新日本プロレス、第1回IWGPタッグリーグ戦雑感 解説・美城丈二

08.8.18pogo10.jpg 8月16日、雁之助自主興行にて行われた「ポーゴ・フェスティバル」。新木場1stリングに降臨された元祖様は、「百万光年早い!」の決め台詞を吐いて、ニセモノたちを寄せ付けなかった。
 さて、ポーゴさん本人の校正確認が終わり、ようやく待望の後編の刊行が始まっている。

 関川哲夫がミスター・ポーゴとして新日本マットに13年ぶりに復帰。その舞台は後年、様々な識者が思い思いの感慨を綴ることになる、1985(昭和60)年11月15日から12月12日まで開催された第1回IWGPタッグリーグ戦である。
 ポーゴはランボー・サクラダ改め、ケンドー・ナガサキと組んでの参戦だ。
 先年まではMSGタッグリーグ戦を開催していた新日本もこの年、WWF(WWE)との提携を解消し、名称変更での開催となった。

 当初、検討されたとされるメンバーはスーパー・バイオレンス・コンビ「ディック・マードック&アドリアン・アドニス組」、この年、揃って初来日していた「ハクソー・ヒギンズ&キングコング・バンディ組」、「アンドレ・ザ・ジャイアント&マスクド・スーパースター組」、そして「ミル・マスカラス&ドス・カラス組」である。
 だが、WWFとの解消に伴い、マードック組とアンドレ組が消滅、マードックはスーパースターと組み、アンドレ、アドニスは不参加となった。(アドニスはWWF離脱後にあらためてマードックとのコンビを翌年の新日リングで復活させているが、ポーゴの第11章にあるようにカナダで交通事故死している。)

 85年3月の初来日で、猪木をバックフリップで失神させたヒギンズであるが、パートナーはスケジュール調整がつかなかったバンディを外し、ザ・バーバリアンと組むことに。また悪の帝王エル・カネックと典型的な善玉ドス・カラスは苦肉の初コンビ結成でしかない。望むらくは新日本マットでも兄弟組が見たかったところだが、ギャラの面で折り合いがつかなかったらしく、全日本の顔だったマスカラスは不参加に。名の通った敵対するルチャドールがメヒコ国旗のためにチームを結成したというお題目での参戦であった。
 当初から呪われていたタッグリーグ戦だったことになる。
 
 当時、関係者間で囁かれた提携先・MSWAからジム・ドゥーガンを招聘して誰かと組ませたり(単独で、明くる年に初来日)、先年、発表されたにも関わらず不参加だった「ダイナマイト・キッド&ディビーボーイ・スミス組」、マイケル・ヘイズとジム・ガービンの新生「フリーバーズ」も結局、参加には至らず。

 ファンは、海の向こうで大流行だったタッグ編成チームからボビー・フルトン&トミー・ロジャースの「ファンタスティックス」や、ボビー・イートン&スタン・レーンの「ミッドナイト・エキスプレス」辺りも夢見たようだが、全て不参加となっている。
 参加のパットとマイクの双子タッグ「ケリーツインズ」は完全な員数合わせ、白星配給係りだった。

 こういったタッグリーグ戦のカード編成を筆頭に、やはりマッチメイカーの苦悩は十二分に忍ばれるものだ。直前まで誰と誰が組むか分からない場合や、決まってもどう、白黒のフィニッシュを配していくか? 煩瑣な展開を上手く形作っていかねばならない。
 何より、この年はあの「プライドの塊」ブルーザー・ブロディが居たのだから、相当、頭を悩ませたことは容易に想像がつく。ブロディ&スヌーカ組は結局、優勝の戴冠を指示されぬ“けつ決め”(フィニッシュ)であったからこそ不服を抱き、ボイコットという強攻策に出た!! やはり決勝は藤波がスヌーカを抑えての優勝との青写真ではブロディは納得しなかったのであろうか。

08.8.18pogoNJ.jpg この年は、なによりブロディのひとり舞台という様相だったから、そのブロディ見たさのファンを納得させる為には、結局は猪木を破っての藤波組優勝は、猪木らしい、とっさの判断だったと思えよう。
 猪木組と藤波組で決勝進出戦を行い、決勝でブロディ組と覇を争う形にマッチメイクが落ち着いた為、いわば準決勝戦での藤波の“鮮烈なる”猪木からドラゴン・スープレックス・ホールドでのフォール勝ち⇒ブロディ組との決勝へ、など当初の予定では有り得ないと読む。藤波のタッグ試合ながらの猪木への初フォール勝ちは、ブロディ組ボイコットの副産物と見るのが妥当だ。
  
 ブロディはボイコット前夜、ブッカーでもある坂口をいたぶり左足を破壊(という筋書き)、決勝当夜はよって猪木組は欠場、藤波組vs.ブロディ組で決勝を争い、木村を抑えてのブロディ組優勝をもくろんでいたようだが、歴史はそういう展開を生まなかった。
08.8.18keio.jpg 結局、ブロディ組のボイコットという波乱の事件が起き、決勝進出戦が優勝決定戦という展開を見せたわけだが、「場外フェンスに相手を投げ出したらお客さんに危険だから反則負け」という不透明決着が多用される、ビジネス黄金期にあぐらをかいた玉虫色の星勘定展開が記憶に残る。

 それゆえに、決勝戦でなくシリーズ中での開催となった12月6日両国国技館大会にて、前田明らUWF勢が「UWFの一年半が何であったのか確かめるため・・・」と出戻りの挨拶をして、翌年からの参戦を発表した場面が際立っていたものだ。
 リーグ戦開催前、「ファンが選ぶ夢のシングルマッチ投票」との企画も行なわれ、ブロディvs.マードックや藤波vs.スヌーカ、藤波vs.ドス・カラス、猪木vs.スヌーカ等行なわれたが、ファンの間ではいまひとつ盛り上がりの欠けるシリーズとなったようだ。
 米マット界ではライバル関係にあり、抗争中であったマードックとブロディにせよ、本気モードのマードックの先制のドロップキックでブロディが吹っ飛んだ場面はマニア語り草であったのだが……。

 先年まで開催されていたMSGタッグリーグ戦では猪木とボブ・バックランドが組んで、ハンセン・ホーガン組と対峙してみたり、リーグ戦をかく乱させるシン&上田組がいたり、特別試合としてダスティ・ローデスとそのシンが絡んだりと、のち語り継がれることとなる、様々な闘い模様を見せてくれていただけに、それに比べればインパクトに劣るということになるのであろうか。
 著作者・ポーゴ氏が語っておられるようにナガサキ&ポーゴ組の戦績はいまひとつ。かつてのシン&上田組ほどのかく乱戦術でもう少し、楽しませてほしかったというのがファン目線の往時の記憶を手繰っての感想だ。

 本命組に乱撃戦ののち反則勝ちを収めるとか波乱の展開を生ませよう位置にあったのはナガサキ&ポーゴ組だったろうから、惜しいといえば惜しい星取り按配となる。だが、先述の通り、「けつ決め」をどうするかは大変な作業だから、気配り外交を強いられるブッカーの苦労を忍べばこれ以上は望めないということだろう。
 まさに新日本・「闘魂三銃士時代」到来前の煮詰まった時代を象徴するタッグリーグ戦だったという見方をもって断じれば、張り切って参戦した著作者にお叱りを受けよう、言い草か!?(苦笑)。
 
 ちなみに当年、同時期の全日本マットでは恒例の「世界最強タッグリーグ戦」が行われており、鶴天コンビ、長州・谷津組やハンセン・デビアス組、レイス組、ニック組、そしてキッド・スミス組が“電撃移籍”して参加している。
 新日本との興行戦争は熾烈を極め、外国人チームのハンセン・デビアス組が鶴田・天龍組を下して初優勝。新日の決勝が行われた仙台と場所は違えども、同日開催の武道館大会であった。
 外国人組をオーバーさせた全日と、藤波・木村組の昇格にこだわった新日。ガイジンに甘くはない姿勢を貫いた猪木&カンパニーであったが、ブルーザー・ブロディの扱いには困惑することになる。
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