ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉙原点 その1:プロレス予備校[ファイトクラブ]TVやらせ

[週刊ファイト2月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉙
 原点 その1:プロレス予備校
 by ケン・片谷
・『元気が出るテレビ プロレス予備校オーディション』
・タイガーマスクもどきの男=中京大学1年生・松永光弘
・バラエティー番組はすべて「やらせ」である
・身長180㎝以上の人はリングに上がってください!
・プロレスラーへの最初の挑戦は、夢と終わって・・・


私がプロレスラーになるきっかけとなった出来事を、順を追ってもう一度振り返ってみたいと思います。子どもの頃からの夢。ついにプロレスラーになるチャンスがやって来た! 『元気が出るテレビ プロレス予備校オーディション』。しかし、そこから垣間見えた“大人の世界”と“テレビの裏側”。そして、そこで出会った意外な大物とは?
プロレスラー ケン・片谷誕生のルーツを、シリーズで振り返ります。

あれは確か、1985年の11月だったと思います。オイラの人生を変える、ある大きな出来事がありました!
それは、大袈裟に言えば“ケン・片谷”の原点。オイラがプロレスラーになるはじめの一歩だったかも知れません。

日本テレビの『天才たけしの元気が出るテレビ』という人気番組を皆さんもよく覚えていることと思います。タイトルにもあるように、司会はビートたけしさん。番組の中では、『元気が出る商事の社長』という設定でした。
番組には他に、故・松方弘樹さん、木内みどりさん、高田純次さん、兵藤ゆきさん、野口五郎さん、川崎徹さんら、まさに、テレビ黄金時代を象徴するような豪華な顔ぶれが出演されていました。

日曜日の午後8時から放送されていた同番組ですが、月曜日に学校に行くと前日の番組の話で持ちきり!
ファンの間では“元テレ”と呼ばれていたので、朝の挨拶は『昨日、元テレ見た?』から始まります。もし見逃そうものなら、その日一日友達との会話についていけないほど。そのくらい人気のあった番組だったのです。

番組には、数々の人気コーナーがありました。
夏には、海水浴客で賑わう江ノ島に“元気が出るハウス”をオープン。後のタレントショップの火付け役ともなりました。
視聴者参加型のコーナーも多く、往年の映画を再現した『大脱走』のエキストラにクラスの友達が出演した時は、そいつは一躍大ヒーローとなりました。「一瞬テレビに姿が映った」だの「いや、あれは別人だ」だの、月曜日の教室はそりゃあもう大騒ぎでした!

そんな『元気が出るテレビ』に、ついにオイラにも出演? のチャンスがやって来ました!
人気コーナーのひとつ、『〇〇予備校』『〇〇甲子園』のハシリともいえる、『プロレス予備校』の募集が番組内であったのです!
募集の内容は、『全日本プロレス完全コラボ企画 キミも“たけし猫マスク”になろう!』というもの。先述の『元気が出るハウス』でもグッズとして販売されていた“たけし猫招き”をイメージしたマスクマンを作り上げ、全日本プロレスに登場させようという壮大な企画です!
「これこそオイラにピッタリの企画だ!」と思った時には、すでにハガキを手にしていました。メールもFAXも一般的でなかった時代、全てはハガキを書くところから始まったのです。
文面まではハッキリと覚えていませんが、ハガキには「子どもの頃からどうしてもプロレスラーになりたかったんだ」という思いの丈を書き綴ったと思います。

程なくして、日本テレビから電話が掛かってきました!
「〇月〇日、後楽園ホールに来てください。」と。
憧れのテレビ局からの電話。しかも、公開オーディションの集合場所はプロレスの聖地後楽園ホール! 高校3年生のオイラは完全に舞い上がってしまいました。
当然、学校でもその話をしました。すると、クラス中のみんなが全面的に応援してくれると約束してくれました。
当時柔道部に所属していたオイラは、練習にもより一層熱が入りました。通常の稽古が終わった後も後輩を付き合わせ、見よう見まねのプロレス流の練習を行いました。ヒンズースクワットから始まり、腕立て伏せをアレンジした通称“ライオン式プッシュアップ”、そしてスパーリングと続きます。

迎えた当日、プロレス予備校のオーディションに集った猛者は30人、いや50人はいたでしょうか? 後楽園ホールの一階入り口には、日本テレビのカメラクルーが。そしてそこには、マイクを持った“ユキ姉”こと兵藤ゆきさんがいるではありませんか!? もう興奮は収まりません!
ディレクターさんから、水道橋駅から後楽園ホールへ向かう“画(え)”が撮りたいという最初の指示が出ました。
水道橋駅方面から、続々と姿を表す“受験生”たち。それを引きの画で撮ります。
次の画は、後楽園ホール入り口付近で、ユキ姉が受験生数名にインタビューするというもの。そのインタビューにオイラも選ばれました。質問の内容は、確か「どこから来たの?」「何してる人?」「どうしてもプロレスラーになりたい?」こんな感じだったと思います。有名人にマイクを向けられるなんて生まれて初めての経験だったので、緊張のあまり何をしゃべったのか正直ハッキリ覚えていません(笑)。

中には少しでも目立って合格してやろうと、奇抜な格好をして現れた者もいました。その中で一際目立っていたタイガーマスクもどきの男。彼こそが後の大物レスラーだったのです!

その男の名前は、『松永光弘』。そう、後のミスター・デンジャーもオーディションに参加していたのです!
インタビューの答えも、「名古屋から来ました。」「中京大学の1年生です。」「空手をやっています!」と、松永さんのプロフィールそのものでした。

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