[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#6【1969年4・16大阪Gモンスーン戦】

第11回ワールド大リーグ戦☆横浜大会ポスター
[週刊ファイト4月1日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#6【1969年4・16大阪Gモンスーン戦】
 by 藤井敏之
・読売ジャイアンツがV9だった時代のプロレス人気の異常な盛り上がり
・新必殺技である“卍固め”アントニオ・スペシャルを開発した猪木人気
・アントニオ猪木対ゴリラ・モンスーンの優勝戦線を左右する大一番
・猪木の初優勝を期待した観客で大入り満員の大阪府立体育会館
・貴重写真:トランプに興じるボボ・ブラジルとGモンスーン両巨頭
・優勝候補の一角であるゴリラ・モンスーンを破り嬉しさ爆発の猪木
・35試合で23万人を動員!1試合平均なんと6600人のワールド大リーグ戦


 日本プロレス春の祭典である『第11回ワールド大リーグ戦が話題沸騰の中で開催された。まさに世間を撒きこむかのような一大プロレスブームが桜の開花と共に日本中を駆け巡ったといっても過言ではなかったのである。実際この頃、野球界では読売ジャイアンツが1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)まで9年間連続してプロ野球日本シリーズを制覇していたV9時代であったが、その人気をも超える凄いもので、学校での話題も確実にプロレス談義一色であった事を思い出す。

第11回ワールド大リーグ戦記念パンフレット

 その理由とは、アントニオ猪木の目を見張る躍進ぶりである、新必殺技である“卍固め”アントニオ・スペシャルを開発、ジャイアント馬場と並ぶ二大エースという呼び声も高くなってきた。さらには元柔道日本一の坂口征二の1年8ヶ月ぶりの凱旋帰国によるリーグ戦初参戦と日本側の充実度が過去のリーグ戦を遥かにしのぐ豪華さだ。そして外国勢も“黒い魔神”ボボ・ブラジルと“巨象”ゴリラ・モンスーンのダブル・エースを筆頭に、伏兵として“ロシアの白熊”クリス・マルコフ、“西海岸の爆弾男”ペッパー・ゴメッツらが参加し優勝戦線の予想も難しいことが人気に拍車をかけた。

アントニオ猪木&吉村道明     

ゴリラ・モンスーン&若きボビー・ダンカン

当時恒例であった全選手による入場セレモニー  

ボボ・ブラジル&クリス・マルコフ 
          
 開幕戦の蔵前国技館において、馬場はゴリラ・モンスーンに、猪木がボボ・ブラジルに揃って枕を並べて敗北したシーンは当時のプロレス・ファン心理により火を点けたのである。
 ここでは中盤戦の大阪大会のワールドリーグ公式戦、アントニオ猪木対ゴリラ・モンスーンの今ワールドリーグの優勝戦線を左右する大一番の試合をピック・アップしていきたい。

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