[週刊ファイト6月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼史上初ノーロープ電流爆破デスマッチに最初の男女混合タッグ開拓者
ターザン後藤さん追悼 編集部編
5月29日にターザン後藤さんが亡くなっていたことが30日になって関係者に伝えられた。58歳だった。大相撲で廃業後に全日本プロレスに入門、1981年2月19日に越中詩郎戦でデビュー。1989年に大仁田厚からの誘いにより、全日本を退団してFMWの旗揚げに参加する。
日本初の有刺鉄線デスマッチに大仁田厚とのタッグで出場。大仁田との史上初となるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチはファンの度肝を抜いた。
全日本プロレスのイメージがほとんど無く、ファンは皆同じだと思いますが、大仁田と共にFMWを盛り立てたレスラーという印象になろう。
週刊ファイト旧タブロイド紙グラビア記事の男女ミックスド・マッチも「日本初」だった。それも夫婦タッグ(当時)ということで話題になったものだ。
なんであれパイオニアというのは高く評価されてしかるべきだろう。やはり、単身アメリカに活動の場を求めたことが大きいと思われる。
FMW時代は、大仁田、ターザン後藤、ミスター・ポーゴが提供してくれる話題、ストーリーが楽しめた。またミスター・ポーゴが裏切ったときには、大仁田と共にポーゴのホテルまで乗り込んで袋叩きにした事件(?)もプロレス誌紙で報じられた。これら一連の動きが、リング内のストーリーなのか、リング外のストーリーなのか、境界線が曖昧なことにも、プロレスファンとして展開が気になったものだ。結局FMWを電撃離脱したのはリング外のリアル・ストーリーだったことになる。
ポーゴさんのダブルブッキングが襲撃事件の発端なのだが、これは詳しく電子書籍に収録されているので繰り返さない。
▼ミルホンネット刊 ミスターポーゴ著作 検索タグ
https://miruhon.net/category/e_book/author/mrpogo
ターザン後藤は大仁田厚と出会うことで覚醒し、何であれ「史上初」や「日本初」に挑戦したレスラーであり、その功績は書き残す必要がある。天龍源一郎とのシングルマッチも行うなど、1990年代のインディーズ・マットで重要な役割を果たしたレスラーではあった。