美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 “地方巡業という名のノスタルジー”

『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
 Act⑫【地方巡業という名のノスタルジー】
“あの、咽喉も嗄れんばかりに声援を送り続けた子供たちはどこへ行った!?”

 久しぶりに、多くの方々からリクエストを賜わるプロレスというジャンルのお話しです。(今回は自身が管理するブログサイトコラム、ミルホンさんブログコラム併用という形でざっくばらんに書かせていただこうかと思います。)
 総合格闘技の人気沸騰という波に押され、未だ人気回復の糸口すら掴めない底冷え状態久しいプロレス界。お客さんの入りも一部、復調傾向にあると報じられていたりしますが、まだまだ隆盛期と比べれば雲泥の差という状態でしょうね。

 地域密着型プロレス団体はともかくとしても、いわゆるメジャー系団体の地方巡業なるものもますますめっきり減ってしまいましたね。かつては、と言ってももう随分以前2、30年前までのプロレス興行と言えば当たり前のように異郷の僻地、そういう場所まで巡業としてやって来ておりました。それだけ日本各地、津津浦浦までその人気が浸透していた証左でもあろうかと思うのです。
 シリーズ自体がロングランで1ヶ月以上に渡って一シリーズが行なわれることも年に数回はありました。その内訳はたとえば九州シリーズだとか、東北シリーズだとか、各地方をまんべんなく興行していくスタイル。場合によっては今日はこの町、明日は隣町などという、それこそあまたの地方を順繰りに廻って行くだとか、新日本、全日本も結構、そういうことがありましたよね。

 言うまでも無く、パブリシティという、興行論に根ざした経営体質改善によってもっとも公共に伝播し易い地上波TVの深夜枠移行が、悪く考えれば地方切捨てを生んだのでしょう。ゴールデン枠に毎週放送される場合に比べ、深夜枠は明らかにコアなファンでも無い限り見ようなどとは思いません。録画してまで見ようかという層にしてもこれもコアなファンに比重がかかる選択肢なのですから、いかにゴールデンという枠が宣伝効果を生んできたか、それは誰しもに考慮の及ぶ自明の理というものでしょう。

 ゴールデン枠には「どれ、そんなに面白いのであれば一度、見に行ってみようか?」などという地方在住の一見さんを生む土壌もあって、やはり深夜枠への撤退がプロレス巡業地方切捨ての一原因と見て間違いないでしょう。ゴールデン枠と深夜枠では放映権料も大きく違いますし、お客さんの入りも全然、隔たってきます。そうなると団体側はよりコストを落としたスリム経営を考えざるをえない。

 90年代新日本隆盛期、「闘魂三銃士」の時代は都市型集中興行形式で安定安泰経営がなされました。これらに反発するかのように生まれてきたのが、ザ・グレート・サスケ選手が先鞭をつけたみちのくプロレス地方特化型の経営方法論だったのですが、いまや地方によってはプロレス中継という番組自体すら放送されていない地域もあり、お客さんの閑散化はますます深刻な事態となってきております。

 そんなみちのくさんが我が古里で興行をまもなく打つのですね。東北地方発信で全国にその名が轟いたみちのくさんが、我が古里、南九州にやって来る。実はこれ、誠に貴重な興行で、当地初お披露目という実際、“快挙”ともいうべき興行です。地域振興の一環として行なわれるそうで私もふたりの子息を伴って見に行く予定です。

 思い起こせば、マスカラス、シン、ブッチャー、ファンクス、ロビンソン、アンドレ、ハンセン、ホーガン、馬場、猪木、藤波、鶴田、前田、長州、藤原、上田、坂口、戸口、大熊、小鹿・・・多くの異人レスラー、邦人レスラーを始めて目の当たりにしたり触れ合うことが出来たのも、南九州の一地方会場でした。

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少年ファンにとって恐怖の象徴だった流血王シークとブッチャー

 以前は新日本あたり、開場後に練習風景を公開しており、時にはリングに手招きされて一緒に身体を動かしたこともありました。ファンサービスの一環ではあったのですが、幼心に大変、高揚した記憶もありますね。何より憧れのプロレスラーが優しい慈愛の眼差しで話しかけてくれる。雑誌等のインタビューで「プロレスラー」としての自身に確固たる誇りを持って屹然と質問に答えていく。そういうプロレスラーばかりでしたから、その慈愛の微笑みは、誠に温かく、また優しみに溢れたもので、ファンに媚びているなどというかけらも感じられぬ、立派な姿勢を子供心にも思わせたものでした。

 “仮面貴族”ミル・マスカラスの登場あたりから会場にも多くの子供達、女性客も集うようになり、それまでのやや暗さを伴った陰鬱な風情、大人達の日常を超えた治外法権の場でもあったプロレス会場も様変わりしてきました。物心ついた時分から会場に押しかけていた私としては同級生の子らと談笑しながらリングを見つめることも多くなって、素直に嬉しかったですね。

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昭和プロレス郷愁の原点はマスカラスの雄姿か!?

 その傾向は初代タイガーマスク、佐山さん登場あたりから更に顕著になってますます華やいだものとなっていきます。人気が上がれば弊害が生まれる。そのことに力点を置き、喝破しようと計る論者も勿論、当時からおられましたけれど、私は超満員の観衆で満たされた会場風景を見渡して満足感が先に立った。何か、幼い時分から他と違ったもの、空間という世界に思い焦がれていたものにとってはようやく日の目が当った感覚、そういう思いを強く抱いた覚えがあります。

 いまでも時に他所、地方を離れ、各所興行を見に出向くことも多いのですが、特にプロレス会場の閑散化は顕著に感じられ、隔世の感を思わずにはおれません。特に子供達の圧倒的な数の少なさを目の当たりにするとその思いはますます強く感慨を伴ってしまいますね。

 年に1・2度の地方興行「おらが町にもプロレスが来た!!」あの頃、共に声援をリング上に向って声も嗄らさんばかりに叫んでいた子供達はいまはいずこ?。いつまでも変わらず情景として留まるならば、次代など生まれるはずも無く、まして新しい時代、世紀など来ないのでしょうけれど、出来れば見たくは無かったですね。閑散としたプロレス会場、その風景。他の格闘ジャンルと等しく長らく見続けてきたプロレスという名の“奇特な”人間ドラマを生む、競技世界。やはり、かなり寂しいものですよ。

 ⇒拙作・思いの丈、執筆『魂暴風*a martial art side』
ミルホンネット刊・美城丈二ライブラリー