[ファイトクラブ]美獣ハーリー・レイスさん三回忌:秘蔵写真満載で思い出回顧!

[週刊ファイト8月5日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼美獣ハーリー・レイスさん三回忌:秘蔵写真満載で思い出回顧!
 photo & text by 西尾智幸
・レイスさんは、2019年8月1日満76歳、肺がんで他界
・思い出の名勝負は1976年、川崎でのアブドーラ・ザ・ブッチャー戦
・松葉づえでめった打ちに戦慄を覚えた
・ジャイアント馬場との闘いに、ハーリー・レイスあるある
・初の生レイスはいきなりJ鶴田とのNWA世界戦:中学2年生が撮った写真はこれだ!
・今ではありえない! 3日間で計150分闘ったNWA世界戦3連発
・1984年最強タッグリーグ!Nボックウインクルとの元世界王者チームは夢のコンビ
・最後にレイスさんの試合を観たのは、1985年の剛竜馬戦
・本間朋晃のこけしのルーツは、レイスさんのダイビング・ヘッドバット
・昔、風格、貫録を感じる王者のベルト姿~今、格好いいファッション的ベルト姿
・レイスさんと写真に写る名優たちは、ほぼいない悲しい現実
・NOAHでの最後のレイスさんの勇姿


 “ミスター・プロレス”ことハーリー・レイスが肺がんで亡くなったのが2年前の2019年8月1日、満76歳だった。今年は、早くも三回忌となる。
 訃報を報じた当時の本誌はこちら https://miruhon.net/125307

 筆者の中で、世界最高峰のベルトNWA王者といえば誰? と訊かれると、ザ・ファンクスでもなく、ジャック・ブリスコでもなく、リック・フレアーでもなく、このレイスであった。また、筆者の中では“ミスター・プロレス”より“美獣”のほうがしっくりくる。その時代だ。
 ちなみに、WWWFはボブ・バックランド、AWAはニック・ボックウインクルが、その王者のイメージが強い。
 全日本の常連だったレイスには数々の思い出があり、ちょっと古いネガを引っ張り出してきて、筆者なりの回顧をしてみたい。

 まず、自分の生観戦云々はさておき、レイスの思い出深い試合と言えばなんだろ?・・・と、自問した瞬間にすぐに出てきたのが、1976年5月13日、川崎市体育館での対アブドーラ・ザ・ブッチャーとの遺遺恨凄惨マッチであった。
 まだプロレスを観始めたばかりで、当時中2だった筆者には、あまりの衝撃マッチだった。
 事の発端は、その5か月前、1975年12月10日に岐阜でこの両者が闘い、レイスが左肩を負傷。翌日11日の“力道山十三回忌追善興行”で、負傷欠場の挨拶を行っていたレイスを、これまたブッチャーが襲う。このシーンも強烈だったが、この決着戦がこの日に行われた。両者血だるまのまさに凄惨な試合となり、5分ほどでノーコンテストの裁定が下った。松葉づえでブッチャーを殴打し、折れた部分をブッチャーの額に突き刺すレイスが、忘れられない。
 結局、収まらない両者は会場の外にまで飛びだし、果てしなく乱闘が続いた。
 当然、全日本の常連外国人となると、御大ジャイアント馬場との対決も見応えがあった。馬場がNWAを3回戴冠した内の2回は、このレイスから獲っている。(あと1回はブリスコ)

 ここで、突然ですが、ハーリー・レイスあるある!
・別にブッチャーのような悪役でもないのに、やたら大流血する事が多い。
・コーナーに登るといつもデッドリー・ドライブで投げられる。
・試合の前後は、控え室でカードゲームをやっている。

 馬場戦を思い出すと、こんなあるあるが思い浮かびます(笑)。

 そんなNWA世界戦。唯一、生で見られたのが、ジャンボ鶴田戦。そして、この試合は、筆者が初めて生でレイスを観た試合でもある。

■ 1979年5月7日 ハーリー・レイスvs.ジャンボ鶴田戦(NWA世界戦)
大阪府立体育会館
60分3本勝負
①レイス 20分17秒 体固め
②鶴田 2分50秒 エビ固め
③6分10秒 両者リングアウト

 流石に、42年前だと記憶曖昧で、手元に資料もなかったので、細かい流れは分かりませんが、最初はグランドから始まって、ブレーンバスターやサイドスープレックスなどの大技も出しつつ、最後は両リンで決着つかず。やはり、レイスの“のらりくらり”は印象にあるが。
 そんな淡い思い出の試合。何のカメラの知識もない中坊がガムシャラに撮っただけの、素人写真にちょっとお付き合い下さい(笑)。

 当時36歳のレイス。このシリーズは、チャンピオンにとって過酷過ぎるスケジュールで、まずこの日鶴田と約30分闘って、翌8日にディック・マードックと60分時間切れ、更に、翌々9日に馬場とまたも60分時間切れ。これ、全てタイトルマッチ! 3日連続で!!
 結果は、全部引き分けだけど、そういう問題じゃなくて、3日間で150分も闘えるスタミナは、スタミナ定食の大盛り食べても無理(笑)。常人じゃない! でも、それでこそ世界チャンピオンを名乗れる!!

 あと、無冠の時期は、世界最強タッグにも、よくパートナーを替えて参加していたけど、ちょっとワクワクしたのは、1984年! なんとパートナーは、元AWA世界王者のニック! 夢の元世界王者コンビ。これはまさに最強でしょう! この頃はプロレスに夢があったんですよね。

■ 1984年12月11日 世界最強タッグリーグ 公式戦 
ハーリー・レイス&ニック・ボックウインクルvs.ジャンボ鶴田&天龍源一郎

 なぜか、鶴龍相手でも、最後は大流血していたレイスでしたw

 他に、写真が残っている試合は…。

■ 1981年12月3日 世界最強タッグリーグ 公式戦
ハーリー・レイス&ラリー・ヘニングvs.ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ

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