松本幸代のミルブロ!

【去年の今日】
去年の今日は、いったい何をしていただろう。
ふと気になって、2005年の手帳をめくってみた。カレンダーの12月23日のところには「八島舞台(23~27日まで)」と書かれてあった。そうだった、そうだった。
女子ボクシング初代フライ級王者の八島有美(やしま・ゆみ)は2004年5月23日、早千予(さちよ)との防衛戦に敗れた直後、意識を失い、緊急手術を受けた。病名は硬膜下血腫。ボクサーには致命的な怪我だった。
およそ半年間のリハビリを経て、ボクシングジムのトレーナーとして第2の人生を歩み始めたものの、やはりボクシングへの思いは断ちがたく、会って話をしていても悶々としているのが手に取るようにわかった。
「自分の半生を描いた舞台に主演する」
そう聞いたのは、去年の夏ごろだっただろうか。
ボクシングを始める前は、舞台やVシネなどで女優をしていた。その時の仲間が『石の拳』というタイトルで、八島の少女時代から事故にあうまでを舞台化してくれたのだ。
去年の暮れに観た八島の主演舞台は、赤貧の少女時代や、グダグダな恋愛模様、そしてボクシングでの栄光と挫折などが赤裸々に語られていた。舞台はおよそ5分にわたる、八島の長い、長いモノローグで終わる。その中で、八島はボクシングに区切りをつけると宣言していた。
「同じ怪我で死んでいった人もいる。生き残った私に、何かできることがきっとあるはず」
舞台上でせつせつと、そう訴えていた。
1年を経た現在、八島は宣言どおりの活動をしている。
アルコールや薬物依存、うつ病の人々の回復プログラムの一環として、ボクシングを教えているのだ。
きっかけは他でもない、あの舞台だった。
たまたま舞台を観に来たソーシャルワーカーの方に、「ぜひ手伝ってください」と声をかけられたのだった。
先日、私も初めてボクシング療法の見学をさせてもらった。
20人ほどの参加者に対し、八島は相変わらずの美貌と、相変わらずの茶目っ気と、相変わらずの厳しさで接し、すっかり受け入れられているようだった。
八島にとっては充実した1年だったに違いない。
だが、教室が終わり、感想を言い合いながら帰る道すがら、八島はぽつりと言った。
「やっぱり、思い切り打ち合いたい。もう一度ボクシングの試合がしたいんだ」
そうだよな。やっぱりそうだよな。八島にはボクシングをしなければならない理由がある。その理由は彼女の生い立ちにも関係している。私の役目は「絶対に駄目だよ」と説得することだろう。でも、言えない自分がいる。彼女の煩悶と同様に、私の葛藤もまだまだ続くのだろうな。
八島が闘わなければいけない理由については、拙著『ママダス~闘う娘と語る母~』(情報センター出版局刊)に詳しい。興味のある方はぜひ読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4795845123/sr=8-3/qid=1156176561/ref=sr_1_3/249-9435850-5841965?ie=UTF8&s=gateway