[ファイトクラブ]エリック・クラプトンにとっての武道館と、プロレス格闘技ファン邂逅の場

[週刊ファイト5月4日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼エリック・クラプトンにとっての武道館と、プロレス格闘技ファン邂逅の場
 photo & text by 大島慶山 w/編集部編
・神エリック・クラプトン武道館ステージ通算100回の偉業達成の証人へ
・猪木「ロック界の大バカ者、クラプトン出てこい!」とビンタしていたら…
・追悼のブルーレインボー幕開け Tears In Heaven曲中♪青い影を挿入
・マニア談義深化極み 6 nights in a judo arenaブート屋が発売狙うか


 かつて大阪城ホールや、日本武道館のFRONT ROW(最前列)でも観賞したことのある、スローハンドことエリック・クラプトン(1945.3.10)のライブを一階アリーナ最前列とは真逆の2階スタンドの最上段/最後尾で観賞した。
 ウルトラQ(※1966年にTBS系列で放送されて、人気を博したSF特撮ファンタジー、ウルトラマンのような巨大変身ヒーローは登場しない)の名作エピソード『1/8計画』の様に、クラプトンが手のひらに乗りそうな大きさに見える。かなりステージからは遠いけど、真正面だし、ステージの左右の上に大型スクリーンが設置してあったので、見にくいことはなかった。

 最上段の立ち見で、手すりの後ろに記されている番号に立って見て下さいとの案内であったが、幸い通路側だったので、その通路に座ってみた。段の途中じゃないから通行の妨げにはならないだろうしと、勝手に楽観的に考えて開演を今か今かとときめく胸を押さえながら、待ちくたびれた今の鼓動が聴こえてきそうだった。
 ここ武道館でも、様々なライブを見ている。邦楽なら沢田研二(1948.6.25)、再結成のザ・タイガース、藤井フミヤ(1962.7.11)、松田聖子(1962.3.10)他・・・。洋楽ならクラプトン以外にもザ・ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー(1942.6.18)、デビッド・ボウイ(1947.1.9〜2016.1.10)、クイーン、ディープ・パープル等々。残念ながらビートルズ(1966.6.30〜7.2)は、見れてない。

神エリック・クラプトン武道館ステージ通算100回の偉業達成の証人へ

 今回の来日公演は大阪や名古屋でのライブは行わずに、東京・九段下にある日本武道館のみの限定開催の6日間のショーだ。まるでクラプトン自身が歌う♪サーカス・レフト・タウンのサーカスの様に、同じ会場でのイベント連日開催である。なにしろ武道館100回という記録がかかっていたのだ。
 1960年代から1980年代のヨーロッパのプロレスの興行では、1箇所の開催地で、数日間興行を開催することも多かったらしい。オットー・ワンツ(ブルドッグ・オットー)(1943.6.13)や、ホースト・ホフマン(1935.9.29)が猛威を奮っていた時代だ。若き日の藤波辰爾(1953.12.28)も、ホフマンのテクニックに翻弄(ほんろう)されたらしい。
 イギリス他ヨーロッパ各地で、ライブツアーの最中に当時のプロレスを見た可能性はある。それは、無理やりなこじつけや筆者の妄想ではなく、現にクラプトンは、日本各地で開催されていた格闘技のウルトライベント、PRIDE(※今をときめく、RIZINの前進団体、弊社の賢明な読者には細かい説明は不要だろう)や、石井和義館長が扇動していた時代のK-1の会場で、よくVIPのゲストパスを着用して生観戦していたのを度々、観客やマスコミに目撃されている。筆者も、残念ながらお会いしたことはないが、おみかけしたことがある。

 驚くべきことに日本ツアーのオフデイの、つかの間の休息を観戦にあてたのではなく、オフィシャルなビジネススケジュールではないのに日本に滞在していたから、芸能マスコミや音楽マスコミも色めきたったし、格闘技マスコミも驚いていた。
 日本のソウルフードの一つでもあるトンカツが好物なのは、ちょっとした情報通なら知っている話だ。様々なアナログ・レコードや、各国の 公式・非公式なレアアイテムが入手できるのも、日本贔屓(びいき)の一因かもしれない。
 でも、親友かつ同士のジミー・ペイジ(1944.1.9)のように、来日の度に幾度と西新宿のCDショップで、海賊盤をハントしている姿は、さすがに目撃されていない。一般客が入店するまでの時間帯に、オフリミットのアーリーバードタイムにして、関係者以外立ち入り禁止にしてたら我々の目や、ネット雀やマスコミには気づかれずに音源をハントしてたかもしれない。

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