伝説のFC誌『エルアミーゴ』『THE MANIAX』プロレス8ミリ大会~どうしてドクトルルチャ清水さん夫妻の結婚式がメヒコで行われ僕も一緒だったか

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス 【部分プレビュー版】 
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 話を海外編第2章の冒頭に遡り、アレナ・ソチミルコに遂に入るところ。でも、33年に渡る出会いと、13年の空白を経て初公開される、人と人の「絆」とは・・・。
 2010年7月19日の『Lucha Fiesta』がこのミルホンネット初取材で、1年11ヶ月振りに後楽園ホールに向かう途中、桐生から浅草に向かう「特急りょうもう号」の車内で脳裏をよぎったのは、初生観戦「後楽園ホール」は、いつだったか^^・・・。
 忘れもしない1978年7月8日の全日プロ第一次『サマーアクションシリーズ2』~ディック・スレーター、キラー・カール・コックス、ワイルド・ドン・ウエイト、ヒューラカン・カステロ、ルーファス・ジョーンズ^^・・・。このメンバーでチケット買うわけなく、なぜ試合が観れたか^^・・。
 それは、マスカラスFC誌『エル・アミーゴ』が発端だ。何と当時の人気番組『おはよう子供ショー』~愛川キンキンが司会で、ロバ君と言う馬キャラがマスコットでちびっ子に人気の番組~この番組の収録をホールのリング前で行い、そのまま、試合も観せて貰ったという訳だ。馬場さん、日テレさんgracias^^・。中継番組はビデオで撮り(勿論べータ)また、離れに行って探そう。
 清水さんが虎のマスクで僕は赤と金色で、他のマスクも本物でメンバー全員特注のエル・アミーゴのトレーナーを着て、『viva-mascaras』と連呼した。そして、特注マスカラス応援フラッグもあり、ここで秘話-「あのウォーリーと弟のシュンも登場していた」。これ、マジでマスカラスに見せたいよ。今のファンには想像出来ない位の人気だった。
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多摩川での清水さんと筆者(撮影は竹内さん)1978年7月
おはようこどもショー収録現場「後楽園ホール」1978年7月8日
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筆者、清水さん インタビューは松永二三男アナウンサー!
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 1977年3月11日の『エキサイトシリーズ』日大講堂大会で、マスカラスが控え室の廊下を歩き、スイカ・タイプのオーバーマスクを被ると、試合を終えた、ロン・バスがケゲンそうな顔をしていたのがおかしい。
 いよいよ、スカイハイが流れ、館内大興奮で、「エル・アミーゴ」でない少年達に担がれリングイン。これを観ていた1/2兵衛になる前の寺内正孝君は「今度は、僕が担ぐぞ^^!」とテンション上がり。「バカだね^^・・無理だよ」って思った皆の衆、奇跡が起き5ヶ月後の8月25日田園コロシアム大会での、ジャンボ鶴田戦で夢が叶い^^・・仮面貴族を「エル・アミーゴ」のメンバーとして担げました。
(鶴田がマスカラスを降しUN王座3度目の防衛。年間最高試合賞を獲得)
 「これだから、人生って不思議だね。でも、逆にツキが無い時は、何をやっても駄目・・・」。皆さんもチャンスとピンチの繰り返しでも、諦めずに前を向き、自分らしく、生きて欲しい。  
 なにより健康な体が資本。贅沢を言ってはイケマセンゾ・・・。「いくらお金がなくても、親にもらった健康な体があれば、やり直しは出来るはず」と、自分にも言い聞かせて・・・。
 チョットここで、簡単な自分史を・・・「エル・アミーゴ」に入って、ウォーリー山口、宍倉さん、ジミー鈴木、ぺぺ田中君、他のFC誌メンバーと出会い遂に夢であった、ゴングの竹内さんと遭遇出来たのだ。「1977年8月25日田園コロシアムでのジャンボ鶴田 vs. ミル・マスカラス戦」当時の編集部があった、文京区白山の日本スポーツ社へも招待された。
 日時は忘れたが、巣鴨のアパートで彼女が泊りにきていたら、突然夜telがあり、竹内さんからで「寺貫、今何してる?」と聞かれて困り^^^・・「彼女が来てます」と素直に答えると、「今から、一緒に来てもいいよ・・・」。久々に、なぜ(porque^^・・)。もう予定を変更して、どんな予定か聞くだけ野暮ですぞ。「はい」と、二つ返事で答え、地下鉄に乗って夢のゴング編集部へ。
 彼女と手をしっかり握って、到着。1971年3月にマスカラスもゴングへ初訪問し、傘を玄関前でさしていて、マスクはジャガーでした。
 彼女を紹介するより・・・後楽園ホールが格闘技の聖地なら、プロレス・マスコミ聖地のゴングにこれから、入れる。もう興奮と幸せで胸が張り裂けそうな、思い出は忘れない。22年前に都内のライブハウスでシャンソン歌手になった彼女のライブを観て以来、久々に思い出してしまった・・。今も元気で幸せなのだろうか・・・チョット、センチになりました・・・。
 普通の一戸建ての民家で、靴を脱ぎ、3階にゴング編集部が有り、竹内さんや清水さん、ウォーリー達がいて、冷やかされた・・・楽しい青春の輝ける1ぺージと、大袈裟でなく言える記念日でしたね。竹内さん、ありがとうございます。
 「1968年、春の創刊号を買って以来プロレスとマスカラスへの情熱は増す一方で、少年時代から青春時代に突入しても、エル・アミーゴのメンバー募集記事を読み、直ぐ葉書きを出して、編集作業を手伝い、なぜか”編集長”になり(清水さんは会長でしたが)。プロレス8ミリ大会「The-Maniax-」のメンバーとして、当時の水道橋にあったアイウエオ会館と大阪市天王寺区の「三和ホール:1979年1月28日」での第14回と15回が約200名を動員、当時のプロレス人気とファンクラブの隆盛は凄まじかったなぁ。
 1人¥1000で3時間dream cardが日本にいて見られるという画期的なイベントで、2度の大阪遠征も、東京から深夜ワゴンを10時間以上走らせ、終われば、大阪に泊らずにハネ立ちで、一路東京へ。もう1回は、飛行機で伊丹空港まで。20歳迄なら、格安のスカイメイトを利用した。本当にプロレスが好きだったんだねぇ。
 
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The Maniaxプロレス8ミリ大会の案内状と招待状「実物」1978、1979年
因みにこの時は「オールリクエストベスト10」で、
10位 スーパースター・ビリー・グラハム vs. ワフー・マクダニエル
9位 ジャック・ブリスコ vs. エドワード・カーペンティア
8位 ビル・ロビンソン vs. ボブ・バックランド
7位 A・T・ブッチャー vs. スキップ・ヤング
6位 ニック・ボックウィンクル vs. A・T・ジャイアント
5位 ハ―リー・レイス vs. ボブ・バックランド
4位 猪木 vs. 藤波
3位 ドリー・ファンク・ジュニア vs. ハ―リー・レイス
2位 ザ・ファンクス vs. ブッチャー、シーク。
1位 猪木 vs. ビル・ロビンソン
 どうですか、皆さん・・31年前の約3時間に渡って上映され、まだbeta-maxのビデオデッキも高価で各家庭には少なくて、勿論、本場アメリカにプロレスを観に行くなんて、夢のまた夢の時代。当然、メヒコも・・MLBもヨーロッパサッカーとW杯も同様に。
 「1960-1990年代はアメリカが本場で・・・」~今や”死語”になってしまった。良い時代だった。
 またマニアックスの逸話は、電子書籍収録にて。エル・アミーゴとマニアックスの活動も充実し、ゴングへもちょくちょく顔を出していた、我が人生の最良の時に、信じられない出来事が深夜に起こり。これって事件だよ!
 ちょうど時間と成りました^^・・。皆さん、お元気で。
 あなたのハートに「ミルホンネット」、アディオスアミーゴ
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ファイト!ミルホンネット鷹の爪大賞2009-2010
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