1・23RISE後楽園引退セレモニー・工藤政英 インタビュー 殴り合いの生活から田舎暮らしへ


 1月23日『RISE154』後楽園ホール大会で引退セレモニーを行うRISEフェザー級王者の工藤政英(新宿レフティージム)のインタビューが届いた。
キックボクシング以外は何もやってこなかった
──工藤選手、いや、もう工藤さんですね。長い現役生活、お疲れさまでした。
工藤 確か22歳のときにデビューしたので、ちょうど9年くらいの現役生活だったと思います。思い返すとあっという間。ひたすら練習で追い込んで試合。そして試合が終わったらまた次の試合が決まる。このサイクルをひたすら繰り返していましたから。
──新人時代は新宿レフティージムの内弟子だったんですよね。
工藤 20代前半はそうでしたね。
 本当にキックボクシング以外は何もやってこなかった。
 内弟子時代はプライベートで遊ぶことすらなかった。本当にキックだけの生活でした。
──途中で逃げ出そうと思ったことは?
工藤 僕は性格的に結構甘えん坊で、何をやっても長続きしないタイプだったので、「チャンピオンになるまでは頑張ろう」と心に決めていたんですよ。(新宿レフティーの)浜川憲一会長の飴とムチも素晴らしかった。
 僕が挫けそうになったら、飴を入れてくださった。サボるとムチでしたけどね(苦笑)。
魔裟斗さんが好きでした
──そもそもキックを始めたきっかけは?
工藤 小学校のときに(旧)K-1を見始めました。かなりのマニアだったと思います。魔裟斗さんが好きでした。ローの蹴り方とか、めっちゃ真似していました。
──なぜ新宿レフティージムへ?
工藤 その頃の僕は板橋のパン屋で働いていて、都内のジムを転々としながら趣味程度でキックをやっていたんですよ。
(その流れで)20歳くらいのときに一度レフティーに無料体験に行ったんですよ。そうしたら大月晴明選手が出稽古に来ていました。
 僕がサンドバックを蹴っていたら、大月さんから「マスをやりたい」と声をかけてくださり、やったらボコボコにされたんですよ(笑)。
──ほとんど素人相手のマスなのに!
工藤 始める前から深呼吸をして試合のときのような目をしていたので、「なんでこんなに集中しているんだろう?」と不思議だったんですけどね。そうしたらいきなり爆腕が炸裂して、ボディで倒されてしまいました。
 それでも、僕は大月選手のファンだったので、「これも何かの縁」と思い入会することにしたんですよ。
 それで続けていったら、キックにどんどんハマっていった感じです。
頭を使って試合を組み立てたら8連勝することができました
──プロデビューしてからは?
工藤 同期の津田(鉄平)さんは8連勝くらいして新人王を獲ったりしていたのとは対照的に僕は新人王は1回戦敗退で、その後も勝ったり負けたり。
 最初は3勝3敗でした。かなりの落ちこぼれだったと思います。
──それで覚醒するきっかけとなったのは?
工藤 6戦目で蓮見龍馬選手に救急車の出動を要請されるくらいのド派手な失神KO負けをしたんですよ。
 それまでの僕はディフェンスを全く意識していなかったけど、あの一戦で「ちゃんと守らないとダメ」ということに気づかされました。
 それまでの僕は顔に攻撃を喰らって倒されたことがなかったので、守りを意識したことはなかったんですよ。
──敗北を糧に覚醒したんですね。
工藤 ディフェンスを意識すると頭を使う。
 頭を使って試合を組み立てたら8連勝することができました。
(印象に残っている試合)森本選手との2試合ですね
──その後REBELSの王者となり、RISEに参戦しますね。
工藤 最初は良かったですね。優吾・FLYSKYGYM選手を1RKOして、佐野貴信選手もKOすることができた。
 森本“狂犬”義久選手との初戦もバチバチに殴り合って(いい意味で)印象を残せたと思う(結果は延長引き分け)。
 でも、そのあとは村越優汰選手と内藤大樹選手に連敗を喫してしまいました。
──4年前ですか。あの頃のRISEフェザー級戦線はどんどん選手層が厚くなっていく印象がありました。
工藤 めっちゃ楽しかったです。やりたい選手もいっぱいいたし、(階級そのものが)盛り上がっていました。
──最も印象に残っている試合は?
工藤 やっぱり森本選手との2試合ですね。両方とも延長までもつれ込んだし、精神的にもめっちゃしんどかった。
 その一方でめっちゃ楽しかった(2戦目は工藤の判定勝ち)。
──闘っていくうちに逆にシンパシーを感じるくらいの試合だった?
工藤 そうですね。たぶんプライベートでは仲良くなれないと思いますけど、試合中は通じ合うものがありましたね。
野宿は意外といけました
──それはそうと、プライベートではホームレスを経験していると小耳に挟みました。
工藤 よくご存じで(照れ笑い)。ジムが移転するときに新しい現在のジムの工事が遅れ、泊まれなくなってしまったんですよ。ちょうど1週間くらいだったけど、野宿は意外といけました。
 シャワーは漫喫で浴びて公園で寝る。
 ジムの先輩たちはみんな「ウチに泊まれ」と声をかけてくれたけど、プライベートではひとりが大好きだし。
 短期間とはいえ、誰かと一緒に住むというのはハードルが高かったですね。
──公園で職務質問は?
工藤 職質はこなかったけど、ホームレスのお友達はできましたね。「お兄さん、若いのに大変だね」と声をかけてもらいました(笑)。
──そのあとにRISEのチャンピオンになったのだから大したものです。
工藤 チャンピオンになるまではやりたい試合ができた。でもなってからは全然思い通りにならなかったですね。
チャンピオンになったあとの人生をやり直したい
──工藤さんの必殺技といえば、キモジャブ、キモロー、キモボディが有名でした。この3種の神器を持ってでも難しかった?
工藤 チャンピオンになったあとの対戦相手は基本的にムエタイスタイル。
 僕が得意な距離になると、いつも組まれていた。遠い距離からの攻撃はジャブくらいしかなかったので、めっちゃ苦戦しましたね。
 自らジャブを打って近づいて組まれてブレーク。その繰り返しで塩試合。
 「やり直したいところはどこ?」と訊かれたら、ここですね。チャンピオンになったあとの人生をやり直したい。
 でも、自分の攻撃が通用しなくなった
 おかげで、晩年の試合ではミドルキックを蹴ったりしているんですよ。もう少し器用だったら、ちゃんとしたキックボクサーになれたと思います。
いまはドローンにハマっています
──最後に引退するきっかけとなった鼻のケガについてお聞きしたいです。
工藤 それがいつ折れたか、本当にわからない。もう6回くらい折れていて、原型をとどめていなかったようです。
 お医者さんも「こんな鼻は見たことがない」と驚いていました。
──いまはもうきれいな鼻に戻っていますね。
工藤 ハイ、もう手術は終わったので(微笑)。
 腰の骨を鼻に移植してもらい、(俳優の)菅田将暉さんと同じ鼻にしてもらいました。
 これはネタではなく、ガチで。「鼻のラインは変えられる」ということだったんですよ。
 {なりたい鼻を持っている芸能人の写真を見せてもらうのが一番」ということだったので、菅田さんの写真を見せました。
──菅田将暉仕様の鼻!
工藤 (18年10月6日の)シントンノーイ選手と試合したあたりから呼吸するのもきつかったんですよ。
誰のパンチが原因なのかわからないけど、おかげできれいな鼻にすることもできたので、全てがいい思い出です。
──今後の進路はどうなりますか?
工藤 僕は本来争いを好まない性格です。
 殴り合いの生活を続けてきてちょっと心身ともに疲れたので、自然に囲まれて癒されたいと思い農業をすることにしました。
 僕を雇ってくれた会社はお米がメイン。
 米は収穫時期が決まっているので、ほかの農作物も栽培しようと思っています。
 いまはドローンにハマっています。
 令和の農業はドローンで農薬を散布したりするんですよ。
──これからはキモローではなく、ドローンの使い手になるわけですね。
工藤 ハイ。これからはクドローンになります(微笑)。
 長い間、本当にありがとうございました。
(インタビュー スポーツライター 布施鋼治)

 引退後は農業をやりたいとのことだが、記者がひとつ気になるのが彼の公開プロフィールにあった「虫が嫌い」。
 記者も山あいの古民家に移住し普段畑仕事をしているが、田舎と畑に虫はつきもの。
 田舎暮らしをエンジョイするために、まずは虫嫌い、克服して下さい。

■ RISE154
RISE 154
日時:2022年1月23日(日)開場17時/本戦開始17時30分
会場:東京・後楽園ホール