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革命戦士チェ・ゲバラとルチャ・リブレ

08.7.11cheG.jpg近年伝記映画が公開されるなど、キューバ革命の父、チェ・ゲバラがちょっとしたブームになっている。ゲリラ指導者としてキューバ革命を成功に導き、なおもコンゴやウルグアイで革命を試み、ついに銃火に散ったチェ・ゲバラ。そのゲバラとプロレスとの間に意外なつながりがあることをご存じだろうか?
と言っても、旧UWFのテーマ曲集のライナーノートで藤原喜明が「チェ・ゲバラ的存在」と称されていたことを言っているわけではない。ゲバラ本人とプロレスとの間に深いつながりがあったのだ。

時は1955年、キューバ革命が開始される一年前。フィデル・カストロと出会い、ともに革命の道を歩むことを決意したゲバラは、ゲリラ戦のエキスパートであるアルベルト・バーヨ中佐の訓練を受けていた。
ゲバラはバーヨ中佐から徒手格闘術の教官として紹介された人物を見て唖然とする。それはルチャドーラー 「インディオ」こと、アルサシオ・バネーガスだったのだ。

当時のゲバラのルチャ・リブレに対する理解は「ぴょんぴょん飛んだり撥ねたりする曲芸」程度のもの。馬鹿にされたと思って怒るゲバラを、バネーガスは黙ってリングへと誘った。
ゲバラがノックアウトされるのには、一分とかからなかった。一度納得するとさすがにゲバラは人物が大きく、一番真面目な生徒としてバネーガスから学んだという。
この師弟関係は翌年のゲバラらのキューバ入りによって終了したが、メキシコ滞在がもう少し長ければリングに立つゲバラやカストロの姿が見られたかもしれない。

ルチャ・リブレから「自由への戦い」の精神を学んだゲバラの活躍ぶりはご存じの通りである。

DENNY喜多川 山口敏太郎事務所

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2008年07月11日 17:49に投稿されたエントリーのページです。

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