元新日本プロレスの北米支部長で、天山らを育てたジョー大剛こと大剛鉄之助氏が11月4日、カナダ・カルガリーで大腸がんにより亡くなった。享年76。
大剛氏は仙台強として1966年に東京プロレスでデビュー。東京プロレス崩壊後に大剛鉄之助として国際プロレスに転身、トーキョー・ジョーとしてカナダ・カルガリーでブレイク。
先日亡くなったグレート・サキこと、故・デビル紫とのタッグでカルガリーのインターナショナルタッグチャンピオンを戴冠してサーキット中に交通事故で右脚を切断、レスラー生命を絶たれた。
その後はブッカー、ジョー・タイゴーとして国際、新日本プロレスに多数の選手を招聘、90年代以後は武者修行に出た新日本プロレスの若手選手のコーチなどでも活躍、西村修、天山広吉らのコーチとしても活躍した。
東京プロレス、国際プロレスを知る古参が、レスラーとして絶頂期を共に過ごした故・デビル紫の後を追うように亡くなられた。安らかに…
今朝、西村修さんから大剛鉄之助さんの訃報を聞きました。
今から24年前の1993年の6月に、海外武者修行でヨーロッパに行きました。
そして、大剛さんに出会い、言葉では言い尽くせない程たくさんの事を学びました。
まだ信じることが出来ませんが、心よりご冥福をお祈り致します。合掌。— 天山 広吉 (@TENZAN323) 2017年11月5日
▼WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!