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“80’S・プロレス黄金狂時代”Act25「ジャンボ鶴田の“自制”」

『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 〜時代の風が男達を濡らしていた頃”』
 Act25「ジャンボ鶴田の“自制”」

 中央大学法学部在籍時におけるレスリング部入部不許可のいきさつはミスターポーゴ、関川哲夫氏の『ある極悪レスラーの懺悔 第1章』に詳しい。
 これまで通説とされてきた事柄がいかに風説として歪められてきたか、関川哲夫氏の著述がそれらを雄弁に物語っているが、それはジャンボ鶴田という一時代を築いた、いわば往時の“全日本の顔”であった人間・鶴田友美にも当てはまることだろう。

 漏れ伝わってきた、その人間性はまことに温厚そのものといった按配ではなく、我を完遂させようとする強い信念を匂わせるものだった。普段見せる当りは柔らかいが、一度こうと決めたら頑なに意志を貫こうとする強靭さ、やはりジャンボ鶴田も“昭和”のレスラーによく見られた“プライド”をどこか恒に醸しだしているレスラーであった、と私は往時を懐かしく思い出す次第。

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 鶴田はその晩年、「怪物」という異名を得ていたが、「怪物」としてのイメージは天龍源一郎による87年の『天龍同盟』結成以後、90年代にかけての『超世代軍』、三沢・川田・田上・小橋といった面々に対しての“威勢”なのであり、やはり筆者がもっとも記憶に留めているジャンボ鶴田というレスラーの印象は赤星(星条旗)のトランクス、“若大将”としてのイメージの方が相応しい。「善戦マン」という、あのなんとも有り難くない時代の鶴田がより鮮明に思い出される。

 だがのち、彼が逝去したあとは様々な有為の場所でその“強さ”ぶりが回顧されてきた。三沢や川田たちと対峙してきた時代のそれと逝去後の「怪物」論は本質という点において違うようだ。
 三沢らと対峙している頃のそれは鶴田が“受ける”という立場によって作られたものであり、主にスタミナ等に代表される肉体の驚異性によるものだった。逝去後のそれは相手が“受けた”“受けさせた”場合の技等に代表される技術論に根ざしたもので、受身をより良く取らせるか?試合における対戦者との間合いを指すものが主に多く語られている。
 ある一定の呼吸法による無尽蔵のスタミナを指す「怪物」論と、対戦者にある一定の距離間を持って試合を組み立てていく「怪物」論。本質的な違いこそあれ、鶴田は賛美を多く受ける形で黄泉の国に旅立ったのだから幸せなレスラーのひとりと言えるのかもしれない。

 生前から一部では、日本人歴代最強レスラー説なるもので必ずと言ってよいほど、上位に位置するレスラーだったが、反面、その“強さ”自体に疑問符を投げかけるひともまた多く居たことも事実だ。昭和の時代では“プロレスラー最強幻想”が広く幅を効かせていたわけだし、プロレスは見るひとの主観で幾様にでも変わる世界だから、それはそれで一向に構わないとは思うが、逝去後は、もう固定されたイメージ以外の逸話をも披瀝されるようになり、より人間・鶴田友美という側面からアプローチされるようにもなった。
 
 若過ぎた第一線からの撤退、そして逝去。そこに多くのひとびとが感化を受け、“ジャンボ鶴田・日本人最強幻想論”は渦を巻くこととなる。

 見事に弧を描くバックドロップひとつにしても対戦者の受身の上手さ、下手さを考慮して放たれていた、起き上がるタイミングで相手のダメージがいかようか察し、瞬時に次の技をどうするか決めていたなどという風説はまことに彼に纏わる“幻想論”から起こったものとして興味深い。
 オリジナルホールドを持たないと揶揄された鶴田を称し「結局、生涯においてプロレスラーとして完遂出来なかったレスラーだろう」とさるファンブロガーは手厳しい見方をしているが、オールマイティであったとの解釈付けはやはり“鶴田寄り”という見方になってしまうのだろうか?
 
 そういった「プロレスラー論」とは別に、対戦者に大技を喰らった際のあの大げさな全身を痙攣(けいれん)させる仕草。今では懐かしさと共に微笑ましき感覚まで起こさせるのだから時の移ろいとは不思議なものである。

 馬場が一線を退き「悪役商会」との対戦で前座戦線を賑わせていた頃、鶴田は最前線で文字通り“全日本の顔”として活躍した。後年、ドリー・ファンク・ジュニアはアマリロのファンク道場に入門したての頃の鶴田を称し、「技ひとつひとつの覚えが悪く、試合運びも拙かった」と辛口の批評をしていたが、のちに“怪物”として全日本のリングにそびえたつ次第だから時代の変遷を追う作業は愉しいものだ。

 鶴田のファンは今でも根強く、“若大将”時代の鶴田や“怪物”説が頻繁に起こった頃の鶴田を回想し、記憶の断片を掘り起こそうとする。

 いずれにせよ、もう二度とその勇姿を見ることが出来ない昭和プロレスラーのひとりとして筆者も心から改めて哀悼の儀を送りたいと思う。
 「ジャンボ鶴田選手。本当にお疲れ様でした。」
 満場のファンと共にコーナーポストに上がって一斉にこだまする「オー!!!」連呼の雄叫び。今でも多くの人々の記憶の断片としてその胸に潜み続けている。もう、彼が亡くなって8年以上も過ぎ去ってしまったのか・・・・・・。合掌
                                          (筆記・美城丈二)

  ☆往時、かなたの時代へタイムスリップ!!
    ⇒『ミスターポーゴ著作集』
    ⇒『美城丈二著作集』

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2008年12月11日 17:09に投稿されたエントリーのページです。

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