[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第35回 無礼かつボスのように振る舞った「№.2時代」のマクマホンJr氏

ケン・パテラにインタビューする若き日のビンス。中央はマネージャーのグラン・ウィザード photo by Mike Lano 

[週刊ファイト3月月22号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第35回
 無礼かつボスのように振る舞った「№.2時代」のマクマホンJr氏
 by 井上 譲二
・タイガー戸口「日本に来たらブッ殺す!」
・多くの親日家たち:サム・マソニック、FVエリック、バーン・ガニア
・誰に対しても高圧的だったビンス・マクマホンJr
・「ブルーノ時代はとっくに終わっている」
・バッファロー大会出場のデストロイヤーに・・・
・アントニオ猪木のWWE殿堂入り


 両者の間にどのようなトラブルが生じたかは不明ながら、タイガー戸口は1988年初めにWWFを離脱する際、ビンス・マクマホンJr代表に「日本に来たらブッ殺す!」と言い放ったという。よほどビンスを恨んでいたのだろう。

 だが、彼を憎んだり嫌うレスラー、関係者は他にも大勢いた。次々に敵を作ることに何の抵抗も感じなかった当時のビンスの無神経ぶりは誰にも理解されなかった。


ビンス・マクマホンJr

 これまで私自身の単行本や週刊ファイト!ミルホンネットでの連載などで述べたことだが、米マット関係者の大半はこちらが恐縮するくらいウエルカムの態度を示してくれた。

 初対面の私にキーホルダーなどをプレゼントするだけでなく、「(米国での)取材で困ったことがあれば私に連絡しなさい」と言ったサム・マソニックNWA会長。一見、気難しそうな“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックも多忙の中、30分程度のインタビューに応じた上、帰り際にライターをプレゼントしてくれた。また、“AWAの帝王”バーン・ガニアからはセントポール大会の打ち上げパーティーやホームパーティーに招待された。

 プロモーターでこの歓迎ぶりだから親日家の多い選手にはもっと良くしてもらった。
 ドレッシングルームに入って行くとほとんどのレスラーが来日経験者。日本で面識があったこともあり、1会場で4人ものレスラーから食事や酒を誘われたこともある。
 このように日本人記者にひどく友好的だったのは力道山時代から日米マットの交流が盛んだったことが大きいが、フレンドリーに接するのは米国人の国民性でもある。明らかにイギリス人やフランス人とは違う。
 だが、米マットにも1人だけ“例外”がいた。若き日のビンス・マクマホンJR氏である。

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