大切な誰かがいつ亡くなったっておかしくない。だから~秋葉尉頼5年目の命日


 2015年4月に総合格闘家としてプロデビュー、デビュー戦から小宮稔大に勝利、同年7月に参戦のDEEP CAGEではソ・ドンスにKO勝利を収めるなど試合を重ねるほど逸材の頭角を現しDEEPフライ級を担うホープとして期待を集めていた秋葉尉頼(あきばいより/TRIBE TOKYO M.M.A)が、21歳と言う若さで急逝したのは2016年8月30日のことだった。
 原付バイクを運転していた尉頼は、14時頃東京武蔵野市の路上交差点でゴミ収集車と衝突、病院に搬送され当初は打撲が確認された程度で命に別状なしとの診断も20時頃に容態が急変し死去した。

 秋葉尉頼は2015年4月にMMAプロデビュー、同年7月DEEPに参戦してソ・ドンスにTKO勝ちを収め以降DEEPを主戦場に頭角を現し始めたところで、未来を担うホープと目されて期待されていた。
 事故が起きた3日前の8月27日(土)に開催された『DEEP 77 IMPACT & DEEP JEWELS 13』にも出場、当時DEEPで連勝中で勢いのあった安谷屋智弘に判定勝ち、これが彼の最後の試合となってしまった。

 SNSにはいまも彼のアカウントはそのままになっており、練習を重ねながら総合格闘家として頂点に昇る日を夢見て信じて、ひたすら前を向いて歩き続けていた軌跡が、2016年8月29日で更新が止まったまま残されている。

 秋葉尉頼が所属していたジムには衝撃と動揺が走った。
 だが彼の死を真正面から受け止め、尉頼の魂を背負って共に闘うことを決意した者がいた。
 若松佑弥(26)が尉頼の交通事故死を知ったのは、パンクラスフライ級トーナメント決勝一週間前のことだった。
 悲しみに暮れるも、試合に負けるわけにはいかなかった。

 若松は優勝後のインタビューでこう語っている。
 「(尉頼とは)階級も同じだし、ライバルであり兄弟のようでもあった。彼のことがあるから、俺はもう逃げられない。彼の分もやるしかない。」
「死ぬことに比べたら、試合なんて何でもない。だから何があっても勝たなければと思った。そして、自分はトーナメントで優勝したんだ。
 自分たちのものの見方は変わった。

 大切な誰かがいつ亡くなったっておかしくない。だから自分たちはここで今、一緒にいい思い出を作るためにできることは何でもする」
  後手後手の政策のつけここに極まった我が国は、もはや何度目か数えることすら諦めの再び緊急事態宣言下となり閉塞感が世の中を覆いつくす最悪の夏を迎えた。

 右を見ても左を向いても絶望の闇しか見えなくても、希望の光が見えなくても、それでも歩き続ける以外に道はない。
 生きてこそいつか努力の成果が実を結ぶ日が来るのだと信じて。
 辛くても悲しみに打ちひしがれても、生きてこそ。
 亡き人の魂を背負って立ち止まらず歩き続けること、それが人生なのだ。