Uインターは強いんです!一億円値千金の大勝利!鈴木健、脳腫瘍手術10時間の死闘を制す

 同氏に”拾われた男”が渾身のおめでとう記事!!

 一億円の札束を積見上げ、当時のプロレス界の話題を席巻した張本人、伝説の団体UWFインターナショナルの取締役、鈴木健氏が脳腫瘍で入院、難しい手術ということで関係者は心配の声を上げていたが、本人曰く、「5時間1本勝負・延長5時間‥皆様の絶大なる応援のお陰様で、今回の勝負は挑戦者をバラバラに引き裂いてのKO勝ちを納めさせて頂きました」とのことで、病魔にも完勝したようだ。


 皆様、応援や激励のお言葉の数々、本当に有難う御座いましたと改めて感謝をのべる鈴木氏。

 まだ少しの頭痛と少しの薄い鼻血との闘いは続いるらしいが、用賀にある自身のお店、市屋苑は7月11日までお休みで12日から再スタートの予定だったが、都内のコロナ陽性者が減らないので、マン防の状況次第では2-3週延長もありえるとのこと。

 これで垣原賢人、高山善廣、安生洋二、鈴木健のUWF international勢が4連勝を勝ち取りましたと力強くファンに報告。

 これはまさに、地獄から這い上がってきた男の渾身の焼き鳥を味わいに用賀に用がなくても向かうべきだろう。

 そして、デビューできずに燻り続けていたキングダム入江代表(超人イリエマン)をキングダムでプロデビューさせたのも鈴木氏だ。当然、両手を上げて祝福。

〈キングダム入江代表のコメント〉

おめでとうございます。
鈴木健さん!!

入院前に、鈴木さんに「キングダムに拾われここまで来ることができました」と言うと、照れ臭そうに「いえ、いえ。」と返してくれたことを忘れません。

今回、またUWFに古くから伝わる言葉を思い出しました。

何があっても、諦めないことだ…そうすれば、夢はいつか必ず実現する。

自分もUWFの、本当にかすかな端くれですが、この戦いを誇りに思い、またやっていけそうです。 

Uインターは、本当に強いんです!!

週刊ファイト2020年9月17日号記事を特別に全文公開】

鈴木健に問う2020年のUWFと超人イリエマン21年間のキングダムエルガイツ

語り手 鈴木健氏 (元UWFインターナショナル取締役)
インタビュアー   キングダムエルガイツ入江秀忠 
9月5日、東京都世田谷区用賀4-14-2-2F 03-3707-3223 「市屋苑ichiokuen」で収録

 残暑が激しい9月の夜、私は世田谷区用賀に降りたっていた。
 その駅から数分歩く。本当に久しぶりだ。
 キングダムに入門した時は、ほぼ毎週のように通った街。

 田園都市線の用賀と言えば馴染みの深いファンも多いのではないか。数分歩いて辿りついたのは焼き鳥市屋苑。ここにいる、ある人に会いに来た。市屋苑(いちおくえん)の由来はUインターが打ち出した大博打、一億円トーナメントと、その後の団体運営で出した負債に掛けている。業界関係者はもとより、最近では歌舞伎役者の中村獅堂も来店しているのがSNSで挙げられていたのには驚かされた。

 私はその人にはたまに無性に会いたくなる時がある。
 特に今は、自分のイベントをコロナ渦で成功させなければというガラにもないプレッシャーと、何か最近の俗にU系と言われる先輩方のことが何かとクローズアップされており、それについての自己の迷いも多少あった。

 店にはあいにく氏はまだ不在ではあったが、店の名物、鳥のネック(首部分)の焼き鳥や、胡麻油をふんだんにかけたアボカドの刺身を頂きながら店内を見渡す。

 高田延彦対ゲーリー・オブライト戦などUインターのポスターやプロレス関連の書籍。ベイダー戦のDVDなども販売されていて、当然ながらそちらのほうでも空間を楽しめ、毎夜プロレス談義に花が咲いているのは容易に予想できる。


 私はというと、キングダムに入団を直訴した理由として1997年10月11日に東京ドームで開催された『PRIDE.1』の高田延彦対ヒクソン・グレイシー戦が挙げられる。

 総合格闘技の黎明期、佐山聡師範が創設した修斗に入門した若き日の自分。入門した理由は当時400戦無敗と言われたヒクソン・グレイシーとの対戦を夢見たこと。

 ジムに入門して僅か7か月でアマチュア格闘技の最高峰、全日本アマチュア修斗ヘビー級王者を獲得したまでは良かったのだが、直後にアマのド新人が当時世界一の格闘家と言われた選手を引き合いに出して挑戦したいとのたまわったのだから、やはり我ながらぶっ飛んでたとは思う。

本題からややそれたが、その人はそして現れた。

 いつものように、後ろからポンと肩を叩かれ振り向くと
「入江、久しぶりだな。」
 と和かに話してくれる。
 いつになっても年齢を感じさせない筋肉質なカラダと太い腕で握手をしてくれる。

「鈴木さん、お久しぶりです! 会いたかったんですよ」

 その人は鈴木健氏。
 伝説の団体UWFインターナショナルの取締役で、キングダムの代表、燻っていた私を拾ってデビューさせてくれた恩人でもある。この日は店には不在であったが最後までキングダムに残留し、キングダムの本当のラスト大会、1998年3月20日の横浜文化体育館大会のメインを務めた安生(洋二)先輩も普段この店で腕を奮っていらっしゃる。本当につい先程パンクラス出身の伊藤崇文選手のFBを見て気づいたのだが、あと小一時間程でそのキングダム終焉の地、そして長きに渡りプロレスの歴史を刻み続けた横浜文化体育館の閉館9月6日を迎えようとしていた。
 この市屋苑の場所は、新生UWFの事務所として鈴木さんが貸していた場所。「UWFの本拠地である用賀は、この市屋苑のこの場所から始まったのだよ」と語る。

 店の流れが少し落ち着いたあと、自分は鈴木さんと話し込んだ。時計は夜11時回ったあたりだろうか。話しの中心は今の格闘技界の現状含め、元Uインター田村潔司選手のことと、「Uを潰す!」と20数年前に公言した長州力との共闘?新団体『GLEAT<グレイト>』のこと。新日本対UWFインターナショナルという、(リアル実数では)今も破られていない歴史的東京ドームの動員記録を達成した仕掛け人は、それをどう見ているのか。

GLEAT旗揚げ~鈴木健「田村潔司は他の選手と何ら変わらなかった」

 それは私もどうしても問いたい疑問であった。我が団体、キングダムエルガイツ旗揚げ戦でも偉大な先輩、藤原喜明氏からの頂いた言葉。「Uとは一体何だったのか?」という問いに、藤原組長は「それを見つけるのは、後進のあなた達です」とありがたい言葉を授かり、それを胸に21年間、インディーに落ちてしまった団体を引いてきた自負もある。
 今UWFと言っても、若い世代には風化している部分があるし、自ら指導するジムでPRIDEすら知らない生徒がいることに驚きを隠せない。

 Uインターを離脱。K-1でパトリックスミスと戦いその後、前田日明率いるリングスへ移籍。田村潔司の生き様は、当時のファンからしたら“Uの遺伝子”を背負い、そして戦い続けてきた聖域の選手であり、今もそうでなければいけなかった筈。

 一般的にはファンも、マスコミにも田村潔司は“孤高の天才”と崇められ、自分の信念を曲げない為にUインターを離れ、自分の理想を追い求めたと信じられている。

 その問いに、あっさり鈴木さんは言う。
「田村潔司は他の選手と何ら変わらなかったよ」
 リングスが提示してきた金額が、当時のUインターの提示できるものを凌駕していた。

 ただ、それだけのこと。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 簡単なことだよ。うん。

 だってあの後、タム(田村)ちゃんが誌面か何かでパンクラスからも引き抜きが来てると言ったから、尾崎(允実*当時パンクラス社長)さんここ(市屋苑)に来て言ってたし・・・。
「鈴木さん、それは絶対にない」
「訂正して頂きたい、うちは引き抜きなんて一切やってないですから」と念を押されたらしい。

 いろいろな思考がショートするような驚愕な事実が明るみになるが、それでも私は今回の田村潔司新団体旗揚げはかっこたる信念を持っての行動だと思おうとしている自分がいた。

 ただ、長州さんはUを潰すと言った張本人、言うなれば“Uの宿敵・仇”といえる人物。
 その長州力が今回の田村新団体でUの遺伝子と組むことへの質問に
「もう、それは終わったこと、過去の事」
 と言った。私はそのプロレス格闘技界の大先輩の言葉が強烈に鼻についた。

 それは、密航とまで言われながらUの足跡を追い、その青春の全てを捧げた信者の生き様をも否定している。しいては俺が偉大なるUWFの最末端と揶揄されながら、馬鹿にされながら、苦しめられながら、嗚咽しながらここまで率いてきた21年間のキングダムエルガイツの歴史さえ否定されることになりかねない。

 そのジレンマは田村潔司の今後の行動で見て、答えを探りたいと思う。
 これは自己解釈であるが、彼は“U”の十字架を背負ったのである。
 それは金でなく、物欲でもなく、信念の中にある・・・はず。

 だから彼は、もう逃げられない。
 私が、決して逃げることが許されなかったように。

 21年前に多摩の山奥のプレハブ小屋からひっそりとスタートした、キングダムエルガイツという弱小団体。偉大なる先人達の本当にかすかな、かすかな最後の系譜として、極貧に耐え、裏切られてそれでも何があってもあきらめずに辿ってきた道。

―そして今の興盛に辿り着いた自分―

UWFの歴史語る必要ナシ!PRIDE/RIZINにもUインターは生きている

 最後に、その私の心を突いた“Uの生き証人”の言葉がある。

 世界格闘技界の最高峰だった―PRIDE<プライド>―
 その発端は間違いなくUWFインターナショナルの象徴、高田延彦。
 そしてUインターの若手達が礎をつくってきた―

 これは周知の紛れもない事実。

 PRIDEの中にも、Uインターはあった。
 RIZINの中にも、必ずある。

 UWFの歴史なんか語る必要などない。

―Uインターは、まだそこにあるんだから―
                  

市屋苑ichiokuen紹介
https://www.google.co.jp/amp/s/www.hotpepper.jp/strJ000139407/amp/
https://www.hotpepper.jp/strJ000139407/

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