日本プロレスのルーツとは?

 日本プロレスのルーツとは?
 日本で最初に行われたプロレスとは何だろうか?
 普通に考えれば1887(明治二十)年6月築地において 山響部屋の元力士・浜田庄吉のマネージメントにより「欧米大相撲」「西洋相撲」などと称して興行が行われたものが最初と思われる。

 しかし、昔のプロレスの本によると、日本で行われた最初のプロレスは驚くなかれ、紀元前23年。
 野見宿禰(のみ の すくね)と当麻蹴速(たいま の けはや)が時の天皇、垂仁天皇の前で行った天覧試合のデスマッチこそ日本最初のプロレスとしている。
 調べてみるとこの天覧試合は、『日本書紀』に記録されており、野見宿禰と当麻蹴速が『捔力』(「すまひとらしむ」または「すまひ 」と読む)を行い野見宿禰が勝利したとされている。
 これは学術的には相撲の元祖とされており、天照大神の第二子である天穂日命の子孫である出雲の国の野見宿禰と開化天皇の系統の皇族である小俣王の子孫であり大和国の当麻蹴速がそれぞれ力自慢をしていたので、時の天皇、垂仁天皇が勝負せよと命じたとされている。

 但し、現在の相撲とは違い、殴る蹴るなんでもありの勝負で、実際に野見宿禰が蹴りを叩き込み、倒れた当麻蹴速の腰を踏み折って勝利したので、相撲では無く、むしろプロレスであるという説なのだ。
 ただし、ギャラリーを前にしての戦いなので、プロレスということなんであろう。

 ちなみにこの殴る蹴る、何でもありゆえに、かつては打撃があった柔術~柔道も、むしろ相撲では無く柔術の元祖という主張をしている。
 今から考えるとこのルールはまさに初期UFC、昔のブラジルVTに見えてしまう。
 結局、素手で何でもありで1対1で戦う事に、人々は紀元前から魅せられていたのだろう。
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野見宿禰の図