WWEネットワーク『Legends’ House』シーズン1最終回パット・パターソン笑劇と涙!50年来の秘密暴露で♪My Way熱唱

1978年のグレッグ・バレンタイン、マネージャー=グラン・ウィザード、パット・パターソン photo Mike Lano

 WWEネットワーク『Legends’ House』シーズン1が最終回に。人生でもっとも記憶に残ることをレジェンドたちが語り合っていたが、ミーン・ジーン・オークランドは「マンハッタンのど真ん中でロディ・パイパーの後ろを歩いていて、ストリート・ファイトになったことを」を挙げていたのは印象的。これはタイガー・ジェット・シンの伊勢丹デパート前襲撃を上回り、本当に警察がすぐに出動して狂乱の騒ぎになった伝説のアングル。しばらくこの際のカメラはお蔵入りにされたのがそのインパクトを物語るが、主犯は現在バイパー(毒蛇)として活躍するランディの父親、本物のワルのボブ・オートンjrであった。

 ジミー・ハートが娘さんを亡くした件は、仲間の選手たちの知らなかった話であり、涙を誘ったことは述べるまでもない。ハクソー・ジム・デュガンが交通事故で奥さんを亡くした話も全員が涙にくれた。
 そしてクライマックスが、パット・パターソンの50数年ひた隠しにしてきたゲイであることのカミングアウトである。もちろん、業界内部関係者は誰もが知っていることだが、公式に言ったことはなかった秘密であり、我々が知らなかったのは、そのパートナーのルイー・ダンデロ(税理士としても、多くの選手の申告を手助けした男)が数年前に亡くなったことか。

 それにしても、WWF/WWEで長年現場監督(必殺筋書人)を務めた73歳による「胸のつかえがとれた、ついに俺は自由になった」とのスピーチには、皆がもらい泣きしていた。最後のお別れパーティでパターソンは♪My Wayを熱唱している。

電子書籍拡大版はマット界舞台裏6月26日号WNC消滅W1再編秋山援軍谷川K1美少年IceRibbon広島BJWファイブ11に収録されました。

1980年8・9シェイ・スタジアム一塁側ベンチのパット、のちの女子王者スーザン・セクストン、大巨人アンドレ photo Tadashi Tanaka

 宇宙で最初にパットの性癖を暴露したのは週刊ファイト、米国にはケーフェイ・シートはなく、ビル・アプターらの”ファンタジー活字”通称アプター・マガジンしか存在しなかった。但しファイト特派員は「ゲイ」という用語は知らなかったし、当時はそもそも使われていなかった。