« 第35回プロレス文化研究会。テーマは「2010年代のプロレスーー過去から未来へ」 | メイン | 別冊ミルホンネット『地下プロレス大全 誰か教えてくれよ2010 第一巻 密白』が発売中 »

元NWA世界王者ジャック・ブリスコさんがお亡くなりになられました

100202jack1.jpg
2005年シャーロッテのNWAファンフェスタでは、ドリーとともに元気な姿を見せていたが…


 享年68歳。現地時間の2月1日のことで、心臓の開胸手術をしたばかりの悲報となります。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 インディアンの血を引く通称”南部の麒麟児”は、レスリングの名門オクラホマ州立大学時代にNCAAで優勝した経歴が繰り返し語られていますが、意外と知られてないのは、最初からプロレスファンで、プロレスラーになるためにレスリング部に入ったというタイプであったこと。
 実際のところ、レスリング部在籍は2年だけで大学は卒業せず、1965年に191パウンド級で優勝するや否や、その実績をひっさげてリロイ・マクガークの元でプロとしてデビューしています。

 ファンク兄弟との抗争はあまりにも有名で、特にドリーとのNWA王座戦は数多く行われましたが、オールドファンの記憶に名勝負だったと必ず話題にされてきました。1974年1月29日、大阪市東淀川体育館での王者ブリスコにドリーが挑戦したNWA世界ヘビー級選手権試合はマニア永遠の語り草である。ワーカー(職人)としての評価はピカイチで、もとからプロ志向だったこともあり、デビュー当時からプロレスのタイミング芸術を理解していたことでも知られています。

 日本へは1967年に日本プロレスに初来日。1971年にアントニオ猪木のUNヘビー級戦でお仕事を務めた以降、全日本プロレスでは1974年12月に一週間、ジャイアント馬場にNWA世界ヘビー級王座を明け渡したことでも記録に残る。日本では終始、相手を光らせる役割に徹していたことで知られます。

 1984年4月に弟のジェラルド、ポール・ジョーンズ、ジェリー・オーツと一緒にGCW(ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)興行権の持株合計52%をニューヨークの”悪のオーナー”ビンス・マクマホンに売却。これがローカル・テリトリー時代の終焉と、WWE(当時WWF)の全米侵攻をもたらせたことから、NWAの関係者からは長年「裏切り者」の汚名を着せられてしまいました。

 株を売ったチームはWWFに移籍するわけですが、共に故人となったエイドリアン・アドニス&ディック・マードックの南北コンビ対、弟ジェラルド組との試合中に、すべてが嫌になって引退試合をせぬまま業界から消えたことでも伝説です。
 以降、弟のほうはWWFの重鎮として長らく業界に残りますが、そもそもプロレスファンだった兄貴ジャックのほうは、すべてのプロレスに関することが嫌になり、フロリダで自動車修理工場を経営するのみで、一切会場にも姿を見せなかったエピソードでも知られます。当然、引退後は安易なリング復帰を本当に拒み続けました。

 もっとも写真のように、ようやく近年になってCAC(カリフラワーアレイ・クラブ)のようなOB会に姿を見せるようになり、「裏切り者」騒動からふっきれたと噂された矢先の悲報でした。
 日本でも評価の高いドン・レオ・ジョナサンは、「20世紀で最も偉大なレスラー」と絶賛していたことでも知られます。

100202jack2.jpg
撮影:藤井敏之

About

2010年02月03日 00:12に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「第35回プロレス文化研究会。テーマは「2010年代のプロレスーー過去から未来へ」」です。

次の投稿は「別冊ミルホンネット『地下プロレス大全 誰か教えてくれよ2010 第一巻 密白』が発売中」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。