美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act24「ミル・マスカラスという名の“立地”」

 『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
 Act24「ミル・マスカラスという名の“立地”」
 時代が変遷のときを迎える。戦後の混乱期、全土を覆っていた“敗戦”ショックをまさに吹き飛ばさんかのように時代の顔として登場した街頭テレビのヒーローこそ、力道山であった。外国人レスラーはみなみな、敵の時代。そこから時代の空気は一変し、異国人でありながら観衆の注視を一身に集め、躍動する。群がる少年、少女。
 背広姿の大人たちに混じって観客席からいまかいまかと首をもたげ、その登場を心待ちにさせる、かなたメキシコ国から飛来したまさに“颯爽華麗なる”マスクマン。
 そこには明らかなひとつの時代から次の時代への変遷を思わす、まさに“トリップスター”としての輝きがあった。
 「荒々しさよりも優美さ」「憧憬という名のしなやかさ」
 そうなのだ。マスカラスは、もしやプロレスというジャンルに神様なるものが存しているとするならば、憧れという心象をリング上に持ち込んだ最初の異国人レスラーであったのかも知れず。力道山登場から連綿と現在へと至る本国のプロレスシーンにあって、マスカラスは欠かすことが出来ぬ、このジャンルに子供たちが求めて止まなかったリング上の華なるものを注ぎ込んだ“時代の息吹”その先駆者ではなかったか?
 「なんでも良いものは取り入れてみよう」そんな良い意味で従えられた日本人気質というものが、マスカラスの登場から次いで彼をスーパースターへと押し上げていったのではないか?。「プロレスは喜怒哀楽という、心象風景を映し出すジャンルなり」ミル・マスカラスは“憧憬”というレシピを懐に携えて異国の地、日本へと飛来してきたのである。
 “千の顔を持つ男”ミル・マスカラスの初来日は1971年2月、日本プロレス。東京スポーツ制定の『プロレス大賞』年間最高試合賞を獲得した、vsジャンボ鶴田戦は1977年8月のことだから、或いはマスカラスを語るには80’S・プロレス黄金狂時代というタイトルにおいてはそぐわないのかも知れない。
 だが、80年代以降もたとえば83年の12月シリ-ズ「世界最強タッグ決定リーグ戦」におけるvsハンセン・ブロディ組とのドス・カラス、兄弟デュオ編隊による闘い模様は有名だ。
 往年の全日本プロレス“夏の風物詩”サマー・アクション・シリーズでは毎年、マスカラスの勇姿が見られたものだが、その全日本との契約を満了したのちは、乞われるままにインディ団体の興行、まさにその“顔”として飛来し続けた。
 1942年生まれとの通説通りなら、本年2008年では還暦を越え、66歳ということになる。それでもどこかの団体が交渉を持ち、ギャラさえ折り合いがつけば、“仮面貴族”は来る年でも悠然とあのマントを翻し、日本のマット上に登場することだろう。メキシカン・ソンブレロを粋に被り、或いはアステカ王朝を思わす華美なる装いでファンを魅了する。そんなファンの喝采に応えるべくオーバーマスクを場外へと投げ込む往年のムーブはまさに“あの当時の”子供たちに憧れとして見上げていた時代の息吹を甦させることだろう。
 ミル・マスカラスこそは時空をも飛び越えることが出来る、プロレス界の“奇跡”、まさしく飛鳥貴族。「人間国宝」と題した専門誌の記述を読んだことがあるが、まさしく言い得て妙ではないだろうか?
 マスカラスは初来日当初、未だ色濃い外人レスラー=悪役レスラーという概念を覆したプロレスラーとしても知られており、当初は“悪魔仮面”とも称されたが、そのビルドアップされた肉体が華麗に宙を舞う姿態に魅せられて、次第に少年少女の“憧憬の的”アイドルと化していった。
 だが、どのような世界でも名を成す者に対する好悪の感情はあるもので、マスカラスに関してもたとえばあの故・ジャイアント馬場氏が実はファイトスタイル以前のプライド高い性質をあまり好んではいなかったとの逸話は有名な話だし、ゆえに草創期の全日本、その象徴とも言われたPWFタイトルへの挑戦が一度も無いということに興味を抱いて一編、ものしたこともあった。一説には、「あれほどの人気者を挑戦させてしまったら俺が負けなきゃしようがないだろう」などと呟いたとされるまことしやかな、本当っぽい逸話も残っているが、果たして真偽のほどはどうであろうか?
 私はと言えば、やはり想い出深い一シーンとして幼い時分にサインをねだった際にかたむけてくれたマスク越しの微笑が未だにまぶたの奥に張り付いて離れない。幼児の頃から大男こそ見慣れていたはずなのに、マスカラスに纏わる想い出は恒に“見上げるほどの”マスクマンであったなとの追憶。自身の憧れのひとであるとのオマージュがそう、思わせていたのだろうか? 忘れがたき、幼い私の心根にしっかりと根ざした“微笑湛えぬ、両の瞳”。
 時の“ゴング増刊号”を胸躍るように読んだ往時の記憶も未だに生々しく思い出されてならない。
01.jpg     
《あまりにも貴重な、ゴング誌増刊‘71年7月号》          
0.jpg
《こちらも垂涎ものの一冊、ゴング誌増刊‘77年6月号》
 プロレスというジャンルは何も強さだけに固執していれば良いという競技では無いはずだ。観衆を魅了して止まぬ、それこそ華麗さや、或いは憎悪を沸き立たせるヒールファイトを全面に打ち出して善悪を際立たせてみたりと、個性が個性を呼ぶと称されるほどにセルフプロデュースが必要とさせる奇特なるジャンルである。マスカラスもまた多くの黄金時代の異国レスラーがそうであったように、どこまでもマスクマン足らしめる自身の神秘性を保とうと計っていた。自宅のシャワールームでさえマスク越しにシャンプーをかけ洗っているなどという、思わず笑わずにはおれない逸話の数々はまたそれだけいかにマスカラスが己のマスクマンとしての世界を維持する為に努力していたか、その証左だろう。そんな拘りが実にかつての多くのプロレスラーには見て取れた。果たしてこの先、本国の、いや世界のプロレスはどこへ向かおうとしているのか?
 ミル・マスカラスの華麗なる世界・・・・・・いまや“かつての子供たち”の心根に沈殿したままセピア色でしか輝かないという惨状は悲しいことだ。
 時代がどう、変わろうともあらゆる変遷の色を見せ、私たちを魅了して止まなかったプロレス。この先、あのマスカラスを黄金狂時代の遺物として封印の域に押し込めてはなるまい。あのマスカラスが輝いた時代を超えるほどの隆盛、憧憬を時代の子供たちにも、もたらしめんことを切に願いつつ・・・・・・。“仮面貴族”はまた未来を語る基点で有り続けてほしいと思うのだ。
 
 ☆お蔭様で読まれております。ミルホンネット・美城丈二著作一覧