寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#1~1984年、いよいよ念願のメヒコ、アメリカへ・・・地球は広い!

 『格チャン』1990年6月放送の「MSWAプロ」Mid-South Wrestling Associationは、1979年オクラホマの盲目プロモーター=リロイ・マクガーク派からビル・ワットが独立して実質乗っ取ったプロモーションだ。ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー、オクラホマでサーキット、1986年5月にUWFに変更するも87年4月、NWAジム・クロケット・プロ傘下となることを余儀なくされる。88年11月にそのクロケット派も経営破綻して、テッド・ターナー・グループに買収されてWCWが誕生する。古きよきテリトリー地区別のアメプロはthe-endとなり、WWFとの2強による、TV戦争の幕開けがやって来たことになろう。

 1984年10月20日にスタートした『世界のプロレス』中継のメインは同年5月9日(現地時間)テキサス州フォートワースでのNWA世界へビー級選手権「王者ケリー・フォン・エリックvs.前王者リック・フレアー」の名勝負だ。このビデオもべータかVHSで録画したのでテープ探そう^^。この番組のおかげでWCCWのエリック兄弟や、Bブロディ、ロード・ウオリアーズ他ルチャも観れてムイビエン^^・・。簡単に流れだけ追いましたが、やはりテレビの力は今も偉大だなぁ~と関心した次第ですが・・・。
 でもお馴染みの映像も、1984年2月はまだ『世界のプロレス』放送8ヶ月前であり、いかに貴重な経験だったことか・・理解してほしーーの^^・・。当たり前だけど^^現地に行かなければ観られなかった時代のことです。

 話は戻り、『格チャン』オンエアのメインはリック・フレアーvs.ジェーク・ロバーツ、セミはディック・スレーターvs.ハクソー・ジム・ドゥガン、敗者ペンキ「黄色」掛けられマッチ、チャボ・ゲレロvs.スティーブ・カーン、ブッチ・リードvs.ノード・ザ・バーバリアン、マーク・ルーインvs.エディ・ギルバート、ヒューストンとタルサの大会からでした。ゲストは、東スポの川野辺さんと週刊ゴングの小佐野君・・2人とも現役で活躍中で何よりです^^・・。
 注目は敗者ペンキマッチで、過去日本でこの種の形式で行われた記憶が無いので誰か知っている人いたら教えてアミーゴ^^・・。この試合は、説明するよりビデオが奇跡的に残っていたので、画像で観てそれぞれ感じて欲しいけど、無理なので内容はどっちが勝ったか・・よりペンキを掛けられたのは、・・何と皆さんの予想がはずれたと思うけど、チャボでした・・。信じられない~・・。この1980年代初期のアメプロもノスタルジー溢れていい時代だったと^^・・、この言葉がぴったり。

 さあ本題に戻り、箱崎シティーエアターミナルで待ち合わせ、リムジンバスで一路、成田に向かうが渋滞が少しあるだけで不安になり、この後は、日暮里から、スカイライライナーで時間の心配なくいくのがベスト^^ですよ・・。そして、忘れる事の出来ない経験は、当時パスポート申請に、なんとアメリカ大使館に行った事で不思議な空間だったとしか、覚えてないが・・もう体験出来ないのも、ちとさびしいね^^・・。いよいよ寒い東京を過ぎて畑ばかりの田舎が見えてきて・・。
 1984年2月13日、成田空港発のパンナム22便で、清水さん夫妻とカメラマンの週刊ファイト・伊ヶ崎さんの4人で期待と不安の中、搭乗口で待っていたら出発が急遽シンガポール航空に変更され、憧れのパンナムに乗りたかったので残念でしたが、帰りは無事に乗れてブラボーでした^^・・。
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1984年2月13日成田発ロス行きのシンガポール航空のチケット、同日ロス発メキシコシティー行き・・のメヒカーナ航空、2月20日、シティー発成田行き・・のパンナム。

 初の海外旅行でも有り、過去に国内でも、東京から大阪までのスカイメート(当時20才迄の割引料金で乗れた^^・・)と今年の春頃世間を騒がせた「死体の一部が発見された」福岡の能古島での「フォークのオールナイト・ライブ」の羽田から福岡までの、たった2回しか経験してないので、長時間フライトは怖く、無事に乗り換え地のロスに着いた時の感動は、異常なまでのテンションでして・・・。乗り換えのメヒカーナ航空の待ち時間をレストランでつぶすことになり、なんと初の英語での注文と支払いをドルで済ませた時の感動は、言葉で表せない^^。そして注文したのが今も嫌いなオレンジュースだったなんて笑えるね^^・・よほど緊張していて、コーヒーかビールと思っていたのに、口から出た言葉は「orange-juice^^」・・でも通じて良かった^^・・。おつりも貰えて「thank-you」も言えた^^・・。そこの貴方、笑ってはいけません^^何事も初めが肝心ですぞ^^・・。
 だって今でも、初対面でもあまり、緊張せず、どっちかって言うと日本人より、アメリカ人、メキシコ人といた方が好きで、真面目が売りの日本人「昔ながらのステレオタイプですので・・」。もう最近はジョークも通じて、・・余りこの手のタイプは少ないがまだ田舎はいますよ^^・・。簡単に説明するなら、KYー空気が読めない・・これに尽きますね^^・・。

 落ち着けるのは、・・「なぜーポルケ・・」。昔の日本人の彼女にも人前でもキスやハグは当たり前で、^^・・勿論彼女も同じキスもハグも出来なければ付き合わないし、人様に迷惑かけなければokでしょう・・。一緒にいて疲れていたら、男同士でビールでも飲みながら楽しい時間を過ごした方がよっぽどストレス溜まらないね・・。
 「レディ・ファースト」もきっちり行うのが僕の流儀と言うかボデイランゲージと言葉の好き好きの褒め殺しで・・キザで私には合わないーと思った貴方、一度経験したら、ぶっきらぼうを売りにする、気の利かない男より媚薬かも^^^・・。
 1997年春、初めて外国人(英国)と付き合った時に彼女に「僕のどこが好きで付き合ったの^^・・とマジで聞いたら、「ハンベイは、私の出会った日本人の中で一番日本人ぽくなくて、あのジム・キャリーのようにおもしろく、楽しいからだよ」って^^・・言ってくれた時、ほとんどオノロケになったけど、その後、予期せぬ別れが待っていようとも知れず・・・。最高の褒め言葉として、今も心の支えで、当時何もかも捨ててロンドンに行こうと真剣に考えた訳でして。
 もし1000人でも1万人でもアンチ・ファンがいても、たった1人の理解者がいるだけで人は強く生きていける^^・・そして愛の力と友情の絆は世界を超える・・。そんな価値観もあり、この「オレンジ・ジュース事件」は本当に実体験として、島国の日本を飛び立った、微笑ましくも、ちょっぴり恥ずかしいエピソードの一つですが・・・。

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1997年夏(左)、春(右上)・・・東京ドームシティの帰りのタクシー内、全日空ホテルでのディナーに向かう謎のマスクマン&カナダ人女性と英国人ジョアンヌと僕・・・。(右下)1984年2月、ロス空港で買ったロス・オリンピック公式記念のロゴ入り財布(当時で8ドル・・未使用)

 LAでの約2時間の待ち時間も過ぎ、いよいよ搭乗、あの有名レスラーのお出迎えが有るとも知らずに、スモッグとガソリンのいやな匂いとごみの匂いがプラスされた^^・・太陽の国「メヒコ」が下界に見えた時は、「ビバ・メヒコ」と1人トイレに入って、コンタクトを付け、小さな声で^^・・喜び、タラップを降りるとスモッグと埃ぽい風が我々を出迎えてくれる。
 ガソリンの嫌な匂いと合体して、正しく「メヒコの匂い」の充満したベニトフアレス空港に足を降ろしたが、以前、TVでラモス瑠偉さんが読売クラブに入団の為、羽田に降り立って(1977年4月29日、20歳の頃)感じた一言は「しょうゆの匂いがした」・・と言ったけど、「マジですか」と聞きたいけど^^・・。メヒコはタバスコの匂いでもないし、ロスもシカゴもニューヨークも他の場所も何の匂いもせず。1996年6月に再渡墨した時もこの匂いはやっぱり鼻を尽き、「これが、メヒコだなぁ~」と1人悦に入っていた事も懐かしいけど、UFO問題ぐらい個人的に気になる^^・・。

 通関口で何と初のメヒコの洗礼を浴びる・・勿論教会でなく空港で・・^^。持参した母の手作りおにぎり1個と梅干3個が不審に思われ、「覚せい剤かコカインかなにかと勘違いしたのか・・・」約20分待たされ、最後は1人の係員がおにぎりを食べたらびっくりして、笑いながら、「ハポン-日本」の伝統的な食べ物だと言って、やっと納得してもらえる。入国入り口カウンターで待っていた先発隊の元藤波FC『飛龍ドラゴン』副会長のぺぺ田中君と現地在住・通訳の三浦さんと2-3人のレスラー(勿論素顔)達と挨拶をかわし、2台の車に分乗し宿舎のアラメダ・ホテルに向かう。窓の外は、空気が乾燥してるせいか、喉が少し痛くなり、なぜかタクシーはビートル(カブトムシ)が多く、勿論日本と違い料金メーターも無く、乗る前に交渉して、納得したらレッツゴー^^・・。

 僕は清水さん夫妻と同乗、右を見たり左を見たりと忙しく、標高2200メートルの気圧も関係なく、思わず^・・「地球は広い^^・・」。交差点の信号待ちでは、幼い子供達、親のいないストリート・チルドレンの多さと火吹き男に絶句。大道芸人のように・・・、今の日本ならここは、駅前でもなく、立派な公道で、世界一の人口1600万人のメキシコシティーだよ^^・・。ここで凄い発見をしてしまったのです^^・・。この乗車してる謎の運転手は、2流のルチャドールだと予想はしていても、驚いたのは、日本では絶対ありえない、セダンタイプだが、後部座席から前を見たら「なぜ、ポルケ^^・・」。フロントガラスに大きなガムテープが幾つも貼られていて、見ずらくないのか・・・。それより、危険だよ・・。

 もっと驚いたのが、このセニョール(ミスター)どうみても、ドンタコスのCMに出てきた様な田舎のおじさんにそっくりで、にこにこ笑って・・・。
 話は戻って、子供達が勝手にフロントガラスを拭き、日銭を稼いでるシーンは、皆さんもTVで観た事もあると思いますが、日本がいかに幸せな国か痛感させられる。「安易に同情するな・・」と日本にいる時にアドバイスされたので、無視せざるを得ない。もしこのメヒコで生まれたなら、自分の人生は・・・と考えざるをえない訳で、チョットセンチになったが、道も渋滞して、予定より遅れてホテルにチェックインする。どうしても本場のルチャが観たくバスで30分位の水の都として有名なソチミルコの「アレナソチミルコ」に予定を変更、ホテルの前からおんぼろ車で郊外へと出発した^^・・。

 どんなレスラーが登場し、会場の雰囲気やおみやげのマスクと雑誌も幾らで種類は・・・^^。期待100パーセントで遂にもうすぐ夢に見たルチャリブレの世界を体験出来るので・・・胸は張り裂けそう・・oh-my-god^^^。そして、気になるあの、ドライバーの正体は・・・。
 また、ハプニング発生が^^・・W杯同様にラテンパワー全快の、殆ど『世界ふしぎ発見』に負けない「ソチミルコふしぎ発見記^^・・」。

 今回はここまで。では、いつものフレーズで「あなたのハートに格闘チャンプフォーラムとミルホンネット、アディオス・アミーゴ」

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群馬県同郷のグラン浜田と著者・寺内1/2兵衛ミルホンネット記者近影