天下のWWFでMCという仕事に就けるかもですぞ(不安はイッパイ)。本来なら、MLBだとか欧州サッカー界などでお馴染みのマネージャーが帯同したり代理人制度だとか、いまのご時世ならあるんだろうけど、なにしろ20世紀のお話しだから(笑)。映画『ザ・エージェント』、トム・クルーズ主演なんてものが流行った時代背景とか加味されてたら、僕の交渉はまだ楽だったかも。それでも当時、飛行機や新幹線での移動の際は国内ならマネージャー帯同は当たり前になりつつあったんだけど、結局はウォーリー山口が代理人を務める形に落ち着いた訳でして。多大なる緊張と不安、胸いっぱいの期待感と共に僕の人生にもターニングポイントと言うべき旅立ちの時がいよいよやってきた。なんだかこんな感じで表現してみるとえらいカッコいいですな(笑)。

 KAL航空便PM1時55分発の後部座席に着席し、周囲を見渡したら3人分も席が空いていてリラックスしていたら・・・前方2人の後姿がすごく気になる。注意して見ていたら、その1人が後ろを向き、もうビックリ。当時、バトラーツに在籍していて『格チャン』でも放送、ゲスト出演もしてくれた田中稔選手じゃないか!! 同じくバトラーツの放送時、解説者でフリーライターの藤本記者もお隣に・・・「如何にも世間は狭い」と思った次第。
 だが今回の渡米は、目的の重要性があまりに高い。ロスで乗り換えてフレズノまでは小型機で移動し、待ち合わせのシェラトンホテルまでタクシーに乗って・・・なんて呪文のように頭の中で反復運動をしてたくらいだから(苦笑)、ふたりに再会した喜びを噛みしめる余裕は正直無かった。ほとんどよくあるTV番組の「子供のはじめてのお使い」・・・状態。MCトライアウトの件も秘密だったから。
 しかし、この再会は嬉しい限りだから2人の席まで行き、挨拶したら、当然2人もビックリ。僕が「後部座席が結構、空いてるから移動しない・・・?」と切り出し、直ぐに2人も賛同して、再会を喜びつつ、二人の渡米の目的を尋ねたところ、驚くなかれ、田中君もWWFにトライアウトに行き、藤本君も週プロの取材を兼ねている事を話してくれたのだけど、さすがに僕は二人にMCのトライアウトに行くのだ!とは言えずじまい(笑)。ヤマグチサーンことウォーリー山口に会いに行くのだとさりげなく誤魔化してしまい、今更ながら遅いけど、「ごめんなさい」。
 ただ2人はウォーリーと僕がアミーゴだと知ってたから直ぐに承知していたけどね(笑)。

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1997年1月『格チャン』収録時の田中稔選手と藤本君

 格チャン出演時の田中君と藤本君も連れだって番組終了後に六本木の行きつけの居酒屋で朝まで飲んだ楽しい思い出もあったが、ここは心を鬼にしてシークレット。当時の思い出であるWWFの字幕翻訳のスタッフとのやり繰りとか番組のよもやま話しだとか、そういう会話に終始してあとは一切、他言に無用。やっぱり(願いごとは、他人に話すと実現しない)と、強く思ったりもしていたし・・・。
さて初めてのKAL航空のビールで再会を祝し乾杯(サルー)。当時はメヒコ経由のビールは無料だったんだけどアメリカの航空会社は缶ビール3ドルが基本。お金を取った上に韓国製ビールの不味さったらありゃしない。もう2度と飲むものかと誓ったほど酷かった。
 途中、田中君が仮眠して、藤本君と2人で2時間ぐらい話しして、僕達もオヤスミに。嬉しい再会ではあったがひとしきり話したらさすがにぐったりだったよね(笑)。

 ここで閑話休題。ちょっとした秘話公開ですが、1993〜96年頃にCSの テレビキャンペーンで全国各地を回るというイベントをやった。一緒に回る組で当時の全女・井上貴子と京子のW井上、僕というAグループ3人と、JWPのダイナマイ関西、福岡晶、僕というBグループに分かれ、秋葉原、大阪難波の日本橋、神戸の三宮、広島と博多のべスト電気を訪ねたりしてたんだけど、偶然に博多のイベント前日にJWPの博多スターレーン大会が開催される予定を知り、見に行くことになった。

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1993年12月12日秋葉原でのCSイベントで出番待ちの控え室にて井上貴子選手と

 博多スターレーンと言えば昭和世代には懐かしの体育館であり福岡のメッカ。初観戦の為に前乗りして、宿舎のワシントンホテルにチェックインしてから徒歩で会場へ。5分ぐらいで到着したら、入り口にいたJWPの顔馴染みであるスタッフ達は、僕の顔を見てビックリ。そりゃ何の連絡無しで見に行ったんだからびっくりするよね(笑)。当時、JWPは、SVNからWOWOWに中継局が変更されていたんだけど、人気はうなぎ上りで代表の山本雅俊さんやスタッフの団結力は、ほんと素晴らしかったね。後ろの席でひっそりと観戦しようとしたら、山本さんが気を使ってくれて、「本部席にどうぞ」と臨時席を用意してくれたことがあった。感激、感謝というやつだったね(笑)。
 当時、JWPでは休憩時間にグッズコーナーで、キューティー鈴木と3人ぐらいの選手が呼び込みをしたりして凄い熱気が有り、販売活動とファンサービスを行っていたから、僕も客引きの手伝いをしようと思い山本さんの側に行って、「何か手伝いますよ」って話したら、山本さんが「今夜は、格闘チャンプフォーラムのMCで御馴染みの寺内1/2兵衛さんが来場されています」とまた番宣までしてくれて、至れり尽くせり。そして当時は、キューちゃんとかチエちゃんとかヒカリちゃんと言っていた、いつも通りの調子でキューティーに挨拶したら、僕から声をかけられたことに驚いたらしく「どうしたんですか!? どん兵衛さん!!」
 どん兵衛さん!!またも出ました(笑)。すかさず「どん兵衛じゃなくてハンベイですよ」と、いつも通りのギャグで返したらグッズ売り場に居たお客さんも大笑いになって。結局、この後も尾崎選手とキューティーだけは、一度もハンベイさんと呼んでくれなかったな(笑)。やっぱり当時、CMで人気のあった即席めん日清のあの”どん兵衛”から2人が考えたことか・・・。未だに聞けずじまいであるけどね。

 そしてこの後に信じられないハプニング発生。このグッズコーナーに居た僕にお客さんが殺到して、臨時の無料サイン会が始まってしまい、長蛇の列で嬉しいやらJWPの皆さんに申し訳ないやらで。意外にこの僕も人気があった?(笑)。いくら無料でも僕のサイン貰って、家に帰ってどうするの^^・・と思っても、ファンとのスキンシップ大好きハンちゃんですから、当時は色紙の右上に情熱と書き、名前と日付けで完成のサインだったけど・・・。

 ここで本題に戻るけど、この時、博多スターレーンのグッズコーナーでまだアマチュアだった藤本君が僕のサインを貰っていたそうで後年、その話しを聞かされてむちゃくちゃびっくりしたという。
 時が経ち、藤本君とはフリーライターとして格チャンで対面、1996年5月のバトラーツ勢がゲストの収録後にスタッフと石川雄規代表共々、打ち上げの居酒屋に行きました。二次会は、当時良く可愛がってくれた六本木のバー(元ダウンタウンブギウギバンドのメンバーさん経営)にも足を運び、マスターの大サービスで往年のダウンタウンブギウギバンドの曲を披露してくれて、藤本君共々、むちゃくちゃ感激(笑)。このお店には、昔の『平凡』や『明星』のポスターとか張られていてお宝アイテムグッズが溢れかえっておったのです。勿論、玉置宏さんのマネージャーだというのは、初対面時に自己紹介を兼ねて話してたから、マスターも僕に気を遣ってくれてホント有難かったよね。因みにこのマスター、昔取った杵柄か?ビシッとリーゼントで決めており、乗ってる車はアメ車なんだけど、これがまたピンク色という(笑)。クリント・イーストウッド主演の映画『ピンクキャデラック』に登場したあのタイプで・・・。
 当時、このアメ車、芋洗い坂の店の前に駐車してあって・・・よくドライブにも誘ってくれて気さくに宇崎竜童さんや他の芸能界秘話も含めて・・・まぁここでは書けない話しも含め(笑)語り合ったものです。
お店では故・玉置さんとの競演ポスターを見せてもらったり、日劇出演時のこと・・・etc.もう歌謡曲ファンなら、涙、涙の逸話もよく聞いたものだ。カラオケ好きの僕の為にマイクとなぜか唄本を奥から持ってきてくれて、石川代表とも歌ったり、格チャンスタッフとも唄ったり、久々に盛り上がった一夜を思い出す。店内で販売されているアクセサリーの中から、ロザリオをプレゼントしてくれて良い時間を過ごせた事もつい昨日の事の様に思い出され、未だに・・・感無量。
 藤本君から、その博多スターレーンでの出会いというか遭遇話しを聞かされ、心から、笑顔で真摯に対応しておいて、ホント良かったと安堵の胸を撫で下ろし・・・(笑)。

 田中君とは1997年1月の『格チャン』のバトラーツ収録回のゲストで知り合い、奇跡的な1年半振りの再会がKAL航空の機内だったということで・・・。♪人生って不思議なものですね^^・・・そして、2010年7月25日のDDT両国国技館大会の休憩中に控え室側の廊下で12年振りにまさかのそれこそ奇跡の再会が実現。TAJIRI君と島田レフェリー同様に、直ぐに以前会った日付と状況を忘れていなかった記憶力にあっぱれとgracias(笑)。

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 KAL航空の不味い韓国ビールは遠慮して飲まずに、ジャパ二ーズの円を払い、口直しに大好きなハイネケンを飲み、束の間のお休みタイムへ・・・。ロス空港に到着、もしかしたら明日にアナハイムのアリーナで2人と再会するかもと思いつつも、僕はこの後、乗り換えで未知のフレズノ登場口に行かなければ・・・という焦りもあり、2人とは機内で握手してお別れ。イミグレーションに向かったら、長蛇の日本人観光パックツアーの皆さんがうじゃうじゃ居て、その多さに絶句。早くシェラトンホテルに着きたい一心だったけど、まだ次の搭乗まで2時間余りもあって・・・。
 そうだ、7月25日と言えば1998年に和歌山で「毒入りカレー事件」が起きた日だったね!!と、今回はここまで。次回は、遂に超VIP登場・・・Mr.マクマホンと対面し、会話を交わすの巻(笑)。
お別れの曲は1960年代の名曲で、カラオケでも得意のママス&パパスの「カリフォルニアドリーミング」です。あなたのハートに山本雅俊さんとミルホンネット。adios-amigo.

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2012年03月31日 17:27に投稿されたエントリーのページです。

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