[ファイトクラブ]『週刊ファイト』メモリアル 第6回 A・猪木を葬ったボックは文字通り変なヤツ!?

[週刊ファイト10月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

 『週刊ファイト』の母体である新大阪新聞社は、1980年から83年にかけてT・J・シン、R・ボック、S・ハンセン、A・T・ジャイアント、H・ホーガン、B・サンマルチノ、長州力、タイガーマスクの特集号を発刊。この中で最も爆発的に売れたのは、新日プロの木谷高明オーナーも絶賛したローラン・ボック特集号だった。ドイツでボックを取材し大半の記事を書いた私は「社長賞」(10万円!)を頂いたが、実は、現地に到着後、予期せぬ事態に陥っていた。
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by 井上譲二
 シブチンの会社から80万円もの取材費を引き出しただけに、ボック取材の失敗は絶対に許されなかった。英語が通じにくいドイツでの取材に加え、ローラン・ボックの人間性を知らなかったため、なおさらプレッシャーがかかった。
 ボックから「取材に全面協力する」との約束を取り付けたのは、彼が新日マットに初登場した1981年7月。意外にも二つ返事だった。
 その後、何度かボックに電話連絡を取り、ドイツ・ベルリンに向けて日本を出発したのは同年10月。ベルリンに到着すると、ボックが経営するディスコで働く若者が出迎えてくれ市内のホテルへ案内された。
 取材の日時は未定。ディスコの店名と住所、電話番号は教えられていたものの、前記の若者から「ボスはこちらから連絡すると言っている」と言われた以上、私はホテルで待機するしかなかった。
 私は「24時間以内にボック本人から電話が掛ってくるだろう」と安心し切っていた。
 ところが、、ベルリン到着から丸1日が過ぎ、更に3日経っても連絡なし。その間、ディスコに電話を入れているが、「接客中なので電話に出られない」とのことだった。
 なぜだ!? ボックに心境の変化が起きたのか?

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