秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#13(1968年8・7サンマルチノ&スチーブンス)

当時の珠玉の日本プロレスポスター
[週刊ファイト7月15日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#13(1968年8・7サンマルチノ&スチーブンス)
 by 藤井敏之
・西海岸レイ・スチーブンスとMSGの帝王ブルーノ・サンマルチノがタッグ
・馬場エース時代「馬場打倒! 血祭りに上げてやる」
・4試合が終わった時点で球場は雷と豪雨に襲われ中断、そして翌日に順延
・独特のリズムあるストンピングをマーフィーに放つ猪木
・メラメラと燃え盛る若き闘魂がリング上で垣間見る猪木と馬場の関係
・「馬場には負けないぞ」というライバル心を戦いのパワーに変える


 1968年8月、馬場の宿敵“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノが現役のWWWF世界チャンピオンとして来日する事が決まった。そう当時は馬場の宿敵と呼ばれる一流外人選手が必ずシリーズに一人か二人来日し、インター・ナショナル選手権を狙いやって来たのであるが、アントニオ猪木の宿敵と呼べるライバル関係にある外人は、東京プロレスで死闘を展開したジョニー・バレンタイン以外存在しておらず、どうしても長期シリーズにおいては馬場のインター選手権試合に向け地方会場、テレビ放映会場で因縁が生まれ東京や大阪の大会場でクライマックスを迎えるのが常であった。

         同シリーズのパンフレット

 インター・ナショナル・タッグ選手権試合においてはそのシリーズのNo.1とNo.2がアメリカマットにおいて、なんの関連性もなく日本でタッグを組み大会場で挑戦していた。このシリーズにおいて難波の大阪球場で馬場とサンマルチノがインター選手権を賭け対決、そして東京・田園コロシアムにおいてBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木 対 ブルーノ・サンマルチノ&レイ・スチーブンス)の二大タイトルマッチが行われる事が日本プロレス協会より発表された。

 当時サンマルチノはニューヨークの帝王として、レイ・スチーブンスはサンフランシスコのカウパレスを中心にUSヘビー級王者として西海岸マットを制する強豪である。接点が無いようにみえる両雄だが、1967年7月シスコでダブルタイトルマッチを行いレイ・スチーブンスが勝利したのだが、サンマルチノがWWWFベルトを持参して来ずノンタイトル戦を主張した因縁があったが、日本ではノーサイドで手を組んで挑戦。             

         タイトルマッチを伝えるチラシ


         馬場とサンマルチノの死闘

 この頃、試合前や来日記者会見においても外人選手は「馬場打倒! 血祭りに上げてやる」と怪気炎をあげるが、記者から猪木の名前を出さない限りその場において猪木の名前が出てくる事は少なく、いまだ馬場エース時代が続いていた。
 大阪球場でのインター・ナショナル選手権試合においては8月6日に行われる予定であっつたが、4試合が終わった時点で球場は雷と豪雨に襲われ中断、そして翌日に順延となっている。翌日7日、難波の大阪球場に1万4千人の大観衆が集まり行われた。

         6日当日は悪天候となり翌日に延期される。
                                          
 私においてまだテレビで観戦する時代であったゆえ、馬場とサンマルチノの激闘は覚えているが、セミファイナルとして行われたアントニオ猪木&吉村道明対スカル・マーフィー&レイ・スチーブンスのタッグ・マッチ45分3本勝負においては今回、掲載する貴重な写真から想像するしかありません(果たしてテレビ中継されたかどうか定かではありません)。
 かなりの場外での乱闘が多かったように見える試合ですが、試合結果は22分2秒マーフィーが吉村を逆エビで決める。2本目は4分47秒で吉村がマーフィーを体固めでフォール、そして3本目は2分17秒両者リングアウトとなり引き分けている。

         猪木とスチーブンスの戦い 


     猪木とマーフィーの対決もキラー猪木の側面が見られた魅力的な対決
           
アントニオ猪木&吉村道明 対 スカル・マーフィー & レイ・スチーブンス
1本目マーフィー(逆片エビ固め 22分2秒)吉村
2本目吉村(体固め 4分47秒)マーフィー
3本目(両者リングアウト2分17秒)

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