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マット界に咲いた邪道FMWというあだ花

 大仁田厚が全財産の5万円を元手に新団体FMWを89年7月28日に設立、10月6日に名古屋・露橋市スポーツセンターで誠心会館空手館長の青柳政司相手に旗揚げ戦をした背景には、本物志向のUWFに対するアンチテーゼの側面が否定できない。プロレスを格闘技だと偽ることをせず、「プロレスはプロレスなんじゃ」と開き直り、お客が面白いと思うものを提供する「なんでもあり」路線のことだ。

 女子プロもルチャも、おもちゃ箱のようにパッケージ化して楽しませる。93年のシュート革命以降、「なんでもあり」は総合ルールを指す用語になってしまった嫌いがあるが、嘘泣きの名人だった大仁田こそがエンタテイメント路線の元祖であることは疑いようがない。米国のECW革命すら、FMWがお手本だった輪廻がある。

 ただしミスターポーゴの本篇にある通り、この黎明期時点のマット界では「ニタって誰?」の状態であり、90年8月4日のレールシティ汐留にて、大仁田がターザン後藤と世界初の電流爆破マッチを敢行したのを契機に、何でもありの弱小団体が知ったかぶりファンの冗談扱いから、世間に認知されていったと言えよう。


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 以下は、ポーゴのおふくろが亡くなった9月以降の初期FMWの略歴である。
1990年9・20―11・5
バトルフィールド(全11戦)−オーニタ・フリーク・イン・オータム(全4戦)

9・12 ソ連スポーツ組織「DIRA」との提携発表。グルジア出身の柔道家グレゴリー・べリチェフらがプロレス・デビューする。
9・19 ポーゴ、プエルトリコでの大仁田襲撃に関する全面謝罪の記者会見、ポーゴのシリーズ参戦が認められる。
9・20 奈良橿原(かしはら)体育館。台風19号の影響の大渋滞でリング到着せず。30分以上遅れで体育館のマットをほぼ四角形にした状態でのノーリングマッチ。ただしこれは東スポと組んだ一面記事捏造用のやらせで、トラックは大仁田の指示で引き返させたに過ぎない。専門誌系記者らは本当の話だと信じ込まされていた。

10・26 美濃 オーニタフリーク開幕   ミックスド男女混合マッチ  T後藤&デスピナ夫妻対リッキー・フジ、くどめ
11・5 駒沢オリンピック公園体育館 FMW旗揚げ一周年興行 WWWA認定ブラスナックル選手権テキサス・デスマッチ
○大仁田厚(KO、11分8秒)ミスターポーゴ● 5度目の防衛

GE・KI・TO・TU!(全6戦)〜SE・N・RI・TSU!(全10戦)91・3・23−5・6
91年3月24日草加市体育館
FMWvsプエルトリコ軍4vs4イリミネーションマッチ
大仁田、後藤、浅子、上田勝次vsポーゴ、グラジエーター、メンドーサ、ホセ・エストラーダJr キックボクサー上田勝次大爆発!

3・26横須賀ではトルネードタッグデスマッチ。

3・28後楽園では工藤(引退を賭けた)対豊田(2・27では工藤が敗退)工藤勝利で第2代WWWA世界女子選手権獲得。
〇大仁田、後藤、浅子対ポーゴ、グラジエーター、メンドーサ●

4・27神奈川大和で戦慄開幕 上田対べリチェフの名勝負実現。ホーガンの甥のホーレス・ボウダーが初来日。

5・5愛知国際会議場。大仁田対べリチェフ(2度目)。またもベリチェフ完勝。練習生の江崎、のちのハヤブサが急遽デビュー。
(以下、ブログ欄では省略)
 
 第12章 転機到来! FMW始動
 解説資料の全文は、第13章巻末に収録されています。

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2008年09月21日 17:02に投稿されたエントリーのページです。

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