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[週刊ファイト2月22月号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼没後55年・・・力道山の“金欠病”を検証
by 井上 譲二
昭和30年代、日本経済の高度成長期にプロレス・マーケットを独占して荒稼ぎしていた力道山。自身が所有するプール付きの超高級マンションの最上階に住み、ベンツを乗り回すなど羽振りの良さを見せていたが、日本プロレスの台所事情は火の車。社長の力道山は常に資金繰りに追われていたという。
没後55年・・・今、その裏事情を検証する。
あの力道山が1963年(昭和38年)12月に急逝したとき、巨額の負債を残していたことは当時のプロレス事情に精通する者にとっても信じ難かった。
そのことを私に明かしたのは、10年くらい前に都内のプロレスショップで偶然会った百田敬子夫人。彼女はこう説明した。
「主人が亡くなった後、私は借金の返済に追われました。側近らのアドバイスで危ない所(暴力団系の金融業者?)から返済していきましたけど(完済まで)5年以上かかりましたね」
敬子夫人によると、生前の力道山は都内の一等地にリキ・スポーツパレスやリキ・アパートを所有していたが、この2つの物件の借金返済が終わらないうちにゴルフ場建設に着手したことが巨額の借金を残した最大の要因という。
それにしてもプロレスの興行でボロ儲けしていたはずの力道山にそれくらいの自己資金はなかったのか? 誰もが抱く疑問である。
そこで私は櫻井康雄(元東スポ編集局長)、菊池孝(フリーライター)両先輩に当時の日プロの台所事情を聞いてみた。
2人の説明を要約するとこうなる。
2016年10月7日、後楽園ホールで開催された『昭和の新日本プロレスが蘇る日』に顔を見せた坂口征二と櫻井康夫氏