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美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act21【ストロングマシーン】

 『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 〜時代の風が男達を濡らしていた頃”』
  Act21【“悪の正太郎君”若松市政とストロングマシーン軍団】
 
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  “悪の正太郎君”
 当時、“言葉の錬金術師”古館伊知郎アナはマネージャー役の若松市政をそう、称した。オールドファンには懐かしいTVアニメ『鉄人28号』を操る少年探偵団・金田正太郎君を指してのことだ。拡声器でがなりたて「将軍KYワカマツ」として入場する。

 操られるほうのストロングマシーンの正体は、言うまでも無く平田淳嗣。当初はあの「キン肉マン」に扮していたとされ、にも関わらず初お目見えの際は布状の袋のようなものを頭からすっぽりと被り、いかにも怪しい雰囲気で猪木勢の見方なのか敵なのか、判然としなかった。
 総じて、猪木イズムに感化している人々は、このギミックに渋面を見せていた。増殖していくという世界観がいかにもショーアップを思わせるもので、途中で中身が入れ替わるといったトリックはまさに茶番を匂わすものでもあったから、是か否か、賛否を大きく分けたのである。

 後年、「ハッスル」に代表される学芸会なのか、格闘競技なのか、曖昧然としたプロレスファンタジーが幅を効かせ始めると、過去を振り返って「ストロングマシーン」も“早すぎたムーブ”と賞賛されもした(といっても「ハッスル」側は飽くまでもプロレスではなく、ファイティングオペラだという主張を覆さなかったが・・・)。

 時は長州力率いる維新軍団が大挙して全日本プロレスへと去っていった時代。引き続き注目を浴びるには維新軍に変わる、ギミックの創造が急務とされた。そこで編み出されたのが、ストロングマシーン、さらにはその増殖化ギミックだった。ストロングマシーンではなく、キン肉マンの登場であったならば!?作者のゆでたまご、二氏はGOサインであったとされ、版権元の集英社をもOKであるならば、プロレス界に生身の「キン肉マン」登場ということになり、史実は大きく変わっていただろう。

 キン肉マン登場は、いかにも維新軍を覆う世界観の逆をいく発想だろうから、猪木氏が「それで行こう!!」と了承しそうな発想との推測は抱ける。だが、新日本マスクマンとしてはタイガーマスクやザ・コブラの二番、三番煎じ。このギミックが当たったかどうか、微妙な気もするが・・・。
 何故、初登場の際、布状のもので頭をすっぽりと覆っていたか? 維新軍離脱が予定調和ではなくリアルな出来事という、新日本にとって思いもつかぬことだったからだ。だからこそ、まだ版権元までの了解を得られぬままの段階で登場させてしまったとの、時の新日本首脳陣の慌てぶりが想像される。
 84年8月24日、後楽園ホール。ストロングマシーンは登場時点で敵か味方かどちらに振り子が振られても良いという、いわば苦肉の登場でもあったのだ。

 平田は、その前座時代、あの前田日明らと熱戦を繰り広げた若き勇者である。プロレスのムーブも上手く、メキシコ、カナダ・バンクーバー遠征を経て新日本マットに「ストロングマシーン」として再上陸する運びとなった。遠征時代に長州・マサ斉藤の要請を受け、維新軍入りとの一部マスコミの報道もあったが、新日本は事前にこれを察知しており、それもあって平田の新日本マット再登場を許さなかった。新日本プロレスにとっては維新軍増殖こそ脅威であったのだ。

 平田はこのストロングマシーンのギミックをのちのちまで上手く繋ぎ、途中、マスクを脱いだ時期もあったがスーパーストロングマシーンとして延命してきた。星野勘太郎総裁率いる魔界軍団でも1号を努め、「スーパー・ストロング・魔神」として活躍した時期もあった。
 平田の活躍が顕著であったからこそ2号、3号、ひいてはあのアンドレのジャイアントマシーンやマスクド・スーパースターの変身・増殖化が功を奏した、その後も数々の似通ったギミックを繰り返すことが出来たとのより良い解釈付けも出来ようが、いずれにせよ新日本プロレスマットのその長い歴史に確個たる一頁を刻んだのは事実だろう。平田自身はいまや裏方に回りセミリタイヤの状態ではあるが、時代時代の新日本首脳部に反発して反旗を翻していくレスラーが多い中で、従順に奉仕した名バイプレーヤーとの見方も出来ようか。

 若松市政はあの今はなき、国際プロレスの職員、いやリング屋兼運転手からプロレスラーになったとの経歴が示す通り、筆者には苦労人とのイメージが強い。レスラーとしてよりもマネージャーとしての働きが顕著というべきか、国際プロレス崩壊後はカナダに渡り、マネージャー業を主とした。増殖化ストロングマシーン軍団にはうってつけのマネージャーギミックだったと、後年には評価されたが、登場直後は「もっと陰鬱な、それでいて大物感漂う、たとえば往年のハルク・ホーガンに寄り添うフレッド・ブラッシーの如き人物の方が良かったのではないか?」と揶揄する向きもあった。

 のち、様々な変遷を経たとはいえ、維新軍団脱退により、未曾有とされた、時の新日本・・・そのピンチをしのぎきったのだから、現在ではより良く評価する識者も多い。維新軍離脱後もTV視聴率がほとんど落ちなかったことは語り草になっており、いつの時代でもマニアと世間一般が求めるものはリンクしにくいという側面も見てとれよう。

 後年、あの桜庭和志選手がストロングマシーンのマスクを被り、入場してきた際の観客の喝采が、未だ記憶に新しい。時代が大きく変換していたとはいえ、プロレス黄金時代を振り返るようで、私もその入場時には感慨を抱いた次第である。


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2008年09月29日 07:56に投稿されたエントリーのページです。

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