『美城丈二の“80’s・プロレス黄金狂時代』Act⑱【長州力という名の“屹立”】 

 『美城丈二の“80’s・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
   Act⑱【長州力という名の“屹立”】
 
  「屹立(きつりつ)」
   ・・・高くそびえ立つこと。堂々とそそり立つこと。
       三省堂・大辞林から。
 90年代、新日本プロレス。闘魂三銃士の時代。まさしく長州は、武藤、橋本、蝶野、彼らと相対して屹立していた。大いなる壁、頂(いただき)であった、ように思う。
 リング上があきらかに新時代を迎え、華やぐ中で、UWFインター闘争や青柳、斉藤といった面々、誠心会館との抗争劇は、確かに新日本プロレスのマットに何が起こるか判らないという「緊張感」を見る者に植えつける、アングル足りえた。
 そう、長州はリングの内、外にあって一レスラーとして現場の管理者として屹立し、新日本の新日本足らしめる柱がなんであるか、身を持って呈していた。
08.7.16choshu1.jpg もともとはレスリング・ミュンヘンオリンピック韓国代表の猛者でありながら、1974年8月、新日本マットデビュー後は地味な雰囲気と固いレスリング運びというイメージが災いしたか、なかなかメーンエベンターとしての風格は感じられぬものがあった。後年、本人が「迷いがあったのだと思う」と語っているように、それら心身の揺らめきは微妙に見る者に伝播するものだ。

 だが、タイガーマスク出現でプロレスブームがにわかに沸騰、世間の渦を味方に得た新日本マットは躍動し始める。メキシコ遠征後の1982年10月、帰国後の開幕初戦、あのあまりに有名な“噛ませ犬”発言を経て、長州を取り巻く様相は一変した。革命戦士として、一躍、人気者と化したのだ。
 藤波との一連の名勝負数え唄。まだまだ記憶に新しい。あまりにも鮮烈過ぎるがゆえに、ひとによってはあの時代を指して「未だ回顧の域では無い」と断言する識者だっておられるほどだ。のち、そんな多くの識者がまた指摘している通り、日本人vs.外国人という旧態然としたプロレス史の流れを一気に変えてしまうほどの勢いを得た。
 何よりハイスパートレスリングと名付けられた、いわゆる“ラリアットプロレス”は、それまでの間(ま)を随所に織り込んだプロレスリングの試合運びを覆すもので、さながら目まぐるしく攻守が逆転していく闘い模様は当時の若いプロレスファンには受けに受け、長州時代は更に加速、「俺たちの時代」発言以後、強固な長州時代を築いていった。

 闘魂三銃士の出現は、見方によっては長州が現出させたドラマツルギーでもあったのだと思う。長州がまた猪木を超えんが為に、その大いなる頂、屹立する牙城に挑みかかったように、三銃士の壁となり、己を打ち破ることが彼らのプロレスラーとしてのステータスを高めんが為のまるで所作でもあるかのように高い高い頂であろうとした。
 あのG1にて連敗を喫し、「もはや長州もこれまでか?」と思わせておいての怒涛の復活劇、G1制覇・IWGPベルト戴冠。サクセスストーリーはいばらの道であればあるほど、その花が咲き誇るとき、大輪の輝きを得る。壁はその底辺から崩れたように見せての、実は未だ根底まではくず折れてはいなかったのだと思わせる、復活戴冠劇。

 だが、そんな長州も議員時代を経て、復権迫る猪木の毒牙に遂に辟易としたのか、プイと横を向いてしまった。新日本離脱。そしてWJ設立。マット引退後、あの“邪道”大仁田厚との2000年8月の電流爆破デスマッチを経ての復活、のちアントニオ猪木に異を唱えての脱退劇。まるで求められるマットに求められるがままに参戦し、紆余曲折を経て、ようやく自身の思いを晴らさんが為に自ら求めてWJを設立したかのようにも感じたが、いかがなものだったのだろうか?

 かつて己の前にすっくと屹立した猪木が再びその存在をあらわにしたように、長州もまた新日本マットへと帰ってきた。識者によっては「もう、既に完結している!!」と断を下されもする、長州力という男。
 果たして本人の意中はどこにあるのだろう!?このままくず折れたままであるかのように少しずつ日本マット界からフェードアウトしてしまうのか?

 あまりに鮮烈過ぎた、維新革命時代、そして俺たちの時代。往年のファンは今もその動向をうかがい知ろうとするのだろうか?あの往時の屹立然とした容姿を思い起こすたび、いま現在の長州力というレスラーの佇まいに釈然とせぬ者もきっと多いことであろう。
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