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ヒョードル敗れる!コンバットサンボ世界選手権

今月に行われたコンバットサンボ世界選手権に出場したエメリヤエンコ・ヒョードルが準決勝でブルガリア人柔道家、Blagoy Ivanovに敗北し、銅メダルに終わった。
投げから押さえ込みでポイントを奪われたヒョードル、その後、ポイントを取り返すが及ばず8-5のポイント差で判定負けになった。

現在、総合格闘技の世界でヘビー級トップと称され、今年になって、元UFC王者のティム・シルビアに快勝し、総合NO.1を証明したヒョードルだけあって、サンボという違う競技とは言え敗北は衝撃的なニュースだ。

勿論、サンボルールだったからでMMAルールなら、という意見もあるだろうが、それはボクシングで負けたキック選手がキックルールならローキックで勝っていたと主張するみたいなものなので意味は無いだろう。

ちなみに、このヒョードルを倒したBlagoy Ivanovは前回大会でもヒョードルと戦っており、その時は逆に判定負けしているのだが、ヒョードルと接戦を演じており、今回は雪辱を果たした事になる。
実は総合格闘技の練習もしているらしく、元UFCトーナメント王者になっているオレッグ・タクタロフとも親交があるらしい。

さて、日本ではあまり馴染みの無いサンボだが、元々はグルジア、ウズベクスタン、アゼルバイシャン、カザックなどかつてのソビエト連邦の共和国に古くから存在していた独特の格闘技をアナトリー・アルカディェビッチ・ハルラムビエフという人物が統合。
1938年、全ソ人民委員会所属の「体育及びスポーツ委員会」という国の機関によって正式に競技として定められたのがこのサンボだ。

サンボは「武器」「不所持」「自己防衛術」という3つのロシア語の頭文字を組み合わせた造語で、1967年12月に、ソ連リガ市で第一回国際選手権が行われるなど、近代スポーツとして注目を集め、1966年には国際アマチュア連盟の正式管理種目にもなっている。

このサンボが日本に伝わったのが1963年、ソビエトレスリング選手団とともに4人のサンビストが来日し、模範演技を披露してくれた。
その後、1965年に日本アマチュアレスリング協会の笹原正三常務理事が中心になり、日本サンボ協会を設立。翌年には全日本サンボ選手権大会を開催するなど普及に努めてきた。

とここまでがいわゆる通常のサンボだが、総合格闘技ファンの間で普通にサンボというと、このヒョードルの参加したコンバット・サンボを指す場合が多い。
日本に初めてコンバット・サンボが紹介されたのはリングスのヴォルグ・ハンらが来日した前後と思われるが、その時、「コマンド・サンボ」と紹介された事だろう。
この「コマンド・サンボ」の正式名称が「コンバット・サンボ」である。

コンバット・サンボはソ連の国家警察や軍隊で正式に採用されている白兵戦用の格闘術の事だ。
白兵戦術や実際に武器をもった敵を想定して発展してきた為に、打撃、投げ技、関節技と、なんでもありの実戦格闘技として進化してきている。

だから、このヒョードルが敗れた大会も、通常のサンボでは無く打撃も認められたルールだ。
ヒョードルが取り返したポイントも打撃で奪ったポイントだ。

勿論、胴着あり、ポイントなど様々な部分で総合格闘技とは大きくルールが違うが、それでも打撃ありのルールでヒョードルに勝利した、ブルガリア人柔道家、Blagoy Ivanovも凄かったといわざる得ないだろう。

Blagoy.jpg
ヒョードルに勝利したブルガリア人柔道家、Blagoy Ivanov。肩を組んでるのはタクタロフ。

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