« 今週の「マット界舞台裏」は、星野勘太郎さん追悼記事と売り興行が増えない原因に迫る! | メイン | 女子無差別級王者・中井りん参戦12・30『戦極 Soul of Fight』 »

アレナメヒコ初観戦は、髪切りマッチとウルトラマン登場〜マスク屋へ急げ

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#7

 アレナメヒコ初観戦は、髪切りマッチとウルトラマン登場・・。昼は観光にショッピングと充実。マスクショップの「マルティネス」へ、・・・マスクは何枚か買いましたが、さて、どのレスラーのでしょうか?
 そして、今回の旅行のメインエベント、清水さん夫妻の結婚式が教会で・・・。仲人は、超大物のセニョールが・・・。二次会のパーティも大盛り上がりで大変ですよ・・・。もうここまですると日本人でなく、正しくメキシカンと呼びたい^^。

101208hanbay23-2img057C.jpg
アレナメヒコでの、ウルトラマンとTサラサールと謎の青マスクマン^^^・・

 7泊9日の旅も折り返しの後半に突入。昨夜のエル・トレオは、行きは、ブッチャーさんの好意でリムジンに同乗させて貰い、帰りは、庶民の足=乗り合いタクシーにて皆でアラメダホテルに戻って来て、まだメヒコの洗礼の「下痢」にもならずにラッキーですな・・・。
 もう、何時に起きたなんて覚えてなく、コーヒーを飲み、1978年8月の全日プロに初来日のドス・カラスとトレーニングした「チャペルテペック公園」に散歩がてら行き・・
 ここで早くも、なぜporque・・アラメダホテルの前がアラメダ公園なのに、このチャペルテペックに来たかなんて野暮な事は聞かないでアミーゴの皆さん^^^・。貴方の想像通りかも・・。
 公園では、おもちゃのマスクやマントや他にも沢山あった中で、お買い上げは1980年代後半に当時のWWFで販売していたリングのミ二チュア版のtoyと同じもメキシカンの人形が7,8個付いた仕様。小さいレスラーのフィギュア付がミソで、2010年7月25日にドクトル・ルチャと待ち合わせた、閉店直前の大山アメリカンにもしっかり陳列されていたが、売れたのかな^^^・・・?
 しっかりと今も、物置の棚に厳重に保管してますが、帰りの飛行機は、潰れないか壊れないかと心配したものです。運よく無傷で、メヒコとロスと成田を経由して、桐生まで無事到着したが、何回、誰と遊んだかも・・・・・。決して衝動買いでは無いんですぞ。
 プラモデル系は、以前も銀座の「天賞堂」でサンダーバードの島に浮いてる秘密基地を千葉のアミーゴと買って、今も手を付けてなく、アメリカのtoyショップで買った、バットマン・カー(かなりビッグ^^・・)、これも手付かずでして・・・。大学時代になぜか買った^^^^姫路城の模型も途中で頓挫^^^・・。「ダメだこりゃあー・・」。藤波さんも1996年の『格チャン』出演時も、城の話では笑顔がはち切れていたね^^^・・。誰か買いたい人募集します^^^・・。
 サンダーバードの秘密基地とバットマン・カーですが、箱もちゃんとありますがおもちゃのリングは箱なしで、yahooオークションには出品しませんので、ご了承下さい。

 話は戻り、公園で昔懐かしのアイスキャンディーを頂き、マスカラスブラザースも5年半前に食べたのかと思い^^^一人悦に入って・・・。次は、日本の皇居に匹敵する、独立記念日やW杯での応援等の国民行事と日本から遠征したレスラーは必ずメキシコ国旗を横に記念写真を撮る、ソカロ広場と近くの教会と遺跡跡で祈り、途中のドリンクスタンドにてバナナジュースで休憩^^・・。「ちなみにビールでは無いぞ」。

101208hanbay23-1img056.jpg
ソカロ広場の傍(左)、チャペルテペック公園でリングのおもちゃを買う(右)
101208hanbay23-2img057A.jpg
ソンブレロとメキシカンスーツを買った、メルカード

 次のメルカードでは、メヒコの代名詞のソンブレロ「黒と金neguro-y-oro」を2個とマスカラスの初来日でのコスチュームを着用し、めちゃクールでカッコいい^^・・。マリアッチ広場の
楽団も着用しているが、やはり、1971年2月19日の日プロでの日本debut戦(対、星野勘太郎)での黒地のがmuy-bien^^^。清水さんが値切ってくれて、僕もペソは少なく店のセニョリータに見せても、彼女は、一言「貴方は日本人だから、もっとペソ持っているから安くはしない」と言い引かずに10分ぐらい経っても進展せず。清水さんも演技してくれ、^^^もうラチが開かないので、「他の店で買うからね・・・」と言ったら店員さんが「もう貴方達には負けたわ^^^」と言って、ギブアップして値切り勝ち^^^・。
 買い物を終えて、彼女の一言「お金いっぱい持ってるでしょ・・」。即答で、Nikeのスニーカーを脱ぎ札束を見せて、大爆笑^^^・・。彼女がまた「やっぱりね^^^・・」。これも旅の楽しみの一つ。「サアー皆さんも勇気を出して、演技もチョットしながらトライしてみてね・・」。

101208hanbay23-1img056B.jpg
 良いショッピングも終わり、次は、マスクショップの「マルティネス」へ急ごう・・。三浦さんと伊ヶ崎さんと店に到着し、2代目の父と3代目の息子で沢山のマスクを作り、壁には、レスラーの写真と日本に来日した時の興行ポスターもあったり、トロフィーも有り本物のマスクは買わずに、10枚ぐらい有名、無名の本物でない(偽物マスクなんて表現できず・・)安いのを購入。出来もまあまあで、ドス・カラスとストゥーカも買った・・。店は、昭和40年から50年代のレトロ調の作りで、スポーツ店と云えば理解して貰えると思う・・。
 ここでホテルに戻り、アレナメヒコの出発時間まで初の一人行動^^^。何をしたかと云うと、母と叔母のお土産に有名なメキシコオパールの指輪を買いに、ラテンアメリカタワーの側の宝石店でワーゲンのタクシーを待たせる。余り時間が無く、10分ぐらいで買い返す刀でホテルに戻ったのは、ちょっぴり冷や汗が・・・。メヒコとアメリカでは、冷や汗ものの出来事は5回ぐらいなので、記念すべき第一回目は、やはり忘れられず^^・・。

101208hanbay23-2img057B.jpg
記念撮影お約束のソカロ広場にて

 そして、待望のアレナメヒコの金曜日の定期戦。
 カバジェラ・コントラ・カバジェラは、エルドーベルマンが名前の分らない・・・・赤のタイツに赤のシューズのレスラーに勝ち、内容は全く覚えてない。26年って微妙な年月ですが、記憶に残らないとは、普通レベルの試合だったわけですな・・・。両選手は流血し、恒例の床屋さんが登場して髪にバリカンが入り終わり。他のカードは、ウルトラマン、Tサラサール、謎の・・・vs.エローデス、Eスプレモ、謎の・・・。内容は、またも忘れてしまってる・・。他のカードも分らない・・当時のノートが無くて・・・。
 でもEMLLの総本山のアレナメヒコは、伝統ある老舗会場らしく、独特の雰囲気はさすがだ。日本でも日大講堂と蔵前国技館と東京体育館と田園コロシアムは、もう20年以上も前に取り壊されましたが、強烈な印象は未だ鮮明に記憶に残っている。
 
 実際に観戦した試合の中で・・・日大講堂の1979年7月25日のマスカラスvs. デストロイヤーのUSへビー級王座戦は、マスカラスの日本初のハーフマスクでの戦い。3本勝負1-1の後、マスカラスのリープフロッグが魔王の頭に直撃し、不運な試合放棄負け。翌年の同月同日は、馬場vs. F・V・エリックのテキサス・デスマッチも実現。
 蔵前国技館は、もうお馴染みの1977年12月15日の『世界オープンタッグ』でファンクスvs. ブッチャー、シーク戦。伝説のフォーク攻撃に耐えて耐えたテリー人気が大爆発。
 東京体育館は、1979年4月5日、新日プロ3大タイトルマッチでUWA世界Jrライトへビー級王座戦は、G浜田がBフェースを12分12秒、回転エビ固めで王座防衛。WWF Jrへビー級王座戦は藤波が8分50秒、飛龍原爆固めでぺロ・アグアヨを下し16度目の王座防衛。NWFへビー級王座戦のランバージャック・デスマッチは、猪木が20分21秒体固めでタイガー・ジェット・シンを退けて19度目の王座防衛。正しく消えていくいにしえのプロレス遺産の会場。
 名画の『ニュー・シネマ・パラダイス』・・・原題nuovo-cinema-paradiso.・・1989年第62回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞。同年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞も受賞。同年3月31日、現在シネスィッチを含むミニシアターの入場数新記録12万人達成^^^・。ノスタルジィーの体育館も映画館もコンサートホールも忘却の彼方に・・・。

 1996年6月にもアレナメヒコを再び清水さんと格チャン・スタッフと訪れたが、残念ながら改修工事中で試合は観られず・・・でもネグロ・カサスが偶然ジョギングをしていて、思わぬ再会に喜ぶ。彼のプロ魂は全く衰え知らずで、また尊敬し、レスラーの鏡と云うべき。日々のコンディショニングのあり方がいかに大切か改めて考えさせられます・・。この項の執筆中、イチローさんが10年連続200本安打達成の瞬間をliveで観て、一般人もアスリートも自分で心と体のメンテナンスの大切さを認識した次第です。イチローは、現役45才は出来ると思うし、ネグロも今年の1月で50才ですが、あと5年は大丈夫でしょう・・。

 大きく頑丈な入り口を出て、ホテルに戻り、明日は清水さん夫妻の結婚式が・・・。メヒコに来て、初の試合観戦無しのスペシャルデイ・・。
 結婚式の仲人は、なんとUWA会長のフランシスコ・フローレス夫妻が務め、ゲストに、ウルトラマンとDディクソンとドス・カラス夫妻とメヒコルチャリブレ界の母のドーニャおばさんも出席するという豪華さ。2次会のパーティも大盛り上がり^^^・・。

 今回はここまで・・。お別れの曲は、急に寒さがすぐそこまで来て、皆さんの懐かしき思い出と今まで生きてきた半生を少し振り返ってみて下さい。そこには紛れも無い「あなた」だけの人生が有ったのです。少年トトと映写技師のアルフレードの出会いと別れのシチリアの光と影を映す心のメロディを・・・。
 『ニュー・シネマ・パラダイス』の哀愁のテーマソング・・を作曲したのは、イタリアの巨匠エン二オモリコーネ。1964年のマカロニウエスタン『荒野の用心棒』・・。1971年の『死刑台のメロディ』他多数・・。ゴッドファーザーに匹敵する名曲ですぞ^^^・・。

 では次回に会いましょう・・。「あなたのハートにアレナメヒコとミルホンネット。・・・adios-amigo」

About

2010年12月08日 11:44に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「今週の「マット界舞台裏」は、星野勘太郎さん追悼記事と売り興行が増えない原因に迫る!」です。

次の投稿は「女子無差別級王者・中井りん参戦12・30『戦極 Soul of Fight』」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。