ブッチャーとVIP待遇で会場入り~当時屋根がなかった闘牛場エル・トレオ

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#6
 「エル・トレオ」は、闘牛場としても使用され、当時は、屋根が無く雨が降ったらもう大変・・・その後、屋根が取り付けられたが、今は解体されている。この解体時期の最中にマスカラスが訪れている貴重な画像がYouTubeで見れますぞ。
 さて、アラメダホテルにあのブッチャーが1人でコーヒーショップにいて、我々を呼んでいるではないですか・・。隣には、いかにもマフィアの様な雰囲気でスーツ姿の親父さんが仁王立ちで凄んでいて、近寄りがたし・・。
 早く部屋に戻り、昨夜の疲れ^^^を少しでも取りたいのに、初対面でメキシカンでもセニョリータでもない黒い呪術師と出会うとは^^^・・・。怖々ゆっくり清水さんを先頭にブッチャーの側に行き、挨拶を交わし、談笑したら非常に気さくな応対にビックリ。「今夜は、エル・トレオに皆で行くよ・・・」と話したら「それなら俺もトレオで今夜試合に出るから、車で一緒に行こう」と信じられない誘いに、ビックリしつつも断る理由も無く、二つ返事でokと答えて、待ち合わせ時間を決めて部屋に戻った。マフィアの人と勘違いした親父さんは、運転手だって・・。
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メインのブッチャー組対リスマルク組。Rメンドーサ組対Aロッカ組。エル・トレオの控え室のドア。同じく大きな柱にポスターが・・。
 約束の時間にロビーで落ち合い、ドリンクをご馳走になって、いざリムジンでバモノス「レッツゴー」VIP待遇でエル・トレオ入りなんて、夢のようで、ブッチャーさん「サンキューソーマッチ^^・」。慣れない異国の地で出会えたからこその人と人との絆の始まり・・。
 「若い時に海外で色々な経験は、貴重ですよ、皆さん」
 ここで、アレナソチミルコの会場前の路上で買った雑誌『combates』のp16と17にこの日のトレオの全対戦カードと見所が掲載されていたので紹介します。因みに表紙は、Eソリタリオとアニバルとビジャノ3。
<メインは-6人タッグ>
ATブッチャー、Aタンバ、Sチカナvs. リスマルク、アニバル、ビジャノ3
<セミ-6人タッグ>
Sアストロ、Bデ・オロ、Bデ・プラタvs. Eサタニコ、エスペクトロ、Eエンフェルマノ
<第3試合-6人タッグ>
EHサント、ダニー・ボーイ、ラセールvs. Nカサス、Fゲレーラ、Eブランコ
<第2試合-タッグマッチEMLL対UWA>
Rメンドーサ、Cメンドーサvs. マテマティコ、Aロッカ
<第1試合-6人タッグ>
Rサンタナ、ペロソーサ、ロマーノ・ガルシアvs. ロビン、タワべラ、ベンガラ
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2階席のファン(上)この笑顔がたまらなく良い。ロビンと控え室にて・・。
 全5試合中にシングルマッチがゼロで、なぜporqueかと云えば、ロス・ミショネロス・デラムエルテ(Eシグノ、Nナバーロ、Eテハノ)やロス・ビジャノスの登場以来6人タッグに人気が高まり、1984年にエル・トレオ認定6人タッグ王座が設置されたから。ロス・ファンタスティコス(K,K,リー、クンフー、ブラックマン)、ロス・カデテス・デルエスパシオ(ソラール、ウルトラマン、Sアストロ)、ロス・テメラリオス(E,R,ルビオ、Bテリー、J,L,フェリシアーノ)等のトリオでのコンビネーションの多さと華麗な空中殺法のバリエーションの豊富さは、ファンの絶大な支持を得てきた。
 個人的には、マスカラ・コントラ・マスカラもマスカラ・コントラ・カべジェラもカベジェラ・コントラ・カベジェラも多くの名勝負を生み、特にマスクマンの素顔はどんな顔なのかと云う興味は、昔から尽きず。故Eサント、Mマスカラス、Dカラス、E,H,サント、そして、ミスティコ他日本とアメリカとは、比べられない次元である。もし敗れれば2度とマスクをつけられずに本名も公開される屈辱を味わう訳だ。単純比較は出来ないが、髪の毛は坊主になってもまた毛は伸びてくるし、タイトルマッチも王座防衛出来なくても再戦も可能だが、命と同じ位の価値あるマスクを失うとレスラー人生も素顔で昔のリングネームでファイトして、どれだけのマスクマン時代の成功を手に出来るか、難しい。
 例えば、シエン・カラスや弟のマスカラ・アニョドスミル、Hオルティス、K,K,リー、他成功した例もあるが、仮面の魅力には、やはり色男でもブ男でも勝てない。恐るべしマスクの偉大さ・・。
 でも本物のマスクを一度でも手にしたらお分かりでしょうが、視界は、見えずらく音も聞こえにくく、呼吸もしづらい。スタミナのロスになり、素顔の選手に比べてハンディも多く、下世話だがマスク代もバカにはならず、被って直ぐに顔と肌がぎゅうぎゅうと悲鳴を上げてほとんど拷問状態になり、何十分も戦い飛んで殴って、蹴って投げて・・・もう頭が下がります。
 車中のブッチャーさんは、終始ご機嫌で笑顔が絶えない^^・・。きっとメヒコに着いてから我々と会うまで寂しかったのではないかと・・・。
 いよいよエル・トレオが視野に入り、俄然期待が高まり、ブッチャーさんもかなりストレスも発散できて、大好物の葉巻をゆっくりと味わい乍、気分は最高状態に・・。
対戦相手のリスマルクよ、ペルドーネメ(ごめん)。
 エル・トレオの正面入り口は、闘牛と闘牛士のブロンズ像が建っていて、右も左もファンの行列が長く伸びていて、興奮も最高潮に達して来た。遂に到着し、控え室を幾つか通り、やっとリングが見えてきた・・。1階の後ろのイスに座り、恒例のべータマックスと自前のcanonのカメラを手に前に行ったり、横に行ったり、試合の合間には、選手通路の控え室前で待ち伏せて、挨拶して、また走って席に戻るの繰り返し^^・。でも楽しかった。
 試合は、先ずベテランのマテマティコとリンゴ・メンドーサの絡みは伝統芸で、数学仮面のサルト・モルタルが生で観れただけでも来て良かった。2人ともユニバとCMLLジャパンに年を取ったとはいえ来日を果たし、衰え知らずの動きを披露した。
 次のサントとネグロとフェルサの戦いは、ご存知の通り、サントのトペと投げ技のバリエーションの多さは、日本と変わらずに華麗でため息が出て、お客さんも亡き父のサント・パパの血を受け継ぐ息子のイホに大歓声で応援し、ネグロとフェルサの受けの美学はさすがの一語でした。
 セミでは僕の2大仲良しの1人(もう1方は、ケンドー)スペル・アストロは、ゴム毬のように小さい体が無重力の如くに人間技と思えず、ブラソスとの連携も良く、ルードのサタニコとエスペクトロの憎らしくお客さんのヒートを買う熟練の間の取り方は、あっぱれですなあー・・。 白銀の隕石弾の名の通り、トペ・レベルサは銭の取れるプロの証です。
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アストロも控え室前で・・隣はわかりません^^・。
 メインのブッチャーさんは、うり二つのタンバが本当に献身的ファイトで、昔のT,J,シンが無名のシン軍団を結成して、何人ものインド人を従えて来日していた1975年と76年頃がなぜか思い出され、サングレも持ち味発揮して、軽量のリスマルクとアニバルを痛めつけ、当時95キロぐらいのビジャノ3だけでは、150キロぐらいのブッチャーさんとタンバに体格負けは一目瞭然で、はっきりいって、ミスマッチ。
 途中から気になっていた事が、リング上のライトが、4個で四方のスピーカーがついているが、1階後ろと2階席はチョット明かりが弱いので、観づらい。
 屋外の会場は、田園コロシアム、所沢青果市場、北上家畜市場、浜松町駅側の空き地、川口駅側の空き地他に行きオープンならではのゆったりして、ほのぼのしてしまうのもたまには良いね^^・・。そんな牧歌的な雰囲気とは全く違う、「オーレ、オーレ」の闘牛場ならではの応援も聞けて、もしラヨ・デ・ハリスコが登場してたら盛り上がったね^^・・。
 帰りはリムジンでなく、乗り合いタクシーでアラメダホテルに戻って、大好きなビールで乾杯して、おやすみのベッドへ・・。
 今回はここまで・・。次回はEMLLの総本山アレナメヒコで、カベジェラ・コントラ・カベジェラが実現し、昼は、ショッピングにルチャルブレ誌とKO誌を訪問し、・・・。
 お別れの曲は「ラバンバ」~17歳で不慮の飛行機事故で世を去ったリッチー・バレンスの同名映画もヒット。1987年公開。ロス・ロボスの唄声も最高。
 あなたのハートにエル・トレオとミルホンネットーadios-amigo.
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ホテル側のレストランで乾杯するカメラマン伊ヶ崎さんと僕。