「死のダイブ」アカプルコは噂以上のパラダイス!試合も観光もムイビエン

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#4
 アカプルコは青い翼のリスマルクの故郷であり、世界的な保養地として人気が高い。今はカリブ海のリゾート地カンクンに人気が集中しているが…。因みにカンクンとは、マヤ語で「へビの巣」と言う意味で・・・怖い・・。特に1990年代の後半から、日本人の新婚旅行カップルが増え、人気は今も健在だ。
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1984年2月15日 流れるプールの隣にある、鯨ゲームで左右から水鉄砲が発射され、目が痛い。(上)ボートパラセーリングを指差す僕と笑顔の伊ヶ崎さん。アカプルコの海辺のレストランでパイナップル・ジュースを飲む元ゴングカメラマンのぺぺ田中君と僕とテカテ・ビールでご機嫌の伊ヶ崎さん^^・・。
 昼間は、ビーチと流れるプールと美味しいテカテ・ビールとパイナップル・ジュースでサルー(乾杯)し、地元のヒーローのリスマルクのファイトと現地の大応援団の熱狂振りに感動する。遅いディナーは、リスマルク夫妻と謎のアクアマン「マスクマン」夫妻と楽しいディナーを済ませて、締めは、オランダにもドイツにも負けない♪朝日のあたる家へ^^^。
 ここはアカプルコで、久々に18禁の、山の中腹に怪しげな、噴水が湧き出る夜の館で美人のセニョリータとの熱く燃える戦い始めに思わず、昇天してしまった「レべッカの熱い夜」って・・・。
 そして、伝説のスーパースターのエルビス・プレスリー主演映画『アマプルコの海Fun in Acapulco(64)』で初めて広く紹介された断崖絶壁からの死のダイブ。日本では、トペスイシーダかラケブラーダが昭和世代と平成初期の技のネーミングのイメージとして定着したが、プロレスファン以外とSpanish喋れない人は、意味不明ですが^^・・・。このダイブでいったい何人の死人が出たことやら。リスマルクもこの出身らしいとか・・・。
 ダイブとトペとケブラーダって全然違うんです。今でも、マスカラスのD,B,アタックとF,B,アタックとF,C,アタックとF,C,チョップの違いも区別出来ないマスコミ紙誌があり嘆かわしい。「もっと勉強して下され・・」。細かく言えばジャンピングB,アタックもあるのです・・。
 まあ、ブファドーラをムーンサルトと言ったり、酷いのは「飛んだ!」とか言ったMCもいましたが、敢えて名前は出しませんが・・・。悲しく悔しくプロレスだから許されたの・・。MLBやサッカーのW杯やチャンピオンズ・リーグなら大変な事で、もしかしたら、首が飛ぶかも・・・。
 ここで勝手ですが、大好きなプロレスと映画の言葉の表記の仕方の日本っておかしいな・・・と、もう20年位いつも思っていた謎と疑問について述べますが、逆説で、プロレスも映画も音楽の凄い所は、人名や技の名前や曲のタイトルや誰も知らない地名^^・・。例えばプロレス用語では、アバウトにこれはプロレスが好きでなければ知らない地名。アマリロ、アルバカーキ、ルボック、アイダホ、タコマ、トペカ、デスモイネス、タルサ、ウイチタ、トピーカ、ダッジシティー、セーラム、リイビル、チャタヌガ、ノックスビル、レキシントン、ペンサコーラ、バーミングハム、タルサ、オカーラ、エルパソ、ランシング、ショーカン、バッファロー、サンファン、オマハ、ミルウオーキー、他キリが無いが・・・。
 Spanishでの技と会場名と勿論選手名も難解で、エル・トレオ・デ・クアトロカミノス、パラシオデロス・デ・ポルテス、カンパーナ、パタダス・ボラドーラス、ケブラドーラ・コンヒーロ、マスカラ・アニョ・ドスミル、ロスミショネロス・デラムエルテ、ティエラ・ビエントィフェゴ他、映画界の名も負けず劣らずに凄い・・・
 ジーナ・ロロブリジーダ、ジュヌビエーブ・ビジョルド、ビルナ・リージ、クラウディア・カルディナーレ、リュドミラ・サべーリエア、フランコ・ゼフィレッリ、ビクトル・マリユゴー、ルキノ・ビスコンティ、シルバーナ・マンガーノ、アヌーク・エーメ、ビヨルン・アンドレセン、サル・ミネオ、アリダ・バリ、ブレンダ・バッカロ、バレリア・ゴリノ他舌を噛みそうなネーミングだが、一度聞いたら耳に残って消えないインパクトはある。
 音楽界では、オブラディ・オブラダ、クロスビー・スティルス・ナッシュ。学校では、習わない名前の数々・・・。「勉強になります」!
 話は戻り、同じメヒコでも人気の闘牛も命知らずの男の美学・・「うーん、マンダム」。・・・このフレーズは、1975年頃に爆発的にヒットした、男性化粧品です。ヘアーリキッドやトニック等は今も薬局販売している。昭和世代には、涙モノのロングセラー商品で、今のフォグバーやワックスもオシャレーよろしいが^^^。このマンダムのCMがチャールズ・ブロンソンで、ライバル商品MG5が草刈正雄でした。
 チョット背伸びして、アウスレーゼ、タクティクス、バルカンはマルチェロ・マストロヤン二が渋くて・・・名作『ひまわり』(1970年イタリア&ソ連合作)の原題はsunflower. 絶対的な存在感のグラマー女優ソフィア・ローレンと、名優マストロヤン二の悲恋な運命の悪戯は、イタリアと当時のソ連を繋ぐ証拠。遠くて長い絶望は、悪しき戦争のせいなのか・・・。メインテーマが素晴らしく、悲しみと裏切りと人生の絶望の極致での運命の再会で、変わり果てたマストロヤン二の姿にショックを受けて、列車に飛び乗りイスに座った瞬間に号泣し、窓の外は、社会主義時代のソ連の広大なひまわり畑が広がっていて、ローレンはイタリアに失意の中赴き、物語はいよいよクライマックスへ・・・。後は観てのお楽しみ^^・・。泣けて、泣けて・・・。
 このマストロヤン二とスペインの元ゴルファーのセベ・バレステロスが1970年代後半からゴング誌上でも、マスカラスの素顔に近いと・・掲載され、竹内さんにも直に何度も聞き、どっちに似ていても、ハンサムだな・・・と良く想像していたものです・・。
 ここで、ビッグニュースが飛び込んで来た。
 日本美術教会は9月14日、世界の優れた芸術家に贈る、第22回世界文化賞の演劇、映像部門に、イタリアの太陽のソフィア・ローレンさんが選ばれ10月13日に都内で他の4人と共に贈呈式が行われるとのこと。賞金は1500万円。長年の映画界への貢献でアカデミー賞名誉賞も・・。
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1995年8月WTCが対岸
 話は戻り、戦後から今年でもう65年もたったのに、平和ボケの直らない日本人がまだいるという事は、嘆かわしい・・・。と云うのも2001年9月11日のNYのテロの時にニュース番組で、東京ディズニーランドで遊んでいた30歳代の日本人女性が、インタビューで「私には関係ない」と・・・あっけラカンに笑って、答えたのが信じられずに驚愕と怒りと、同じ日本人で恥ずかしかった事が胸を過ります。
 いままで行ったアメリカの一番好きなNYは、友人の、グレン・ミラー楽団のピアノマンであるトムが高級地のアッパーイーストサイドに住んでいて「今度NYに来たら是非遊びに来てください」と、初対面にも関わらずに自宅に招待されたのもなぜporqueですが、やはり人から好かれ、気に入って貰えるのは良いこと。世界が身近に感じられ、人種も性別をも越えて、愛と友情が生まれるのだ・・・。
 出会いは、1990年10月に実家の桐生市のお店にトムが、市内のシルクホールの公演に来桐していて、店のすぐ側のエースホテルに泊っていた。なぜか一人でトムがジャンボ焼きそばを注文していたところに、偶然都内から戻っていて店を手伝っていたので、箸は無理だと思い、フォークを使いますかと英語で尋ねたら、no-と答えて、器用に食べて、コーラをサービスして、アメリカや音楽やお互いの仕事の話をして意気投合、一週間後に中野サンプラザでコンサートがあり、池袋のメトロポリタンホテルに泊るとの事で、ライブ終了後にホテルのロビーで待ち合わせて、食事をしようという事になった次第です。
 約束通りロビーで待っていたら、メンバーの友人を連れてきてビックリ。女性でなく、オデブチャンの男性を連れて来たので、二度ビックリ^^・・。出ました^^^なぜのporque・・・マサカ僕をゲイと思った訳ではないだろうし、とにかく100㌔は軽くあり、君は、ヘイスタック・カルホーンかマクガイア・ブラザースか^^・・と自分に一人突っ込みをしたが、柔和で育ちの良さがにじみ出ていて、3人で東口の居酒屋で約3時間の楽しい夕べのひと時を満喫しました。 ホテルまで送り、又の再会を約束して、別れたが残念ながら再会は実現できずに今日にまで至っている。
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1999年11月、トムと池袋の居酒屋(上)池袋メトロポリタンホテルのロビー(下)で再会する。
 このエースホテルはビジネスホテルですが、FMWの初期の頃の工藤めぐみさんがいた時代にも、前日に桐生市民体育館での試合終了後、ハネ発ちで都内に帰らずに一泊したのは、凄い^^^。「FMWが黒字経営になった証ですね・・。」
 朝の10時過ぎにホテルから車に乗り込む工藤さん、コンバット豊田さん達の女子プロ勢が荷物をいっぱい持ってたのが思い出されて、あの時「声を掛けたらビックリしたろうなあ^^・・」。そうなんです、声を掛けなかったので、少し後悔していて・・・実は格チャンにも2人共別々に出演してくれてます。
 因みに店には、プロレスファンも多数来店してくれて、写真もいっぱい飾ってます。ある日・・・当然僕は都内にいて留守ですが初めて来店したお客さんがJWPの元スタッフの男性で「この写真は、1/2兵衛さんですよね・・・」と母に尋ねて、母が「はい、家の息子です」とビックリして答えた事もある。ただ、未だにこの彼が誰なのか、名前が出てこない・・・。他にも普通のプロレスファンの証券会社の男性が何度も来店して母と仲良くなり、実際に対面したら、「今度前橋で結婚式があり、司会をお願いします」とウソのようなリアルな嬉しい出来事もあり、人生の晴れ舞台の司会は光栄ですが、かなり気苦労と入念な打ち合わせが必要なのも大変ですね・・。 
 そんな、田舎の桐生でも出会いがありましたが、アメリカに住むなら絶対にNYと決めていたので、2010年は、WTCの側にモスクの建築計画の話が浮上したり、フロリダの50人ぐらいしか入れない教会の牧師が、コーランを燃やすと宣言、撤回したりと何かと物議を醸したが・・・。ジョン・レノンの名曲♪imagineの意味をもっと他人事でなく、自分自身に一年に一度でいいから問いかけて欲しいと強く願う。これは、8月15日の終戦記念日を忘れないと同様に、大切な歴史の重さと現在の平和の有り難味。命を賭け、削りファンを楽しませるルチャドーラの偉大さを、この断崖絶壁からの「死のダイブ」で改めて痛感させられ、頭が下がる想いです。
 でも時間の関係で、観光ショー「死のダイブ」の生観賞は出来ずに、oh my god. 何をしていたかと云うとアカプルコ・プラサホテルにチェックインして、やはり直ぐに紺碧の海に皆で行き、スカイハイならぬボートパラセーリングを生まれて初めて見て、清水さん達に「寺貫やれよ^^・・」と何度も急かされたが・・・高所恐怖症で以前にイベントで熱気球に乗った時は、見るとやるでは全く違い、物凄いスピードで上昇していき、あのガスバーナーの噴射時の音と周りの景色はもう生きた心地がしなかったので「無理と・・」即答したが。
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ビル・ダンディとルイビル・ガーデンにて休憩中に・・柔和で体は小さくても心は大きな人です。とにかくメキシカンの雰囲気が出ていて、^^・・不思議なダンディさん。
 今回は、ここまで・・。予定が少し変更しましたが、次回は、大熱狂のリスマルクのファイトと・・・。あなたのハートに平和とミルホンネット、アディオス・アミーゴ。