デストロイヤーさんのトークショー開催報告~力道山夫人・田中敬子さんとも再会!

 86歳になったデストロイヤーさんは、カート・ベイヤー(長男)、モナクリス(長女)といっしょに前夜遅くに来日。寝不足にもかかわらず元気な姿を見せてくださった。登場されるとサプライズとして力道山夫人”田中敬子”様とひさしぶりの再会、後トークショーが開催された。
160923Dest7176田中敬子(力道山夫人)さんとの再会場面~トークショーは100名を超すファンが集まり盛況であった。

以下、箇条書きになるがトークショー内容を報告する。

レスリングキャリアのスタートとデストロイヤー誕生 
①幼少期はラジオで日本の真珠湾攻撃を知り、国の方針からか好きな国ではなかった。

② 大学時代フットボールをしていたが、レスリングチームの試合前に一人が怪我で試合に出られなくなり急遽、レスリングチームキャプテンより参加してほしいとの誘いがあり出場、このことがレスリングキャリアのスタートとなる。

③シラキュース大学時代、アマレスのトーナメントで優勝すれば日本に若くして行けるチャンスがあったが残念ながら敗れた。

④バッファローのプロモーターエド・ドン・ジョージの誘いを受けオハイオ州コロンバスのプローモーターアル・ハフトの元で”デイック ベイヤー”としてデビュー

⑤ その後、ハワイへ行きフレッド・ブラッシーと出会い、対戦後彼に推薦されてロスのプロモーターであるストロンボーの元へゆく。覆面を被りザ・デストロイヤーと改名してブラッシーを破りWWA王者となる。

日本レスラーの印象
力道山
・四の字固めで決めてもギブアップしない我慢強いタフの男は見たこともない。
アントニオ猪木
・レスリングセンスの素晴らしい選手である。
ジィアント馬場
・大きい選手だが身体能力がすごい!人間的に信頼できる選手

全日本プロレス入りの経緯
 馬場とも猪木とも良く知る仲であったが、先に全日本プロレスよりオファーがあったので参加したとのこと。外人選手ですばらしい選手を輩出して欲しい

・フレッド・ブラッシー (彼との出会いがなければ今の地位は確保できなかった、恩人の一人)
・ボボ・ブラジル
・フリッツ・フォンエリック
・レッド・バスチエン
・ドン・マノキャン(引退試合に帯同)
・イリオ・デ・パウロ (力道山が亡くなる最後のシリーズにいっしょに参加) の名前が出ました。

 ちなみに長女モナクリスの名付け親はミスターモト。モトからからとってモトクリスがモナクリスとなる。

                              写真・文:藤井敏之

160923DestInoki当日、猪木さんの個人的な計らいでデストロイヤーファミリーは食事に招待された。現在、井上譲二記者が東京に上京してデストロイヤーさんを取材中! 来日の全容と詳細は週刊ファイト10月06日号新日TBSデストロイヤー井上譲二I編集長RIZIN中国MMA天心RISEに収録されました。

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追悼:ザ・デストロイヤー