[ファイトクラブ]『週刊ファイト』メモリアル 第12回  癒着どころか新間寿氏に都合よく利用されていたI編集長

[週刊ファイト12月08日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

 当時(80年代)の全日プロ関係者などは信じないかもしれないが、『ファイト』に関して言えば団体との癒着は一切なかった。ガチガチの新日派記者であるI編集長にに疑惑の目が向けられた時期もあった。しかし、I編集長は金品を受け取らなかったばかりか、A・猪木や新間寿氏と食事したこともなかった。
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by 井上譲二

 「私の父親はイノキとシンマにさんざん利用された。ニュージャパンとの交流は(WWFにとって)ビジネスと言えるものじゃなかった」
 ビンス・マクマホン・シニア没後にそう言ったのは息子ビンス・マクマホン・ジュニアだが、新日プロのスポークスマンでもある新間寿氏は外交だけでなくマスコミ操縦にも長けていた。
 1983年に『週刊プロレス』および『週刊ゴング』が創刊されるまでの主要紙媒体は、東京スポーツ、『週刊ファイト』、『月刊プロレス』、『月刊ゴング』の4つ。このうち、『月刊プロレス』以外のメディアは新日プロと癒着していると見られていた。政治の世界にもよくあるらしいが、編集長や担当記者が団体からカネなどをもらって相手の意向にそった記事を書いたりスキャンダルを隠ぺいするという話である。
 タイガーマスクの出現で新日プロ興行が全国的に大盛況だった頃(81~82年)、新間氏がマスコミをパラオに招待(小遣い付き!)したり、記者会見を行うたびにすべての記者、カメラマンにタクシー代(5000円)を渡していたほどだから新日プロ寄りのメディアがそのように見られたのは仕方がなかった。
 新間氏と個人的にも親しかった東スポの櫻井康雄運動部長(当時)や『ゴング』の竹内宏介編集長(同=故人)については全くわからない。しかし、ことI編集長に関しては新日プロとの癒着は一切なかった。マクマホン・ジュニアじゃないが、むしろI編集長は新間氏に都合よく利用されていた。
 スクープになり得るオイシイ情報は東スポ。どうでもいいようなネタは『ファイト』へ。そんな感じ。
 それだけならまだしも、東スポや『ゴング』が扱ってくれないネタはすべて『ファイト』に振ってきた。

 一例を挙げると、前回書いた名古屋の空手家・水谷征夫氏の一件である。新間氏がI編集長に『寛水流空手』の記事を書かせていなければ、G・馬場に恨まれることもなかった。
 さらに、こんなこともあった。やはり新間氏の鼻息が最も荒らかった80年代初めである
 「編集長、この前発表したIWGP構想を楽しみにしててよ。ひょっとしたらドリーやニックも呼ぶかもしれないよ」
 「口から出まかせ」とはまさにこのことだ。馬場ファミリーの一員のドリー・ファンク・JRや、全日プロと提携するAWA所属のニック・ボックウインクルが新日プロ主導のIWGPに参加するはずがない。だが、新間氏の話をうのみにしたI編集長はトップ記事としてその“情報”を書き飛ばしてしまった。
 私はたまたま米国に出張中。もし大阪にいたら「編集長、ドリーやニックのIWGP参加は100%あり得ません。スクープどころか大恥をかきますよ」と言って、新間情報を握り潰していただろう。
 で、なぜ、こうしたことが起きたかと言えば、I編集長は他人の話をまったく疑わず、頼み事に対しても「ノー」と言わない超お人好しの人物だったためである。