▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉞
東日本大震災 復興チャリティープロレス開催!”ご褒美”はらこ飯
・3月11日、東日本大震災から今年で7年
・宮城県名取市箱塚桜団地、仮設住宅の皆さんにチャリティー・プロレス開催
・皆ノーギャラで試合!地元ライオンズクラブも協力
・産経新聞が活動の記事を掲載!ボランティアも参加
・朝市で販売していた浜焼きやあら汁をいただき元気100倍!
・トラブル発生!リングが駐車場のアスファルトからはみ出した
・「どんどん写真を撮ってください!SNSに投稿して拡散させてください!」
・奇跡的に雨が止み、史上初の“仮設住宅前特設リング”が完成
・亜利弥´ 飯田美花 ケン・片谷 リッキー・フジ 矢口壹琅
・はらこ飯“ご褒美”当時19歳の飯田美花がひと桶平らげる
東日本大震災 復興チャリティープロレス開催! 自分にできること。それはプロレス。史上初? 仮設住宅前プロレス! すべて手作り。子供からお年寄りまで、初めてプロレスを見る人にも楽しんでもらいたい。頑張ったご褒美は『はらこ飯』?
3月11日。今年もこの日を迎えました。未曾有の被害を出した東日本大震災から今年で7年です。
毎年この日は、慰霊の意をこめて現地に出向いたり、震災関連の様々な追悼イベントに参加させていただいています。
今年は、早稲田大学ボランティアセンター『気仙沼チーム』の皆さんと一緒に、運命の14時46分を迎えました。
あの日から7年が経った今も、避難所あるいは仮設住宅での生活を強いられている人がまだ7万人もいるそうです。復興とは名ばかりで、実際にはまだまだ何も進んでいないのが現状です。
1分間の黙祷の間、7年前のことを思い出していました。
東北だけでなく、我々が住んでいる関東でもコンビニやスーパーから物が消えました。連日の報道に驚愕し、日に日に被害は拡大していきました。
「試合や観光で頻繁に訪れていた東北が大変なことになっている。何とかしなければ…。」
気持ちばかりが焦り、何をしたら良いか全く分かりませんでした。
地元の有志を募り、何度も何度も東北に向かいました。現地の惨状は、テレビで見ていたそれとは違い、想像を遥かに超える凄惨なものでした。
そんな活動を続けるうちに、宮城県名取市の仮設住宅の皆さんと繋がりができました。名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、津波で大きな被害を受けたところです。この仮設住宅(箱塚桜団地)には、津波で家や家族を失った方々が生活をしています。
そんな皆さんと仮設住宅の前で餅つきをしたり、夏祭りに参加したりと楽しい時間を過ごしました。被災者の方々も、我々といる時は一瞬だけ辛いことを忘れ、笑顔で接してくれました。
それでもオイラは、ボランティア自体に疑問を感じていました。我々がどんなに頑張っても亡くなった人は帰ってこないし、被災者の皆さんの本当の辛さを理解することはできない。困っている人たちの前で何もすることのできない自分が情けない。無力の自分に苛立ちを隠せなくなっていたのです。
自分ができることは何か? 自分にしかできないことは何か?
を考えた時、やっぱり自分にはプロレスしかないと気付きました。
これまでも、施設や幼稚園、地方の小さな村などで、試合を行ってきました。その度にお年寄りから小さなお子さんまで、様々な人たちにプロレスを楽しんでいただきました。
「被災者の前でプロレスができないか?」
オイラの夢はどんどん膨らんでいきました。
短い東北の夏が終わろうとしていた頃、思い切って箱塚桜団地の自治会長さんに相談をしてみました。すると、嬉しいことに会長さんもノリノリで話に耳を傾けてくださいました。会場は、仮設住宅の駐車場を貸していただけることになりました。しかし、ここで問題発生です。間もなく名取市には厳しい冬がやって来ます。そうなると、屋外の会場で試合を行うのは無理です。試合をしている選手はいいが、観ているお客さんに風邪を引かせるわけにはいきません。
何とか冬が来る前に試合がしたい。しかし、諸々の予定を繰り合わせると、準備には2~3か月掛かります。
紆余曲折を経て、開催日は11月13日に決定しました。それでも初雪が降るか降らないか、微妙な時期です。
とにかく皆さんにプロレスを見せてあげたい。大急ぎで準備に取り掛かることにしました!
しかし、これまでの経験から言っても、興行をひとつ打つというのは大変なことです。ましてや今回は、被災地でのボランティアとして試合を行う訳ですから、いつも以上に問題は山積みです。
一番ネックとなったのは経費です。これは、どの団体でも頭を悩ませているところだと思いますが、今回の趣旨はあくまでボランティア。会場は無料で貸していただけるとしても、入場料を取ることはできないし、他の面で営業を掛けることも難しい。どうやって経費を捻出するかが最大の難問となりました。
幸いにも、オイラのプロジェクトに快く賛同してくれるレスラーがたくさん現れました。皆ノーギャラで試合をしてくれるというのです!
しかし、リングのレンタル代と運送費だけはどうしても実費としてのし掛かってきます。リング代とトラック代、そしてガソリン代とざっと数十万円の経費が掛かってしまいます。
そんな時、救世主が現れました。地元のライオンズクラブの協力により、リング代を出してくれることになったのです!
いよいよ、話が具体化してきました。
何とか冬が来る前に…。準備は急ピッチで進められました。
ありがたいことに、人が人を呼び様々な人脈ができました。どんどんボランティアの輪が広がっていったのです。産経新聞さんにも活動の記事を掲載していただき、それを読んだ方がボランティアに参加してくださることもありました。
8人のレスラーとスタッフが集まりました。選手の人選は一番頭を悩ませたところです。老若男女、来場する全ての人に楽しんでもらうため、バラエティに富んだ選手を選びました。お陰で、この時点で最高のメンバーが集まったと自負しています!
リングを借りる目処もつきました。あとは当日を待つのみです。
試合の前夜に都内で合流し、夜通し運転をして現地に向かいました。選手・スタッフの負担を考えると本当に心苦しいのですが、これも経費削減のためです。ここまで協力してくれた選手・スタッフの皆さんには本当に感謝しています。
朝7時、目的地の名取市に到着すると、そこは生憎の天気でした。小雨がパラつき、かなり肌寒いです。東京ではTシャツ一枚で歩いていたというのに、ここは東北。やはり、冬の足音は近付いていました。
しかし、そんな天気を憂いてもいられません。先ずは、朝市に行ってビラ配りです!
震災前、毎週日曜日に開かれ賑わっていた漁港の朝市ですが、津波により漁港は崩壊。復興の願いをこめて、スーパーの駐車場で臨時的に開催されていたのです。
レスラー全員、手当たり次第に試合のビラを配りました! 一人でも多くの方にプロレスを生で観ていただこうと皆必死です。
朝ごはん代わりに、朝市で販売していた浜焼きやあら汁をいただき元気100倍! 寝不足も忘れ気合い十分です。
会場へ移動し、今度はリング設営です。空を見上げると、依然として冷たい雨が落ちてきます。
ここでも経費削減のため、人手が足りません。しかし、大ベテランの矢口壹琅さんやリッキー・フジさんまでもが、積極的に動いてくださっています。こういったところが今回のメンバーの強みです。オイラの人選に間違いはありませんでした!
ここでトラブル発生! 事前に何度も何度も見積もりしたはずなのに、やはり当日になってみないと分からないことはたくさんあります。なんとリングのサイズが、駐車場のアスファルトのところからわずかにはみ出してしまったのです!
運悪くはみ出た部分は、砂利が敷き詰められている場所で不安定なのです。コンパネを敷いても、他の鉄柱よりも下がってしまうので、これでは危なくてリングが組めません。
辺りを見渡し、何か咬ませられる物はないか必死に探しました。ありったけの板や段ボール等を敷き詰め、何とか他の鉄柱と同じレベルまで上げることができました。あとは、「何とか試合終了までもってくれ!」と祈るばかりでした。
リング設営が終わり、通常なら練習をしたり、休憩をしたりと、選手それぞれ思い思いの時間を過ごす時です。しかし、選手の大多数は初めて被災地を訪れたため、わずかな時間を利用して災害の爪痕を見学に行くことにしました。せっかく東北に来たのに、ここを素通りするわけにはいきません。震災の悲惨さをしっかりと皆の目に焼き付けて欲しかったのです。
街ひとつがすっぽりと津波にのまれ、跡形もなく更地になっている様子を見て、一同は絶句してしまいました。
カメラを持っていた手も止まりました。ここで写真を撮るなんて、あまりに不謹慎です。しかし、案内役である被災者の一人の方が、意外なことを言い出したのです。
「どんどん写真を撮ってください! そして、お友だちに見せたり、SNSに投稿して拡散させてください!」
一瞬、我々は耳を疑いました。我々が“撮ってはいけない”と思ったことが、それは全くの逆だったのです。実際に被災地を訪れた我々は、まだ見ぬ人たちにありのままの現状を伝えるという大きな使命があるのです!
これで、さらに心に火が着きました!
「何がなんでも今日の興行を成功させなければならない!」
「絶対に被災者の皆さんに楽しんでいただき、勇気と元気を与えよう!」
試合が始まる頃、奇跡的に雨が止みました! まるで我々の思いが天に届いたようでした。きっと、震災で亡くなった方々も我々を応援してくれている。そう思うと急に心強くなってきました。
被災地でチャリティープロレスを行った団体はいくつかありますが、仮設住宅前でやったのは、おそらく我々だけでしょう。ここに、史上初の“仮設住宅前特設リング”が完成したのです!
試合開始1時間前、続々とお客さんが集まりだしました。仮設住宅の住人だけでなく、近隣の方も多数駆け付けてくれました。早朝のビラ配りも効果があったようです。
あれよあれよと席は埋まり、立ち見も出ました。結局、この寒空の中300人を超えるお客さんに集まっていただくことができました!
今日は全部で3試合。気温を考えると、1時間のイベントが限界です。
《第1試合》ジャングル・バード vs. ジェイソン・ザ・ダークネス
のっけからマスクマン対決となりましたが、片や飛んだり跳ねたりのヒーロー。片や極悪非道の怪奇派レスラー! 一歩間違えれば水と油の試合展開となります。
しかし、予想は見事に外れました。試合は上手くスイングし、十分お客さんを“温める”ことに成功しました。
試合は、ジャングル・バードが対格差を跳ね返し、一瞬の切り返し技で勝利しました。
《第2試合》亜利弥´vs. 飯田美花
紅一点の女子プロレスです。地方会場ということもあって、盛り上がること請合いです!
しかも、飯田選手は今回の震災でも被害の大きかった、同じ東北の青森県出身です。被災者の気持ちが誰よりも分かるため、いつも以上に気合いが入っています。
試合は、今回のプロジェクトにいち早く賛同してくれた亜利弥´選手が、若い飯田選手を圧倒! 見事勝利しました。
《第3試合 メインイベント》ケン・片谷&リッキー・フジ vs. 矢口壹琅&ワールド・テロ・レスリング
いよいよメインイベントです!
大型の選手同士のぶつかり合いこそプロレスの醍醐味。初めてプロレスを観る人も、その迫力を存分に味わってもらいたいと思い組んだカードです。
その思惑はピタリとハマりました! 矢口さんとテロ・レスリングの超重量コンビは、ヒールであるにも関わらずお客さんからやんやの歓声を浴びています!
試合も、終止ヒールサイドのパワーに押されっぱなしでしたが、最後はなんとか得意のジャンピングパイルドライバーで逆転勝利することができました!
全試合終了後、会場に集まった全ての子どもたちをリングに上げて記念撮影をしました。この中には、地震や津波で親兄弟を亡くした子もたくさんいます。その子らに笑ってもらい、勇気を与えることができたでしょうか? 我々は名取市の、そして東北の未来をこの子らに託したのです。
そして我々には、嬉しい嬉しい“ご褒美”が待っていました!
仮設住宅の奥様方が、腕に縒りを掛けて郷土料理の“はらこ飯”を作ってくださったのです!
はらこ飯とは、鮭で炊き込んだご飯の上に、いくらをふんだんに乗せたご飯のことです。お腹(はら)の子で卵、つまり鮭といくらのことを意味します。
当時19才で食べ盛りだった飯田選手は、なんと一人でひと桶平らげてしまったのです! 恐るべしプロレスラーの胃袋に、皆さん驚かれていました!
こうして、『東日本大震災チャリティープロレス』は大成功に終わりました。
あれから6年半が経ち、箱塚桜団地はその役目を終え、この3月をもって取り壊されるという話も聞きました。皆さんお元気に過ごされているでしょうか?
久しぶりに、また名取を訪れてみたくなりました。