7月15日は、等々力陸上競技場にて第68回「早慶サッカー定期戦」が行われました。
‟早慶戦”というと、東京6大学野球の熱戦を思い浮かべる方が多いと思いますが、サッカーも野球に負けず劣らず伝統があります。
7月に行われるサッカー定期戦は、まさに『真夏の早慶戦』です!
サッカーだろうが野球だろうが、永遠のライバル慶應義塾大学には絶対に負けられません!
今年も早稲田大学が5-1と圧勝!第一応援歌「紺碧の空」の歌声が、等々力の夜空にいつまでも響いていました。
さて、今回の「メシとワセダと時々プロレス」は、オイラのプロレスラーとしてのルーツと、お世話になった師匠衆 についてお話ししたいと思います。
皆さんは、幻の団体『TPG(たけしプロレス軍団)』を覚えているでしょうか?
‟たけし”とは、言わずと知れた「ビートたけし」さんのことです。皇帝戦士”ビッグバンベイダーを擁し、1987年、巨大勢力・新日本プロレスに突如殴り込みをかけた団体です。団体といっても、独自で興行を打ったことはないので、ユニットと言った方が正しいかもしれません。
実は、オイラはTPGの第1回オーディションを受け、見事合格しているのです!
「入団テスト」ではなく「オーディション」です。オーディションというと何だか女子プロのようですね(笑)。
TPGは、元々「ビートたけしのオールナイトニッポン」から生まれた企画だったので、オーディションは有楽町のニッポン放送本社ビル(当時)内にある「銀河スタジオ」で行われました。
そこで、オイラの第一の師匠に出会うことになるのです。その師匠の名は、‟獄門鬼”マサ・斉藤さんです。
「第1回TPGオーディション」の審査委員長で、後にビッグバンベイダーを日本に連れてきた(という触れ込み)のもマサさんでした。
マサさんに直接稽古を付けていただいたことや、プロレスの手ほどきを受けたことは一度もありませんが、オイラがプロレスラーになる大きなきっかけを与えてくださった方に間違いはないので、勝手に師匠と呼ばせていただいてます。
ちなみに、このオーディションに合格して、後にプロデビューした人の中に邪道・外道選手、スペルデルフィン選手がいるのは有名な話ですが、実は他にもプロレスラーになった選手が何人かいます!しかし、公表していない人もいるのでここではあえて触れないでおきましょう(笑)。
第二の師匠は、将軍KYワカマツさんです。
オイラが北海道に住んでいる時、『どさんこプロレス・道場元気』の第1回(第1回が好きだなぁ・笑)入団テストがありました。
そこでもオイラは最終選考まで残り、「市民レスラー(アマチュア)」としてプロのリングに上がっています。
試合前には、必ず二時間ほどワカマツさんが直接稽古を付けてくださいました。最も印象に残っているのは足の運動(ヒンズースクワットのことをワカマツさんはこう呼びます)です。若い連中の中に交じっても、当時ワカマツさんが 一番体力がありました。75歳になられた今でも、試合前必ず数百回のスクワット…いや、足の運動をこなす姿は、まさに化け物です!
この時の仲間でプロデビューしたのは、斗猛矢(EMMA)、宇和野貴史(元リキプロ)、近藤博之(イーグルプロレス)です。
三人目の師匠は、ジョージ高野さんです。
『どさんこプロレス・道場元気』が、なかなか正式に旗揚げしないことに業を煮やし(笑)、オイラはジョージ高野さんが北海道・釧路で旗揚げした『FSR』の門を叩きました。
「コブラジム」と呼ばれたFSRの道場では、連日新日本プロレス仕込みのハードな練習が行われていました。
練習にはジョージさんも必ず参加し、我々の稽古を付けてくださいました。中学・高校時代 、テレビで観ていたスター選手とスパーリングできる喜びは何物にも代え難いものでした。そのうち、10本に1本…いや、言い過ぎました(汗)、100本に1本ジョージさんから(タップを)取れた時は嬉しかったなぁ。
「メシとワセダと時々プロレス」の第1回でもお話ししましたが、先月急死されたミスターポーゴさんが四人目の師匠です。
デビュー当時からレギュラー参戦させていただいた『WWS』では、ポーゴさんに本当にお世話になりました。レスリングの基礎から試合運び、そして何といってもデスマッチの怖さ、面白さを教えていただいたことで、レスリングの幅が大きく広がりました。
数多くの団体を渡り歩いてきたオイラですが、WWSが一番長く携わった団体です。そういった意味で、ポーゴさんが最も師匠と呼ぶにふさわしいかもしれません。
さて、気になる五人目の師匠ですが……。それはやっぱりTPGの総帥、ビートたけしさんでしょう!
TPGのオーディションに応募するきっかけには伏線がありました。オイラが高校三年生の時、日本テレビの『天才たけしの元気が出るテレビ』の企画で「プロレス予備校」というのがありました。オイラは早速応募し、そこでも最終選考まで残りました。しかし、同様の企画で女子プロ予備校やボクシング予備校はそれぞれプロ選手を輩出するところまでやったのですが、なぜかプロレス予備校はたった一回で打ち切られてしまったのです。そんな悔しさからTPGオーディションの際、オイラの熱い思いをたけしさんに伝えました。志半ばでプロレス予備校が打ち切りになってしまったこと、どうしてもプロレスラーになりたい旨を必死に訴えたのです!それに応えてくれたのかどうかはわかりませんが、結果的にオイラはTPGの最終選考にも残りました。しかし、オイラはその時点ではプロレスラーになっていません。それはなぜか?
TPGのオーディションに合格した翌日、その記事が東京スポーツの一面にデカデカと掲載されました。必然的に、スポーツ好きの父親の目にも触れることになります。実は、当時オイラは大学浪人生!親から予備校の授業料を出してもらっている立場でした。
もうお分かりでしょう。父親に‟親バレ”し、大逆鱗に触れそのまま自宅へ強制送還!‟TPGを経てプロレスラーデビュー! の夢は、儚くも消えたのでした…。
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