« 2006年12月 | メイン | 2007年02月 »

2007年01月 アーカイブ

2007年01月04日

松本幸代のミルブロ!

【自慢】

皆さん! といっても一体どんな層の方が何人ぐらい見て下さっているのか皆目見当がつかないですが、とにかく明けましておめでとうございます。

新年早々、自慢したいのだが、初詣でおみくじを引き、みごと大吉をゲットした。

これは私にとって快挙以外の何者でもない。
くじ運のなさにかけては恐らく日本で五指に入るほどだけに、宝くじの300円を当てたこともなければ、年末セールの福引きもティッシュや飴玉以外もらったことがない。

人の結婚式およびその二次会にはすでに30回以上出席しているが、7割の人が景品をもらえるビンゴゲームも常にハズレ。もちろん花嫁が投げたブーケも私の頭上を越えていく。

当然ながら、初詣のおみくじも半吉だの半凶だのばかりで、「え、本当に入ってるの?」と目を疑う大凶まで引き当てている。そんな私が初の大吉。しみじみ嬉しい。

初めて見る大吉のおみくじは、とにかく書いてあることすべてがいいこと尽くめで、2007年の大成功が約束されたよう。大吉って、本当にいいもんですね。

ただ一点、恋愛運のところだけが引っかかる。

「誠意を尽くしても相手は柳のようです」

言いにくそうに遠回しな表現をしているが、恋愛はスカらしい。押しても引いても駄目っぽい。だって「相手は柳のよう」だから。じゃあ、あんまり恋愛の突風は吹かさず、地道に仕事をこなしていこう。

本日、全日本キック後楽園ホール大会から、2007年の取材初め。頑張ります。

2007年01月05日

プロレス美術館館長の『迷走ナビゲーション!?』

K-1ダイナマイトのリングサイド席と後方席(2007・1・5)

 『週刊ファイト』休刊から迎える初めてのお正月。新春合併号がコンビニに並んでいないのが寂しい。また本来であれば、昨年年末には『週刊ファイト』2000号を手にしていたはず。今年も復刊を願い、バックナンバーを読みあさる日々が続く。ボクはその『週刊ファイト』でちょこっとコラムを執筆させていただいておりました“プロレス美術館”湯沢です。ミルホンネットさんの大切なスペースにコラムを書かして頂くことになりました。よろしくお願い致します。

 さて例年ながらの大晦日。プロレスファンの今年の選択肢は格闘技が2興行(『K−1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』およびPRIDE男祭り2006−FUMETSU)とプロレスの1興行(インディーサミット、後楽園ホール)から。ボクは京セラドーム大阪の『K-1Dynamite!!』をチョイス。
 そのメーンイベント桜庭和志VS秋山成勲。これほど、真っ二つに寸評が分かれた試合は珍しい。これはあくまでボク個人の見解であるが、アリーナ席後方およびスタンド席の観衆にとっては「不透明決着だ!」とフラストレーションをアラワにした人が多い。その一方でリングサイドから2人の一挙手一党足を凝視した観客は「ストップがあまりにも遅すぎる!」とつぶやいた人が多いような気がする。RS3列目で観戦したあるファンは「あそこでストップしていなければ、桜庭が死んでいたかも?事故が起こってからでは遅い!」と震えていたほど凄惨な試合に見えたらしい。
 だがその同じ試合をリングサイドから200メートルはあろうかというアリーナ席最後列以降の観衆には、試合の展開をハッキリと見て取れていたにもかかわらず、凄惨なシーンには程遠く(?)、「まだ反撃のチャンスは残っていたのではないか」と評価は一変する模様(もちろんこのような観戦位置による区分けは全ての観客には当てはまらないが)。
 ここでこの試合のポイントを敢えて1つ挙げるとすれば、公式発表がレフェリーストップであったこと。実はレフェリーストップとアナウンスされたものの、全くレフェリーは試合をストップするモーションを見せていない。後にわかったことだが、実際は前田日明をはじめとする立会人側がレフェリーの意思とは無関係なところで危険とみなし、ストップをかけたのが真相のようだ。彼らはもちろんリングサイドでファイターの安全を見守る役目も果たす。さまざまな意味で桜庭の限界は明らか。この裁定が遅れ、桜庭に何かあれば、『K-1』のブランドにキズがつく。
 改めてビデオを見直すと、桜庭が試合途中から猛抗議を繰り返していた「秋山の体が滑る」というのも、負け惜しみに聞こえて仕方がないほど実力の差は歴然。このような完全決着が客席後方には“伝わらない”ことを改めて実感したドーム興行でもあった。 
 実際に京セラドームのスタンド席で観戦した人々は正月早々、異口同音に不満を爆発させていた。「1ラウンド終了のゴングだと思ったら、試合が終わっていた。スッキリしない新年だ!近いうちに再戦を望む!」と。だが恐らくこの実力差は永遠に縮まらない。いャ、むしろ広がる一方だろう。桜庭がPRIDEでバンダレイ・シウバに何度も挑んだときのような悪夢はもう御免。それよりも今年の大晦日は2003年大晦日に行なわれた曙vsボブ・サップに匹敵するスーパーマッチの実現を望みたい。

2007年01月06日

松本幸代のミルブロ!

【セクスィー】

五月雨式に年賀状が届いている。
女子プロレスラー、女子格闘家の方からもたくさんいただいた。
それぞれ個性が出ていて、何度眺めても楽しい。
その中でセクスィー度ナンバーワンといえば…文句なしに、女子総合格闘家・スマックガールフライ級女王・しなしさとこ選手に決定!

写真をお載せしたいのだが、もったいないのでやめておく。
ざっと説明すると…まず日本刀を持ってます。柄はテーマカラーの赤です。
で、背中に和彫りの昇り龍。この彫りがですね、背中を越えて腰、腰を越えてその先まで入ってます。
で、よーく観ると、おーっ!!! え? あ! え、え!? みたいなね。

今年は勝負の年。それを大胆に全身で表現してくれました。
これを見てしまうと、どうにもこうにも、2007年のしなしさとこに期待せずにはいられません。

どうしても見たい! という方は、しなし選手のブログをどーぞ↓
http://blog.shinashi.com/

プロレス美術館館長の『迷走ナビゲーション!?』

CIMG0117.JPG

 毎年、私は新日プロ1・4東京ドーム大会を“ファンにとっても心の新年会”だと常に意識して会場を訪れていた。それが今年は欠席。・・・12年前に患った椎間板ヘルニアが再発し断念せざるを得なかった。大晦日の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』に足を引きずりながら強行観戦し、さらに悪化させたのは明らかで、もう歩行困難状態。だが1人寂しく自宅でPPVを観戦することだけは免れた。
 実は、「プロレス美術館」が関西地方を中心とした旅行情報誌(LEAF 1月号)に掲載されていたことと、地元京都の年越しオールナイトラジオ(KBS京都)が元旦早々、美術館内で実況中継を行なってくれた影響で、多数の人々が訪れてくれ嬉しい悲鳴。その延長で1・4新日プロのPPVを目当てに来場してくれたファンが、狭い展示室を超満員にしてくれた。
 改めて思うことだが、これだけ老若男女が集まると、試合に対するスタンスは千差万別。一昨年より試合開始が15時から18時に変更されたことで、5時間を超えるような長時間興行は困難。すると前座試合が短縮され、内容が淡白になることを嫌う人。また渕正信VS菊タローの“お笑いネタ”を腹の底から楽しむ若者。坂口征二の無愛想な認定書朗読に不快感を示しトイレに立つ人。三冠戦(チャンピオン・鈴木みのるvs挑戦者・永田裕志)でベルトが移動しなかったことで、次に行なわれる「IWGP戦(チャンピオン棚橋弘至vs挑戦者・太陽ケア)でのタイトル移動はあり得ない」と断言する人。
 そんな中、来場者が唯一、声を揃えたのは「私が選んだこの日のベストバウト」。それはもちろん三冠戦の鈴木vs永田戦。「この試合が12月に行なわれていれば、久々に新日本プロレスから“MVP試合”が選出されていたかもしれない。」という意見にうなずく人の姿が印象的だった。
 だが、興行の“結び”であるメーンイベントの見所が入場シーンだけで終わってしまったのは何よりも寂しい限り。やはり興行は「最後がよければ全てよし」と、よく言ったものである。
 あるファンが当館を去る際に残した言葉がこの日の全てを物語っていたかもしれない。
「いャー、1試合を除いて、しょっぱいモノ(試合)ばかり沢山食べさせられて、血圧が上がっちゃったみたいだよ」。

2007年01月09日

松本幸代のミルブロ!

【ライバル関係】

1月4日は全日本キック、1月8日はJ−NETと2007年初春はキック詣(もう)でで幕を開けた。両大会で印象に残った試合は、奇しくもすべて“ライバル”をキーワードとするものだった。

全日本キックのセミでは、ムエタイの“壊し屋”クンタップに左目をふさがれながら、“ハマのプリンス”佐藤皓彦(あきひこ)が図太い根性を見せた。佐藤の所属するJMC横浜GYMには、全日本ウェルター級王者の大輝(だいき)がいる。佐藤と大輝は同じ23歳で、入門時期もほとんど同じ。今のところ、佐藤は実績において大輝に大きく水を開けられている。佐藤が今回、あそこまで踏ん張れた陰には、大輝に対するライバル心も大きく作用していたに違いない。

トリプルメイン第2試合で、“日本人キラー”ワンロップに執念のドロー劇を演じた石川直生は、一度敗れている前全日本フェザー級王者・山本元気が、常に頭の片隅から離れない。全日本キックは今年10月、いよいよ代々木第二の大箱に進出するが、出場の可能性を聞かれた石川は、真っ先に「あいつしかいない」と対戦相手として山本元気の名を匂わせた。

今回のJ−NETで文句なしのベストバウトだったのはチームドラゴンの新鋭AKIRAvs木村敬明の一戦だ。1Rに2度、2Rにも1度ダウンを奪われた木村だが、驚異的な巻き返しで最後はKO勝ち。一昨年に対戦した時には、まったく逆の展開でAKIRAがKO勝ちしている。誰もが認めるライバル関係となった両者が、さらに成長した姿で決着戦を迎える日が今から楽しみだ。

悔しいけれど実力は認める。だけど、こいつにだけは負けたくない。

人生の中でそんなライバルと出会えることは、たぶんそれほど多くないはずだ。幸せなことに、私にもライバルがいる。高校時代の友人N。2人とも世界史が好きで、交換日記(してたんだよな、これが)ではお互いを歴史上の人物になぞらえて呼び合っていた。

私はNを「アレキサンダーJr(ジュニア)」と呼んでいた。ヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸をガシガシとわずか10年で征服したアレキサンダー大王に、Nは強烈に憧れていた。

Nは私を「マルコポーロJr」と呼んでいた。ヨーロッパ人にとっては謎の地であったアジアで、なんとなく飄々と生き延びて、『東方見聞録』をしたためたマルコポーロ。その風来坊的な生き方に、私は憧れていた。

具体的な将来像なんて、まるで考えていなかった。Nはひたすら「世界制覇」を夢想し、私はひたすら「世界放浪」を夢想していた。

あれから20年。Nはガシガシと思うがままに生き、想う人に一直線に突き進み、今は2人の娘を持つ図太い母親だ。一方の私は…世界を股にかけてはいないが、飄々と、ノウノウと、そこらあたりを放浪している。放浪しながらいつも心のどこかで「Nに負けるわけにはいかないな」と思っている。

20年前の成人の日、私とNは式をエスケープして富士山を見に行き、たどりついた富士の裾野で声を枯らして叫んだ。「絶対、アレキサンダー大王になる!」「絶対、マルコポーロになる!」

成人式の1月8日、AKIRAvs木村敬明の凄まじい倒しあいを観ながら、ふとあの時のことを思い出した。

プロレス美術館館長の『迷走ナビゲーション!?』

試合会場で、サイン会を予定している選手は、より過激なファイトをするのか?

会場で生観戦し、激戦にエキサイトしたり、あるいは凡戦続きでフラストレーションを溜めると、周囲の人々と盛り上がったり、グチったりするのは当たり前。最近では携帯メールの普及により、大変ご丁寧にも写真添付で観戦記を送ってくれる人が増えた。大半が試合終了後であるが、中には前半戦終了の休憩時間に大量の文字数を頂くこともある。
これはつい最近の実話であるが、頂いたメールを読み終わると同時にお礼のメールを送るのだが、また間髪いれず「休憩時間が長く、暇で仕方がないのです」と送り返してきた。
彼に言わせれば、大会を主催する団体が休憩時間の売店で1000円でも多くの売り上げを上げたいために、試合再開が2分・・・3分と先延ばしにされていくのがミエミエで、売店からお客が引くと同時に後半戦開始のゴングが連打されたという。
また私を含めオールドファンの方々ならば、ここまでならば日常茶飯事で、まだ免疫ができているのだが、このレベルを超えると、ファンを置き去りにした利益至上主義の運営だと言わざるを得ない。
例えば、場内が休憩時間に入った時、前半戦の最終試合を闘った選手が、控え室に戻らず、汗も拭わずグッズ売店に直行することがある。その選手が“ベストバウト”を提供した後ならば、おのずと売店の集客力は増し、売上アップにつながることになる。それがサイン会ともなれば、記念撮影まで加わり、1人当たりの接客時間は長くなる。休憩時間として見込んだ予定時間の10分〜15分(?)が経過しても、そのサイン会の列は途切れる気配を見せない。この光景を眺めていて思ったことは、「客席で試合開始を待つ大半の観客は、ある意味“被害者”なのか?」と。ファンからすれば、リズムとテンポの良質なイベントを提供した上で、売上至上主義であってほしいものである。

2007年01月13日

松本幸代のミルブロ!

【エスパ】

ネットで様々なスポーツの最新ニュースやコラムを配信するOCNスポーツで、ライカに関するコラムを書かせていただいた。

http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/view/02/index.html

「スポーツの文化超人類学・ESPA(エスパ)」という特集ページでの仕事だが、今回をもってエスパは最終回を迎える。初めてエスパを見た時、デザインや写真のクオリティの高さ、内容の充実ぶりに驚き、「紙の時代は終わるのか?」と危機感さえ覚えたものだ。

イチローに始まり、小野伸二、琴欧州、横峯さくら…各界のトップアスリートを徹底フィーチャーし、企画の遊び心もたっぷり。「記録と記憶」というデータページは詳細を極め、資料価値も高かった。

全26回の特集の中で、私はライカ、ビーチスポーツ(ビーチサッカーを担当)、中村俊輔、山本“KID”徳郁(姉・美憂へのインタビュー)、そして最終回の今回、ライカのその後を担当させていただいた。ビーチサッカーの取材では、自身初の沖縄行きを実現。俊輔の回ではセルジオ越後氏から貴重なお話をうかがうなど、なんと言うか、私のほうこそ「記録と記憶」に残します!と言いたくなるような経験を、多々させていただいた。

メジャースポーツの中で、ほとんどの人が知らない女子ボクシングというジャンルに光を当ててもらったことも、本当に嬉しかった。

全26回、どの回のどの目次をクリックしても、そこにはスポーツを愛するスタッフの情熱がこぼれ出るほどにあふれている。今回でエスパは終わるけれども、さらにパワーアップし、さらにスポーツ愛に満ちた新企画がスタートすることを心から祈る。その暁には、いちファンとしてたっぷり楽しみたいと思う。

2007年01月15日

プロレス美術館館長の「迷走ナビゲーション」

秋山成勲がスキンクリームを塗るシーンをTVカメラクルーが撮影していたのなら、その映像を公開すべきでは?


 まず、今日のBLOGは全て私の憶測で書こうとしているもので、何の確証もないことを断っておきたい。
 FFG(K-1)は昨年大晦日「Dynamite!!」(12月31日京セラドーム大阪)のメーンイベントで行われた桜庭和志vs秋山成勲において、10日以上も経った1月11日、公式記録(レフェリーストップによる秋山の勝利)を覆し、試合の不成立を発表した。試合終了から、11日の発表当日まで、250時間にも及ぶ長い時間は、何を意味するのだろうか、大変興味深いところである。単なる対応が遅れただけとは思えない。桜庭、秋山それぞれの関係者を含めた両軍、および主催者の三者が、この事件によって被るダーティーイメージを最小限に抑えるために、さまざまな議論が交わされたのではないだろうか。大会主催者のFFGは秋山に対する疑惑の検証を終えたものの、判明した事実はあまりにも悪質。そこで、その真実をストレートに公表する勇気はなく、弁明手段として、最良のストーリー作りに時間を要したのではないか、と推測できる。もしグローブ疑惑問題も含め、真実の一部始終を公表すれば、“秋山の永久追放”以外の処分はあり得ない。これでは秋山個人の選手生命に関するだけではなく、主催者であるFFGのイメージダウンも避けられない。 
 そこで、プロレス的なアングルの完成をもくろみ、とにかく、考えられたストーリーから一切の矛盾点をさらけ出さないことを念頭に、今回の“発表事項”を250時間かけて、完成させたのかもしれない。すると、この試合のマッチメークから試合終了後の桜庭の猛アピールまでは、ガチンコ勝負だったものが、年越しを境に一気に“アングルの世界”と化してしまったことになる。だが冒頭に書いたように、これも全て私の憶測。今後、主催者側が“ある映像”を公開することで、私の憶測が的外れであったことを痛感させられる日が来るかもしれない・・・。もちろん、ある映像とは「バックステージで、秋山が堂々とテレビのハンディーカメラの前でスキンクリームを塗っていた」とする映像である。

2007年01月16日

松本幸代のミルブロ!

【赤い女王】

1月13日、スマックガールが3・11新宿FACE大会のカード発表記者会見を行なった。大会名は「SMACKGIRL 2007 〜女王は新宿の夜を赤く染るか?〜」。
「女王」「赤い」とくれば、この人しかいない。赤い道衣&コスチュームがトレードマーク、スマックガール・フライ級女王しなしさとこの登場である。この大会のメインで、禅道会の瀧本美咲との王座防衛戦が決定。2人揃って会見に出席し、意気込みを語った。
サファリ系のシャツをパリッと着こなしたしなしは、笑顔の輝きが以前より増していた。前にもここで書いたが、しなしは昨年8月、渡辺久江に敗れ5年間無敗記録が途切れた。その事実は本人が思うよりずっと心と体をむしばんでいた。
「わたし、病気だったんです!」
会見で、彼女はとても病気だったとは思えない跳ねるような口調で言った。「今は大丈夫!」と、その口調でアピールしていた。
立ち直るきっかけとなったブラジルへ、しなしはまた向かう。試合直前に戻るまでの1ヵ月半、彼女はさらに心と体に磨きをかけるんだろう。
「いいなあ。ブラジルエステ」
と私が言うと、しなしは口を大きく開けてアッハッハ! と笑い、
「いいでしょー? ブラジルエステ」
と言った。

会見で気づいたことを書いておこう。
会見の最後、しなしと瀧本はベルトの両端を持って記念撮影に臨んだが、ポーズや角度を変えても、しなしは必ず自分の側へグイとベルトを引き寄せた。
やっぱり強い。気が強い。
この気の強さが5年間無敗のプレッシャーを支え、これから先の無敗を後押ししていくのだろう。
そして、なすがままにベルトをしなしの方に預けた瀧本。
この飄々とした感じがまさに瀧本で、闘いにもそのまま表われている。
相手に取らせると見せかけて、取る。
これまで2度勝っているとはいえ、しなしが侮ろうものなら、いつの間にかピンクのベルトが瀧本の腰に巻かれている可能性も十分ある。
面白そうだな、この闘い。

http://mamadas.cocolog-nifty.com/blog/

2007年01月18日

松本幸代のミルブロ!

【ライスショルダー】

今日発売の講談社『モーニング』で、「ライスショルダー」という新連載が始まった。
テーマはなんと女子ボクシング! 
前号の予告では

熱くて笑えるマンガを描かせたら当代随一!
「1シーンに1回“笑い”を入れないと落ち着かない」
と語る漫画家なかいま強、モーニング初登場!!

と見開きでデカデカと載っていたので、とても楽しみにしていた。
さっそく手に入れてみると、なんと表紙&巻頭カラー!
表紙には「世界最強のおなご リングイン!」というキャッチとともに、右肩に米俵、左肩に弟? を担ぎ、体操服の胸に「おこめ」というゼッケンを貼った、逞しくも朴訥そうな主人公のイラストが。

内容はまだ読んでいない方のために控えるけれども、なんだか「びずん!」と面白そうですよ! それにしても、あの『専務 島耕作』の前に女子ボクシング漫画がラインナップされているとは…なにかこう、しみじみと嬉しい。
『モーニング』は「鉄人ガンマ」が終了して以来、ご無沙汰気味だったが、隔週連載の「ライスショルダー」で、また手に取る機会が増えそうだ。

http://www.e-1day.jp/

2007年01月20日

プロレス美術館館長の「迷走ナビゲーション」


 新日本プロレスの今シリーズ(創立35周年TOUR Circuit 2007 NEW JAPAN ISM)の最終戦にカート・アングルのワンマッチ参戦が決定した。
 だが“アングル参戦”と聞いても、どうも心が躍らないし、ピンとこない。理由は簡単。迎え撃つ日本陣営が貧弱で、真のエースが不在であるため、夢のカードが想像できないからである。アントニオ猪木が新日本プロの絶対的エースだったころは、大物外国人選手が新日本プロに初参戦すると、猪木との頂上対決が絶対的な切り札として一定期間温存されていた。来日すると、まずは若手選手を中心としたデモンストレーションから始まり、6人タッグマッチでお茶濁し。これで1日でも長くファンの興味を引っ張るかは、マッチメーカーの腕の見せ所でもあり、団体運営のセオリーでもあった。
 だがそのセオリーを無視し、初登場(初参戦)でいきなり猪木とのシングマッチを打ち上げ、ファンは度肝をぬかされることもあった。その最も衝撃的だったのが、ブルーザー・ブロディを全日本プロから引き抜いた際の両国国技館での猪木vsブロディ(昭和60年4月18日)である。だが20年という年月が経った今日はどうだろうか。ずばり、マッチメーカーの手柄うんぬんの問題ではないほど新日プロの選手層は弱体化している。大々的に超大物外国人選手であるアングルの参戦を発表しても、反応したのは一部のWWEマニアのみ。当然、彼らが、期待したのは元WWEスーパースターのジャイアント・バーナード(WWE参戦時はA・トレイン)とのシングルマッチのみ。バーナードが新日プロの常連外国人選手でなければ、さらに興味は薄れていただろう。
 また同じ質問を、プロレス美術館の常連会で、新日プロのファンにぶつけてもやはり、真っ先に挙がるのが、このアングルvsバーナードで、日本人絡みのカードに期待感はない。本来ならば、新日プロのエースの称号である現IWGP選手権保持者、棚橋弘至や同タッグチャンピオンである中西学とのシングルマッチが浮上しなければならないが、これらのカードを“ドリームマッチ”と呼ぶには、かなり無理がありそうだ。この事実が、現在の新日プロに“事実上のエース不在”であることを証明しているかのようである。
 かといって、80年代の全日本プロレスがそうだったように、外国人同士で興行のメーンイベントをマッチメークできるほどのブッキングルートも資金も人材も乏しい新日プロ。ユークスを通じて、全日プロと業務提携関係にある現在、敢えて夢のカードを挙げれば、アングルvs武藤敬司、あるいはvs高山善廣あたりだが、このカードですら両国国技館がフルハウスになるとは思えない。

2007年01月23日

松本幸代のミルブロ!

【ボクシング療法】

今日は池袋の榎本クリニックで、ボクシング療法のクラスに参加してきた。

ここはおもに精神科のデイナイトケアセンターで、薬物、アルコール、ギャンブル、摂食障害、買い物依存など、様々なアディクション(あることにのめり込んでやめられないこと)に対応している。

榎本クリニックは治療の一環として週3回、ボクシング教室を開催していて、初代女子ボクシング日本フライ級王者の八島有美が、講師として招かれている。彼女やボクシング療法の取材をするために昨年2回、見学をさせてもらったのだが、今回いよいよ私も参加してみることにした。

格闘技とプロレスの取材を続けてかれこれ10年になるが、自分でやるのは初めて。初グローブ、初サンドバッグ、初スパーリングだ。前の晩はどうにも緊張して、「一応ステップぐらい覚えておくか」と部屋で前後に揺れてみたけれど、すぐにふくらはぎに鈍痛が走りやめてしまった。だから正真正銘のぶっつけ本番だった。

その本番がどうだったかといえば、いやあ、できなかった。かっちょ悪かった。
それでも恥ずかしいとそんなに思わなかったのは、年齢のせいでようやく羞恥心みたいなものから解放され始めてきたのと、まわりの人々の雰囲気のせいだろう。

参加者には、今でも薬をやめられなかったり鬱だったり、とにかくいろいろな人がいて、それでもグローブをつけると、ビショビショに汗をかきゼエゼエ言いながらサンドバッグやスパーの相手と格闘する。疲れたら、とりあえず休む。休んでも特に叱られることもない。みんな自分のリズムで1時間半を過ごす。

そういう空気の中にいると、なんだか自分の情けなさも「まあ、いいか」と許せてきて、頑張って連打をした後などは、素直に「自分で自分をホメてやろうか」という気にもなる。ふだん生活していると「ああ、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と強迫観念に背中をつつかれることが多いけれど、ここでは誰からも強制されないし、見えない何かに背中をつつかれることもない。肌に当たる空気がチリチリしていなくて、心地いい。

まあ、そんなこんなで、へっぴり腰のボクシング初体験が終わったわけだが、取材そっちのけでボクシングを楽しんでしまったことに一抹の不安を感じる。これでいいんだろうか。とりあえず…いいか。とにかく仕事の合い間を縫って、週に一度は通ってみることにしよう。

プロレス美術館館長の「迷走ナビゲーション」

 ブルーザー・ブロディとタイガー・ジェット・シンはともに暴走型悪役レスラーの典型的なタイプ。だが、表面上とは裏腹の人間性はあまりにも対照的だった。
ブロディはプロモーターの指示を無視しても、商品としての“自分の魅力”を最優先するタイプ。つまり映画に例えれば、監督の指示にクレームをつけ、自分の演技を貫き通すだけで、共演者との協調性はゼロ。一方のシンはその真逆で性格は気弱でクソ真面目。監督の指示を忠実にこなす優等生、周囲の人々に反感を買うことなどあり得なかった。   
 これは仮の話。ある事情で、会場での場外乱闘や凶器(チェーンやサーベル)の使用が全面的に禁止されたとしよう。シンはもちろん絶対厳守。一方のブロディは“掟破り”もなんのその。当然、これにより団体側が受けるであろうペナルティーにもお構いなし。
 ここで、話はいきなり飛んでしまって恐縮だが、私の個人的な話。・・・年末から椎間板ヘルニアが原因で激痛に襲われ、救急診療扱いで医療機関に飛び込んだ時の事。まずベッドの上に横たわると、医者の指示で看護士が一時的に激痛を抑えるため、さまざまな処置をしてくれた。ほとんどの看護士は医者の指示通りに処置を施すのが当たり前の縦社会において、当然、末端の患者の気持ちは二の次となる。だが、ある1人の看護士だけは違っていた。医者の指示に対して、「先生、それだと患者さん(私)に負担がかかりますので、違った方法が・・・」と言って、ドクターの指示よりも、患者側に立った治療方法を優先してくれたのだ。ここでは、その方法が的確であったかどうかは私にとって問題外。とにかくその計らいに感動したのだった。“自己中心でなければ生き抜くことすら困難”とも言えなくもない実社会。普通の医療機関では考えられない患者本位の治療。
 ここで頭をよぎったのは、プロレス界の興行システム。とっさに医療機関のドクターを、プロモーターであり映画監督と置き換えていた。すると看護士はレスラーの立場、そして患者が観衆となる。プロモーターや映画監督、および医者の指示は絶対的権限を持っている。これに対し、シンは「YES」と忠実に役割分担をこなす。ブロディは常にマッチメーカーに反抗し、トラブルメーカーで「NO」を連発。またここで登場した看護士もある意味「NO」を唱えたことには違いはないが、両者の背景はあまりにも違いすぎる。ブロディは自己主張と己の商品価値を守るためで、ファンのために「NO」と言ったわけではない。一方の看護士の場合は、自分の利益のために「NO」といったわけではなく、末端の患者の立場を最優先して、「NO」と発言してくれたのである。
 シン━ブロディ━看護士、三者を比較すること自体がナンセンスだが、プロレス界においても、この看護士のように、上層部に対し、ファンの立場にたって、「NO」と発言できるレスラーは美しい。新日本プロレスにおいても「猪木さん、それはファンの立場からすると全くナンセンスですよ」と提言できる人がいなかったことが「新日本崩壊」の根源だったかもしれない。

プロレス美術館HP

2007年01月28日

プロレス美術館館長の『迷走ナビゲーション』

 どの業界にとっても新規固定客の獲得ほどありがたいものはない。プロレス界でも、このテーマは他のジャンル以上に難しく深刻化。プロレス美術館に来場してくれるファンも、40代以上の男性が圧倒的に多く昭和のファンがほとんどで、平成のデルフィン層との出会いはゼロに等しい。
 そんな中、先日、訪れてくれた観戦暦35年のお父さんは小学5年生と中学2年生の息子を連れて3人でやってきた。息子たちも少なからず、格闘技にも興味を持っていた様子だった。考えてみれば、2000年にオープンしたプロレス美術館も7周年を迎えるが、親子連れでの来場は珍しい。
 だが、話を聞けばおとうさんの影響が極めて強く、プロレスを見始めたが、結局は地上波で放映している総合格闘技に興味を持ち始めた模様。もちろん、父は格闘技にはほとんど興味を持たないほどのガチガチのプロレス党。そのおとうさんが息子にもプロレスに興味を持たそうと思って、さまざまな工夫を凝らし、プロレスの魅力を伝えようとしたが、子供たちが興味を持ったのは結局、総合格闘技の方だったようだ。
 この現実をおとうさんは次のように解釈しているようだ。


 「私たちと違い最近の小学生は物心がついた頃には、プロレスと総合格闘技が同時に存在するために、リアリティーのある総合格闘技に魅力があるのではと思います。また、競技とは別のセレモニー等で、華々しさがある『K-1』などにも自然と目がいくようです。ある小学生同士の会話を耳にしたのですが、彼らからすると、総合格闘技の場合は技が決まれば秒殺で終わるのに対し、プロレスでは何回も同じ技を決められた上に、相手がそれでも負けないのは、攻撃側のレスラーも力不足」。結局、「プロレスラーは格闘家に比べて、練習が足りないために、勝者、敗者ともに『失格』の烙印を押されかねないのでは?」とプロレス界の未来を危惧。

 
 確かに、将来的にプロレス界に多額のお金を落としてくれそうな有望見込み客を、自ら取り逃がしているように思えてならなかった。

プロレス美術館HP

About 2007年01月

2007年01月にブログ「ファイト!ミルホンネット お知らせ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2006年12月です。

次のアーカイブは2007年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。