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「ちょっと一息ブレークタイム」昭和プロレス望郷の旅 byプロレス美術館:古新聞追激戦

先週の「ちょっと一息ブレークタイム」は東京プロレス旗上げ戦(昭和41年10月14日)が行われた翌日の新聞。
自分で原稿を書きながら、今週は“ハズレ”かな?と思いながらアップさせていただいた。
すると予想は見事にはずれ、何人かの方々に、「今週は一番面白かった!」とお褒めの声をいただいた。
「それでは、今度はこの古新聞はどうですか?」と調子にのって申し訳ないが、第二弾をアップさせていただきたい。
力道山が刺された翌日の夕刊紙である。

この紙面は昭和38年12月15日発行のスポーツ毎夕(毎夕新聞社)。もう内容の説明は割愛させていただくとして、
まず、紙面を見てほしい。

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最初にこの1面を目にした瞬間、誰もが「力道山が刺されて、なぜ大見出しがデストロイヤーなの?」
「それにしても、力道山の扱いが小さすぎる!」と思うだろう。
力道山は刃物で刺されたものの、軽症で命には別状なく、数日間の欠場で復帰できるだろうといった見方が大半を占めていたらしい。
つまり、誰もが、死に至るとは思ってもいなかったため、記事が小さくなったと思われる。
1面で報道はされているのの、離れた距離から新聞を見ると、まったく目立たず、デストロイヤーの企画物がトップ。これは、既に完成されていたインタビュー記事を予定通りにレイアウトしたのだろう。
ただ、推測ではあるが、「力道山刺される!」の速報が、当時の印刷技術では、スムーズに差し替えられなかったとも考えられなくもない。
そんな中、一週間後には事態が急変。力道山が急死した翌日の各スポーツ紙、一般紙ともに「1面トップ」。
(1面トップの大見出し記事は残念ながら、プロレス美術館には存在しません。次の写真は参考記事として三面記事や社会面に掲載された切り抜きです。)

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当時、「あの力道山が死ぬなんて?」と日本列島が仰天したそうだが、力道山はプロレスラーであり、格闘技家ではない。
レスラーであるがゆえに、ケーフェーを守ろう(「レスラーは一般人よりも強靭な体格を維持しているため、この程度のケガでは病院に行く必要はない」という、世間へのアピール)として、すぐに病院に行かなかったとの説がある。それが事実としたら、命の危険を省みず、プロレスを守ろうとしたプロ根性は、常人には理解できない部分である。
さて、次の本文をお読みください。
23rikidou-sinnbunn1090716.jpg

この本文中の前半部分には、「刺された後、すぐに手当てを受けて自宅に帰った。」となっているが、真実はどうなのか。
また後半部分には「事件当日、出血多量による意識不明になるが、医師の執刀で手術を受け、意識を回復した」とある。

「文章の前後で、矛盾が生じているのでは?」と思うのはボクだけなのでしょうか?
つまり要約すると、こうである。
「意識不明になるほどの出血が激しい患者を緊急手術し、その結果、意識を取り戻し、執刀医師は『入院の必要なし』と判断し、自宅に戻った。」
こんなことが実際にあり得るのだろうか。
現代の医学をもってしても、考えられない珍事である。
プロレスのアングルによくある「奇跡的な回復」は、この場合、ちょっと通用しないのではないだろうか。


おとぎ話でもあり得ない矛盾したストーリーが、まじめに執筆され、有料で読者に届けられていたのであった。

54年力道山〜沢村忠キックの誕生『マット界の黙示録☆真正文化史』

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2009年07月17日 16:46に投稿されたエントリーのページです。

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