ドン・中矢・ニールセンを倒したケビン・ローズイヤーが53歳で亡くなる!キックボクサー、UFC1出場

Photo: Eric England/Nashville Scene
 日本でもお馴染のでぶっちょキックボクサー、元WKA世界スーパーヘビー級王者ケビン・ローズイヤーさんが現地時間14日、53歳の若さでテネシー州ナッシュビル郊外で亡くなった。心臓発作だったが、すでに入退院を繰り返していたという。

 北米生活者には、Canal+提供のキックボクシング番組によく出ていたことで知られる。恐らくはそういった認知度から1993年11月12日、コロラドで開催された第一回UFCにオファーがあり出場、トーナメント一回戦はのちに日本にも来たジーン・フレジャーに勝利するも、二回戦で冷酷なキラー全開のジェラルド・ゴルドーに敗れている。
 ニューヨーク北部のフランス系カナダ住民地区の農家に生まれたので、フランス語が出来たから欧州系のキック番組にも呼ばれていた。記録上は2000年頃までMMAなどの試合をしていたようだが、ボクシング、キック、プロレス(初代タイガーマスク戦)、MMAと、考えられるなんでもやったハズで、モスクワからタイまであらゆる国に出向いている。本人すら「わからない」と答えているが何百試合もやったタイプと推定される。ニューヨークの業界関係者には、「ディスコ”ライムライト”の入口に行ったら会える」と何度か聞いたものだが、近年はロックスターのボディガード仕事が多かったそうだ。最後は気候のよいフロリダに住み、結局は退役軍人などが居住する病院施設の多いテネシー州の田舎町に流れ着いていたらしい。

 1989年5月14日、ドン・中矢・ニールセンがWKA世界スーパーヘビー級王座に挑戦した試合は、主催者がニールセンをなんとか勝たせようとしていた内容で記憶される。ローズイヤーは試合後に「俺はフォー・ストライク(普通はスリー・ストライクでアウトになるのに、自分は4回ストライクを決めないとアウトを取れないと、ニールセン贔屓を皮肉ったもの)・ローズイヤーと名乗る」と言わしめたものだ。この試合は6RKOの記録だが、アメリカで放送していたキック番組はテコンドー系でローキックがないため、12Rの試合形式が少なくなかったためだ。
 キックの戦歴については、現金を受け取って寝たと思われる試合も記憶にあり、全部がガチンコだとは思わない方が無難だろう。もっともあの時代を支えた戦士だったことは間違いない。合掌。

マット界舞台裏’14年9月25日号UFC榊原ニールセン全日王道IceRibbon長瀬館長新日キックTOPKING

追悼号はマット界舞台裏4月23日号白石伸生前田日明キック界混乱IGF3両国長瀬館長ミャンマー素手に収録されました。